第20話 虹色の魔力
華子がこの世界に来てから三週間が過ぎようとしていたある日、ついに華子の健康診断結果が出た。午前中にアマルゴンの間を訪ねてきたアレッサンドロ医術師長が、気になっていた診断結果を説明していく。
「特に問題のある病気はないですな。ハナコ殿は比較的健康です」
珍しい病原菌や特出すべき重大な怪我はないらしい。変な病気にはかかったこともないし、最近は風邪すら引いたことがなかったので華子は安心した。しかし、アレッサンドロ医術師長の言う「比較的」という言葉がひっかかる。
「あの、何かよくないところでもあるのですか? 」
「そうですな。はっきり申しますと、ハナコ殿は栄養失調と過労、ですかなあ」
身長に比べて体重が軽過ぎる、きちんとした食事と質の良い睡眠を取るべきだとアレッサンドロ医術師長は華子をたしなめる。
飽食の時代に栄養失調とは……。
確かに痩せ気味ではあったのだが、やはりスーパーの値引き品のみでは必要な栄養を補給できていなかったらしい。
「こんな年若いお嬢さんが栄養失調と過労などとは。ハナコ殿の世界は随分辛いところだったのでしょうな。かわいそうに」
年若いというところは非常に遺憾であったが、華子はアレッサンドロ医術師長の誤解を訂正することが出来なかった。派遣の仕事と幾つかのアルバイト生活で過労とは、なんだか恥ずかしい。
「でも、ここに来てから三週間も経ちます。その間、至れり尽くせりで美味しい物をたくさんいただきましたので、今は大丈夫です」
最近は太ってきたと思っていたぐらいである。ここに来てからリゾート地にいるような生活をしているので病気になる原因すらない。
「ええ、顔色もよろしいですし、これなら大丈夫でしょう」
「それじゃあいよいよ、謁見……ですか? 」
急に緊張してきた華子に、アレッサンドロ医術師長は和かに微笑んだ。
「近日中にそうなるかと。早くハナコ殿と話したいと陛下も首を長くして待ち望んでおられると聞き及んでおりますよ」
どうやら、ただ傅いて頭を下げているだけではすまされないようだ。自立の第一歩ではあるが、気が進まないと華子は大きく溜め息をついた。
「後、ハナコ殿の魔力測定の結果ですが……」
「何かわかったのですか?! 」
自分にも少しは魔力があると聞いてから、ずっと気になっていたことだ。この世界の人間は多かれ少なかれ魔力を持っており、生活においては魔法や魔術なしには暮らしてはいけないほど大切なものである。
華子の世界でいうライフライン–––– いわゆる電気ガス水道といったものはすべて、魔力や魔法術で賄われているので、魔力のない華子には使うことが出来ないものもたくさんあるのだ。宮殿内では、華子の世話をしている侍女たちがなんでもしてくるが、魔力のない世界から来た
「そのように期待されてもですなぁ。大変言いにくいのですが、ハナコ殿の魔力はほんのちょびっとしかないのですよ」
アレッサンドロ医術師長は、親指と人差し指の間をほんの少しだけ開けて華子に示してみせる。
「ちなみに私はこれくらいですな」
そしてもう片方の手で天井を指し示した。あまりの差に、何と言えばいいのかわからない。
「それって、私の魔力に何か意味はあるのですか? 」
「ありますぞ。まず、異界の客人で魔力を持つ者の確率は半分といったところです。さらにこの世界の魔力の本質と適合する確率は、さらに半分になりますな。ハナコ殿はほんのちょびっとですが、この世界に適合する魔力をお持ちなのですよ」
華子の世界には魔法などなかったのだから、これはもう奇跡である。アレッサンドロ医術師長も、どこか得意げだ。
「私の魔力……あの魔法術検定で言えばどれくらいですか? 」
使えるものなら使ってみたい、と思うことは贅沢なのだろうか。何か資格が取れたら仕事選びにも幅が出てくると思い、華子は駄目元で聞いてみる。
「うーむ、残念ながら資格外かと。まあ、落ち込むことはありませんぞ。灯りの魔術式を発動させたり、
アレッサンドロ医術師長のきっぱりとした回答に、華子は喜ぶべきなのか否か図り兼ねていた。
アレッサンドロ医術師長が退出した後、本日当番の侍女のイネスとラウラに陛下への謁見について報告しておこうと思い、華子は二人を呼び寄せる。
「それでは、いよいよ謁見なのですね! 」
華子の話を聞いたイネスが何故か張り切り、目に輝きが灯る。いそいそとクロークに向かって行ったところから謁見のためのドレスでも選ぶのだろう。
「もうっ、イネス! ハナコ様すみません、あの子ったらはしゃぎ過ぎですわ」
スタイルのよいラウラは豊かな胸の下で手を組んだ。
「イネスの美的感覚は信頼していますけど、あまりに豪華なものだと陛下の前で粗相してしまいそうです……」
「そんなに気を張らなくても大丈夫でございます。謁見までの間、所作を練習いたしましょう」
「えっ、またですか?! 」
今までも、この世界での常識や宮殿での立ち振る舞いを散々習い練習してきたのだが、まだ足りないというのか。
「私たちも畏まった式典などに出席する際は、何度も何度も練習いたしますわ。裾さばきも随分と上達されたではないですか。あと少しですから頑張りましょう」
華子はふいにパンツスーツとペタンコパンプスが懐かしくなった。歩幅を気にせず、足を挫くことなく、どこかに引っ掛けることも、汚れることも気にならなかった。さらに言えばアルバイトのゴワゴワした作業着はドレスに比べると数百倍は気楽に着ることができる最強の服だと感じる。
「もう一生分ウエディングドレスを着たような気がするなぁ……」
結婚するつもりもない、というか、結婚できるかも怪しかったことを思えば貴重な体験とも言える。
「リカルド殿下から正式に話が来ましたら、早速始めましょうね、ハナコ様?」
イネスといいラウラといい、どうしてこうも前向きで元気なのか。
それが若さというものかしら……私も若かったはずなのに、おかしいわね。
そう思い、華子は小さく苦笑する。もう一人の若い侍女、ドロテアのパワフルさを思い浮かべた華子は、仕事をしながら自立するために体力をつけようと思うのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「謁見の日程が決まりましたぞ!!」
リカルドがその知らせをもたらしたのは健康診断の次の日の午後であった。なんでも昨日の午後の会議で決定し、今日の午前中に決裁が取れたのだそうだ。
「緊張します……それで、何時でしょうか」
華子はドキドキしながらリカルドの答えを待つ。
「四日後の午後でございます。親父殿も色々と要件がありまして、遅くなることに申し訳ないと言っておりましたよ」
「いえいえ!! 陛下の御手を煩わせてしまっているのは私なんですから、私の方こそ申し訳ないです」
陛下のお言葉に恐縮しながらも、いきなり明日とかでなくて良かったと息をつく。まだ、所作を練習する時間はある。
「ハナコが謝ることはまったくありませんぞ。大体、ここまで引き延ばされたのも、親父殿の我が儘が原因なのですから」
そう言えばいつだったか、学者たちから国王が直接会いたいと言っていると聞いていたことを思い出す。国王はリカルドの父親でもあるのでなんだか余計に緊張してしまうが、逃れる術はない。
「あの、謁見って何か特別なことをしなくてはならないんですか? 」
以前のリカルドの説明であれば、たくさんの偉い人たちと顔を合わせなければならなかったと記憶している。
「少しばかり質疑の時間が設けられることになりまして……力及ばず申し訳なく思います」
華子の嫌がることは極力したくはないリカルドであるが、やはり立場もある。しかし、心ない貴族や高官の意地の悪い質問を受けるかもしれない、と思うとリカルドは心配でならなかった。
過去にも、何が気に入らないのか客人に対して厳しい質問を浴びせる高官が山ほどいた。中でも華子と同じ世界の出身だという警務隊の男などは国王との謁見後、尋問ともいえる質疑の場を設けられたのだ。最も、彼の男の場合は心配するまでもなく、淡々とその場を切り抜けていたが。
また悪いことに、華子がリカルドのコンパネーロ・デル・アルマであることは周知の事実になってしまっている。
これでは反客人派のいい標的だ。
宰相は必ず、華子を口撃してくるだろう。
現に、父王の一声により謁見がガラス越しではなくなったときに、華子を徹底して調べ上げろ、という意見が反客人派から上がっている。これには政治的発言をしないリカルドも、権力でねじ伏せたが。
リカルドは今更ながら、自分の軽率さを呪った。
「その、中には心ない者もおりまして、ハナコには嫌な思いをさせてしまうのではないかと……」
「私なら腹を括りましたから心配はいりません。女は度胸です!! 私の前の職場にも嫌味な上司はたくさんいましたから、受け流すなんて簡単ですよ」
「しかし、宰相の派閥はかなり手厳しいのです」
「あの廊下での方ですね? 弁が立つ方だと思いますけど、頑張ります。クレーマー……何癖をつけてくる人なんて、どこにでもいますから」
どこの世界にもいるものなんだな、とある意味感心しながら華子は力説した。リカルドの申し訳なさそうな心配顔を見ると、胸がつきんと痛くなる。そんな表情はリカルドには似合わない。
「リカルド様、私って見かけによらず結構打たれ強いんですよ?」
「……そうですな、ハナコはとても強く、努力家で優しくていらっしゃる」
リカルドの鮮やかな水色の瞳が虹色に煌めく。
華子は何度か見ているが、リカルドの虹色に変化する瞳はいつ見ても不思議で、温かい何かに包まれ護られているような気がするのだ。そんなときはいつも、お腹の真ん中がキュッと引きつるような、じわじわしたくすぐったい感覚にとらわれる。今回もじわじわしてきたので、華子はそっとお腹を抑えて感覚が過ぎ去るのを待つ。
と、今日はいつもと違う温かい何かが、お腹に置いた手のひらに触れた。
「何、これ」
華子は不思議な光を発する自分の指先を見て驚愕する。
「ハナコ?! それは……」
リカルドにも華子と同じように見えているのか、感嘆ともとれる呟きを漏らし、華子の手を恭しく取った。
「美しい、虹色の魔力ですな……とても優しくて温かい」
リカルドに取られた華子の手は、益々虹色の光を強く放つ。
「魔力? 私の魔力……ですか? 」
先ほどアレッサンドロ医術師長から駄目だしされたばかりだというのに。華子の魔力はほんのちょびっとしかないと測定されていたというのに、この輝きは何なのか。
「ハナコの魔力です。虹色は、アルマの共鳴なのですよ……私のコンパネーロ・デル・アルマ」
華子の両手を握り締めるリカルドの瞳も益々強く虹色に輝き、華子は自身の発する虹色の魔力に全身を包まれる。
考えられない状況に、しかし華子は不思議と恐怖を感じることはなかった。
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