第21話 小さな恋心の芽生え

 しばしの間見つめ合い、その温かな光に身を委ねていた華子は、はたと我に返る。そしていつの間にか、リカルドから支えられるようにしてふんわりと抱き締められている状況に、一気に身体が熱くなった。


「これ、どうしたらいいんですかっ! 」


 華子はそれを誤魔化すように、慌ててリカルドに助けを求める。華子の全身から出てくる虹色の光は、熱くもなければ眩しいと感じる強烈さもない。精々電球色くらいの明るさで室内に溢れているので、まるで人間電灯になったかのようだ。

 華子がこの世界で自分の『魔力』を見たのはこれが初めてであった。

 一度無意識のうちに解き放ったことがあるが、その時は目覚めぬままリカルドが落ち着かせているので、今になるまで知ることはなかったのだ。


「今しばらく、このままで……」


 魔力を制御する訓練はおろか、魔力を持っていることすら知らなかった華子には説明しても難しいだろう、と判断したリカルドは華子の左手のひらに自分の左手を重ねる。


「魔力を上手に扱うにはコツがあるのです。……ハナコ、ご自分のお腹の辺りに集中してくだされ」

「えっ、お腹? 」


 そう言われた華子は自分のお腹を見た。先ほどリカルド見ていてキュッと引きつれ、じわじわとした感覚を生み出したお腹は今も少しこそばゆい。よくわからないがやってみるしかないと、華子はそのこそばゆさの中心に意識を集中する。


「その調子ですぞ。今度はそのまま魔力をその中心に集めるように……ゆっくり、そう、溢れ出した温かな魔力を閉じ込めて、急いではなりません」


 リカルドの低く静かな声に導かれて、華子は虹色のたゆたうような光を、お腹の中心ーー子宮辺りに注ぎ込むイメージをつくる。すると部屋中に溢れていた虹色の光が徐々に薄く、小さくなっていくことに気がついた。そして、重なり合った左手から別の温かな何かが注ぎ込まれていくような感覚を感じる。左手に目をやると、リカルドの手がほのかなオレンジ色に輝いており、華子の虹色の光を抑え込むかのように塗り替えていく。

 この色をどこかで見たことがあると華子は思った。


「……リカルド様の魔力の色? 」


 この世界に落ちて来た時に、華子が包まれた優しく力強い光がこれと同じ色をしていた。この間見たフェルナンドの魔力は青かったので、どうやら魔力には個別の色があるようだと華子は推測する。


「そうです。私の魔力はこのような橙色をしています。いわゆる『情熱の色』と呼ばれておりますよ」


 華子の魔力を完全に制御し終えたリカルドは、合わせた左手はそのままにしてにっこりと笑った。瞳の色は鮮やかな水色に戻っている。


「ハナコはとても良い生徒ですな。魔力に対して素直で、丁寧に扱える素養をお持ちだ」


 魔力は万能ではない。

 魔法や魔術、いわゆる魔法術を使う者には必ず得手不得手があり、その別は魔力の素質によるところが大きい。ちなみにリカルドは魔力の色からもわかるように、火や熱といった魔法術を得意としていた。自身の魔力を素直に受け入れ、それを丁寧に扱い伸ばしていけば、よりよい魔法術を使うことに繋がるのだ。

 リカルドはきょとんと目を瞬かせている華子の様子が可愛くて、その頭を優しく撫でてやる。


 ううむ……触り心地のよい髪だ。


「リ、リカルド様っ!! 私の魔力は無いに等しいのではなかったのですか? 」


 照れた様子の華子が慌てたように言葉を紡ぐ。


「まさしくその通りにございます」

「では今の光は一体何なのですか? 」


 リカルドからはぐらかされている、と勘違いした華子は訝しげに問い詰めた。どうも何かを隠しているように思えてならない。


「しいて言えば、私を呼ぶためだけの魔力と言えます」

「呼ぶ? 私が、リカルド様を? 」

「左様、アルマ同士が呼び合った結果でございますよ。私は瞳に、ハナコは魔力に……虹色の発現箇所は人によりそれぞれ異なります。今のは私がハナコを呼んだ結果、ハナコがそれに応えたのです。そうでございましょう、ハナコ? 」


 いきなり同意を求められても返答に困る。

 リカルドに呼ばれたから応えた、と言われても華子には自覚がない。ただ、虹色に輝くリカルドの瞳に惹きつけられただけだ。他意はない……ないはずだというのに即座には否定はできない。

 リカルドが華子のことを『ハナコ』と呼ぶようになり、華子がリカルドの部下に対して幼稚な嫉妬心を抱いたあの日を境に、二人の間にはくすぐったくなるような親密な空気が生まれていた。以前にも増してリカルドからは明らかな好意が感じ取れる。

 それはただの好意ではない。

 干物女とはいえ、華子だって恋愛のなんたるか、ぐらいは話すことができるくらいの経験はあるので、知らないふりをすることはできなかった。しかし、素直に恋愛をはじめるには、二人の間には色々と問題が山積みになっているのだ。

 リカルドは六十歳であるが、そのカリスマ性と有り余る魅力と整った容姿には、抗い難いものがあることは認めている。それに加えて第九王子と竜騎士団長というステータスは、年の差など関係ないと思わせるには十分な条件であるだろう。

 それが、打算的ではないか、と華子は思うのだ。

 容姿や地位に目がくらむ、計算高い女だと、リカルドには思われたくはない。

 リカルドの優しさや、少しお茶目なところや、他人から聞いた仕事に取り組む姿勢など、人間的魅力にどんどん惹かれていくのに、そのやんごとなき社会的立場が、あと一歩を踏み込むことを阻む最大の障害に思えてならなかった。

 一般人の、しかも異世界から来た人間の華子がリカルドに釣り合うはずもない。いっそのことリカルドが隠居していればよかったのに、と華子は残念に思う。そうすれば家政婦として雇ってもらい、リカルドの身の回りの世話をしながら、一緒にのんびりと暮らしていけるのに。


「リカルド様がいけないんです」

「私がですか? 」

「そうです! リカルド様が無駄に恰好いいのがいけないんです! 」

「なっ?! 無駄に……」


 華子は勢いよく踵を返してリカルドの言葉を遮ると、これから所作の練習をするので失礼します、と言い残し侍女の控え室へと消えていった。


 無駄に恰好いいとはどういう意味ですか……。


 虚をつかれたリカルドの口から発せられることなく消えていった質問に、答えてくれる人はいない。

 恰好いいと思ってくれていることに喜んでよいのか、それとも恰好いいことが無駄であると言いたいのか。何にせよ、華子がリカルドを意識し始めていることは確かである。

 リカルドとて、何もアルマということに固執するつもりはない。立場も年齢も住む世界さえも違う華子が、リカルドのアルマであったことは驚きであったし、それに歓喜したことは確かだ。

 異世界のアルマなど聞いたこともないリカルドにとって、華子は未知なる存在であった。二人の出会いはあまりにも衝撃的であり、もしも相容れない者であったらそれまでだ、ともちらりと考えた。

 しかし何故か会った瞬間から魅了され、さらに一人の人間として見た時に、リカルドは華子を好ましく感じてますます手離せなくなっていったのだ。


 控え目な礼儀正しい華子。

 真面目で、きちんとした信念を持つ華子。

 素直で朗らかで……この間は嫉妬という意外な一面を見せてくれた華子。


 コンパネーロ・デル・アルマということよりも、華子である、ということの方が大切になってしまったとリカルドは思う。そう、フェルナンドから『頭に花が咲いた』と揶揄されるほどに。


「参りましたな……」


 リカルドは初恋に戸惑う少年のように、火照る顔を両手で隠したのであった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 一方華子は、ノックもそこそこに侍女の控え室に身を隠した。


 言ってしまった。

 とうとう言ってしまった!


 リカルドを恰好いいなどと言うつもりではなかった。しかしあまりにも余裕を見せるリカルドの態度に、華子の口が思わず滑ってしまったのだ。


「ハナコ様、落ち着かれましたか? 」


 侍女のイネスが気遣わし気に華子を伺う。


「えっ、あ、ええ……まあ」

「魔力も元に戻っているようですし、この間と同じでしょうか? 」


 この間とはどういうことなのだろうか。華子にはわからない。


「この間と同じって、以前にも何かあったのですか? 」


 華子は純粋に疑問を持ってイネスに聞いてみたのだが、イネスはその質問に明らかに『しまった』という顔をしてしまった。


「どうしたのイネス? 」

「何でもございませんわ! 」


 取り繕ってももう遅い。

 華子は若くは見えるが、人生経験豊富な三十路の社会人である。若者の嘘など容易く見破るスキルくらいは持っている。侍女としての経験の浅いイネスの失態であった。


「イネス、教えてくれませんか? 」

「……そ、それは」

「イネス、お願いします」


 華子の悲しげな声にラウラは良心が痛くなる。ジッと焦げ茶の瞳で見つめられ、華子にこのような顔をさせたいわけではない、とイネスは観念した。


「ハナコ様が来られた日に一度、アルマの共鳴が確認されました」

「そうなんですか?!はじめて聞きました! あの、どんな、感じだったのですか? 」

「それは……ハナコ様がお疲れになって休まれていた時、急に虹色の光と膨大な魔力がこの部屋に溢れ出したのです」


 その時控えていたのがイネスだ。先ほどの魔力よりもさらに大きく、近衛騎士すらもまったく歯が立たなかった。


「あまりにも強い魔力に、私も近衛たちもこの部屋の結界を護ることしかできませんでした。私たちではハナコ様に近づくことすらできなかったのです」

「私、私が? 」


 信じられないというように華子は頭を横に振る。ただ疲れて寝ていただけなので、にわかには信じ難い。


「殿下が駆けつけてくださって、直ぐに魔力は収まりました。フェルナンド文官長は殿下とハナコ様が呼び合ったのだと推測されています。だって、私たちには近づけない魔力だったというのに、殿下は柔らかな美しい光と仰られたのですもの……ベッドの上で寄り添われるお二人。ああ、愛の力とは美しいものですわ」


 イネスはうっとりと溜め息をついた。はじめて目にするアルマの共鳴があまりにも強烈で、しかも美丈夫のリカルドと、謎めいた魅力の華子によってそれはもたらされた。恋愛に夢を抱く十九歳のイネスにとっては、憧れ以外の何ものでもない。

 一方、華子はイネスの説明に目を白黒させていた。

 リカルドからは何も聞いていないが、その理由は何だというのか。華子にとって、何か都合の悪いことでもあるのか、それとも、アレッサンドロ医術師長が教えてくれた事実は全くの嘘で、実は華子は、物凄い魔力を持っていて、危険視されているのだろうか。

 しかしそれ以上に、華子が知りたくもあり、知りたくないことがあった。

 イネスが言うには近づくことすらできない魔力を、リカルドはどうやって収めたのだろう。


 愛の力って……?


 リカルドは一体どんなことをして、魔力を抑えてくれたのだろうか。今日、華子を導いてくれたときは、その手にオレンジ色の魔力を灯し、華子の魔力と混じり合わせるように手を重ねてくれていたが。

 未だ妄想にふけっているイネスを尻目に、今後どんな顔をしてリカルドと会えばよいのかわからなくなった華子は、火照った顔をパタパタと手で扇ぎながら、深い深い溜め息をついたのであった。

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