第2部 育まれる愛と異界の客人たちの章

第22話 謁見の儀 ①

「もうくたくたです、つま先が痛い」


 あれから三日間、みっちりと所作と受け答えの練習を詰め込んだ華子は、もうすぐ謁見だというのにへとへとに疲れていた。さらにいつもより細身のドレスに身を包むため、今日は朝からろくにご飯も食べることができなかった。


「フリーデさん。こんな状態で大丈夫なはずがないですよ。自信ありません」

「物事はなるようになるのです。ハナコ様の努力が報われるときなのですから、しっかりなさいませ」


 華子は侍女長のフリーデが差し出してくれたプリマヴェラの発泡水を受け取り喉を潤す。


「謁見が終わるまでお飲み物は控えておく方が無難ですので、それで最後でございますよ」

「……もう一度お花摘みに行ってきます」

「それがよろしいかと。戻られましたら身仕度に入りましょう」


 今日はドロテア、ラウラ、イネスの三人ともが控え室で華子を待ち構えている。これからしばらくは彼女たちの着せ替え人形にならなければならない、とフリーデに見送られながら、華子はぶるりと身を震わせた。


 華子の寝室はちょっとしたブティックのようになっていた。寝台の上には様々なタイプの下着やガーターが散乱し、ハンガーラックごと運び込まれたドレスは部屋の半分を占拠している。


 私の身体は一つしかないんだけどなぁ。


 目の色を変えてドレスを合わせていくイネスを尻目に見つつ、華子は力なく寝台の支柱にすがりつく。


「ハナコ様、もう少し頑張ってくださいな!」

「はははいぃ……苦しっ」


 コルセーと呼ばれているコルセットの、紐をぎゅうぎゅうと引っ張り締め付けているのはドロテアだ。

 華子は今回初めてコルセットを着けることになったのだが、なんでもさらに腰を細く見せる必要があるらしい。この世界で栄養満点の食事をしているため少し太ったのがいけなかったのか、正装用のドレスはどれも腰の部分が入りそうにない。ガチガチに固められた腰で貴婦人らしく膝を折って挨拶するのは大変辛く、座っていても息を付くことすらできなかった。


「ハナコ様できましたわ。後はラウラが化粧を施しますので鏡台のスツールに腰掛けていてください」


 華子は完全武装された、といっても過言ではないくらいに何処もかしこも締め上げられた下着姿のまま、よろよろとスツールに腰を下ろす。コルセットの所為で妙に背筋が伸びており、慣れない違和感がある。


「さあハナコ様、次は私の出番ですわ」


 様々な化粧道具を引っ提げ待ち構えていたラウラに、華子は顔を引きつらせると、観念したように目を閉じた。



「さあさあ殿下、私たちの自信作をとくとご覧くださいませ」


 到着早々、自信たっぷりに告げる華子の侍女にリカルドは寝室を見やる。

 ここ二、三日は華子との関係もぎくしゃくしていたので思ったよりも緊張しており、リカルドは華子の顔をまともに見ることができるだろうか、と年甲斐もなくドキドキする。

 今日のリカルドは濃紺色のマントを着用しており、肩章や腕章、様々な徽章の付いた竜騎士団長の正装姿であった。式典用の白の制服に濃紺色のマントがよく映えていて、リカルドの濃い灰色の髪ともよく似合っている。

 王族の正装でもよかったのだが、リカルドはもう何年……いや何十年と袖を通していないので着慣れたものにしたのだ。リカルドがエスコートすることとどちらの衣装を着るのかは事前に伝えてあったので、華子のドレスもそれに合うようになっているはずだ。

 しばらくすると寝室から華子がゆっくりと歩いて出てきた。


「いつもお待たせしてしまってごめんなさい」


 華子が歩く度に、小さくリーンリーンと澄んだ鈴の音が聞こえてくるが、結い上げた髪を留める髪飾りの音であろうか。

 リカルドのマントの色と揃えたのであろう幾分明るめの紺青色のワンピースのドレスは、胸元を華やかに飾るジャボや袖に白いレースをあしらっておりアクセントを添えているが、スカートは膨らませておらず全体的に落ち着いたものである。

 華子がこの世界に来てから初めて着たドレスは白であり、リカルドは濃紺の制服であったのだが今日はその逆だ。


「せっかくドレスに慣れてきたと思ってましたけど、やっぱりまだまだだめみたいです」


 華子はゆっくりとリカルドの方へ歩み寄る。リカルドは自然とその手を取って自分の腕に導きながら、気分を高揚させた。


「落ち着いた色合いもよくお似合いです。今日は大人びて……いや、失礼」


 華子を前にすると日頃はしない失態ばかりだとリカルドは焦った。


「もう、リカルド様。私は立派なおばさんなんですよ?」

「そんな、とんでもない!!いえ、ですから、わ、私はその装いの方が好きだと……申し上げたいのです」


 華やかな飾りのドレスや明るい色合いのドレスも華子に似合っているのだが、今日のドレスは華子の内面を際立たせるような知的な大人の雰囲気である。断然、こちらの方が華子らしい美しさをうまく表現出来ているとリカルドは思った。


「着飾ることも武装するのと同じことなのですよ。どうか自信を持ってくださいませ。着飾ってより美しくなることで、理想の自分を作り上げていくのです。ハナコ様は思慮深く博識でいらっしゃいます。今のハナコ様には宰相閣下ですら足元にも及びません」


 リカルドの様子を伺っていたフリーデが、助け舟を出す。華子から見えないように、すっかり舞い上がってしまっているリカルドの尻の肉を摘まむと、有無を言わさない雰囲気でリカルドを叱った。


「殿下がそんなことではどうするのですか。しっかりエスコートなされてください」


 フリーデの思わぬ攻撃にリカルドは気を取り直して華子を見る。尻の辺りが地味に痛いがここは我慢だ。


「ハナコ、私が側に控えております。答えたくないことには答えなくてよいのです。無礼な物言いをする者は私にお任せくだされば、即刻つまみ出して差し上げます」

「でも……それではリカルド様の立場が」

「心配には及びませんぞ。そこは王家の威光を使えばよろしいのです。普段は邪魔なものですが、こんな時は役に立ちますな」


 リカルドはこともなげに言ってのけるが、華子には大事おおごととしか思えない。


「とりあえず気を付けて置かなければならない人物は、尖った眼鏡の宰相のフェランディエーレと禿げ宰相補佐のマルティラック、お腹がはちきれそうなパンディアーニ……」

「ま、待ってください!!宰相様と大臣……えっとマルティラック様?パ、パンディアーニ様……」


 次々と名前と特徴を挙げていくリカルドに華子は慌てて復唱しながらますます不安になった。要注意人物が多過ぎて覚えきれないし、変な特徴を思い出して笑ってしまったらどうすればいいのか。

 唯一、出会ってしまった宰相のフェランディエーレだけは顔を見たので覚えているものの、まさか尖った眼鏡とは……確かに尖っていたのでその通りなのだが。


「……チビのオブラドス公子と親父殿ですかな」

「オブラドス公子……親父殿、って国王陛下ですよね?」

「左様です。お恥ずかしながら一番気を付けなければならない人物でございます。と言いましても御年九十七を迎えた爺さんですから、適当にあしらっておいても大丈夫ですよ」


 九十七歳の国王と聞いて華子は衝撃を受けた。

 リカルドという六十歳の息子がいるのだから、それなりに高齢とは思っていたが、予想を遥かに上回る御大ぶりだ。

 しかしここは異世界、リカルドも華子の知る六十歳とは少なからず違うのできっと国王もそうなのであろう。適当にと言うが、そんなことをする勇気もないし、ましてやリカルドの父親でもある。穏便に刺激を与えないようにやり過ごそうと華子は思った。

 それにしてもリカルド様は白い制服がよく似合っており、恰好良すぎるのも目の毒だった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 宮殿の正面二階にある謁見の間は、天井を三階までぶち抜いた荘厳な作りになっていた。華子はリカルドの誘導で、中央に位置する玉座から続く赤い絨毯の真ん中に立ち、国王を待つ。

 華子を中心にして、両側にそれぞれ十数名ずつやんごとなき人々が立ち並び、玉座の背後にはリカルド以外の王族が並んで座っている。国王がご高齢であるため当然王子たちもご高齢であるのだが、それにしては人数が足りない。もしかしたら体調がすぐれずこの場にいないだけかもしれない……なにせご高齢なのだから。

 華子は注目を浴びていることを気にしないように、真っ直ぐ前を向いていた。キョロキョロするわけにもいかないので、隣でエスコートしてくれているリカルドに視線を向けながら周りを観察する。目の前にある空っぽの玉座の隣に立つ男が、宰相のフェランディエーレで間違いないはずだ。

 確かに眼鏡が尖っているし、あの陰湿そうな顔はあの日見たものと同じだった。

 他にも、リカルドの教えてくれた特徴通りの人物がちらほら見えると、華子は思わず吹き出しそうになりなんとか堪える。

 まったく何ということを教えてくれたのか。


「クリストバル・ファン=バウティスタ・デ・レメディオス七世陛下、ご入場にあらせられます」


 しばらくすると、赤い制服を着た近衛騎士が国王のお出ましを告げた。


 いよいよだと覚悟を決め、華子は教えられた通りに静かに膝を折り頭を下げて国王が玉座につくのを待つ。ドレスを軽くつまんで持ち上げている腕と、中途半端に曲げた膝がふるふると小刻みに震えてしまうのは仕方がない。視界の端に映る宰相や高官、有力貴族たちも同じように頭を下げているが、華子とは違いやはり様になっている。

 静かな部屋に微かに響く衣擦れの音が止み、玉座がギシッと音をたてる。


「よい、面を上げよ」


 想像よりも力強い国王の声が響いた。

 周りの者はそれを合図に身体を起こしていくが、華子はまだ頭を下げたままで待機する。華子はこの国の国賓とはいえ、ただの異界の客人まろうどであり当然偉くもない。失礼のないように、また良い印象を持ってもらうために礼儀を尽くす。


「異界の客人よ、そなたも面を上げるとよい」


 さらに促され、ここでようやくゆっくりと膝を伸ばして状態を起こすと国王が身をのりだすようにしてこちらを凝視している。まだ完全には顔を上げてはいないが、華子の目には国王の顔がしっかりと見えていた。


 リカルド様に面立ちがそっくり……。


 やはりリカルドの父親なのだ、と華子は確信する。白髪の優し気な灰色の目をした御大が、リカルドの何十年か後の姿に見えてくる。

 九十七歳であり紛れもない高齢の国王であるが、若い頃はさぞかし凛々しく、そして女性の憧れの的であったのだろうことが容易に想像できた。


「客人よ、がこのフロールシア王国の国王、クリストバル・ファン=バウティスタ・デ・レメディオス七世である」

「拝謁できる栄誉に恵まれたことに、大いなる感謝を申し上げます、国王陛下」


 ここまでは順調である。

 フリーデに教え込まれた通り、謝辞を述べる以外は促されるまでは口を開かない。


「よいよい。して、そなたの名前は」


 国王の表情は穏やかであり、今のところ周りの者たちも華子の対応に不満はないようだ。華子の横に立つリカルドも緊張を解いている。


「はい。私の名前はハナコ・タナカと申します」


 玉座に座る国王と華子の視線が交わった。

 謁見の儀は始まったばかりである。

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