第19話 密かな決意〜華子

「殿下……わかっておいでですね? 」


 鬼のような形相とはこのことを言うのだろうと華子は思った。

 リカルドを迎えにきたフェルナンドは、辺りに冷気を撒き散らし、般若の如く顔を歪めている。フェルナンドを中心に半径二メートルくらいは地面が凍りつき、馬も怯えて近寄らない。心なしかフェルナンドがかけている銀縁眼鏡も、冷気で曇っているように見える。


「ごめんなさいっ! お昼が過ぎてしまったことに気が付かなくて、本当にごめんなさい」


 いたたまれなくなった、というか、フェルナンドの気迫と魔力に耐えられなくなった華子は、土下座せんばかりの勢いで深く頭を下げて謝る。


「ハナコ様?! 」

「ハナコ!! 」


 その様子に怒っていたフェルナンドも、怒られていたリカルドも慌てて華子の頭を上げさせる。


「ハナコ様の所為ではございません! 悪いのはこの考えなしの殿下です。本当に最低ですね、殿下。ハナコ様にまで気を使わせるとは。まったくいつもいつもいつもいつもフラフラフラフラと」

「まだ半刻も過ぎてないし、伝言も残していたはずだぞ?! それよりその魔力をどうにかしろ! ハナコが怯えているだろう……ハナコ、大丈夫でございますか? 」


 リカルドは悪びれもせず、華子を気遣って防御の結界を張り直している。

 フェルナンドはリカルドが『ハナコ』と名前を呼び捨てしたことに気が付き、片眉を器用に上げた。何やら関係が進展したようである。後から話を聞き出そうと思い、フェルナンドは随分離れたところに立ってこちらを見ている伝令長に視線を投げた。すると伝令長はフェルナンドの言いたいことがわかったのか、こちらに向かって魔法術で作ったセレソ色の花弁を飛ばしてきたではないか。

 なるほど、本当に何かあったらしい。

 フェルナンドは冷気を鎮めると、馬を呼び寄せひらりとまたがった。


「ハナコ様に免じて今日は不問にして差し上げます。しかしながら殿下、次はありませんからね。肝に命じておいてください」

「少しぐらい良いではないか。毎日毎日机に向かっていれば、たまには息も抜きたくなる」

「息を抜いていただいて結構です。仲良くしていただくのも止めはしません、むしろどんどんやってください。ただし、行き先と要件は事前に教えてくださいと言っているんですよ、わかりますか? 」

「わ、わかった、善処する」

「それと、貴方はこの国の王子なのですからお伴の一人や二人は連れて行ってください」

「私を幾つだと思っている」

「年なんか関係ありません!! 」

「……わかった」


 フェルナンドの勢いと発言の内容に驚いたのか、リカルドが珍しく素直になる。


「ハナコ様、気に病まないでくださいね? 国賓であるハナコ様にも何かあっては遅いのです。丁度良く竜騎士もいることですから、護衛をつけてからお戻りくださいませ」


 フェルナンドは優しい表情に切り替えて華子を気遣うと、先に戻りますとだけ言い残し、馬を走らせて帰って行った。


 なんだかこの状況、見たことあるわ……。


 怒涛の如く立ち去ったフェルナンドを茫然として見送った華子は既視感を覚えた。どこで見たのかと少し考え、リカルドの顔を見たときにあっと思い出す。華子がこの世界に来た初日、フェルナンドが出迎えてくれた際にも同じようなやり取りを見たのだ。確かあのときも、フェルナンドはリカルドが何も言わずに会議を抜け出したことを咎め「次はない」と言っていた気がする。案外このやり取りは、リカルドとフェルナンドの間で繰り返されているのかもしれない。華子は申し訳なさそうに肩を落とす傍のリカルドに「戻りましょう」と微笑んで見せた。


「……水を差すようなことになってしまい申し訳ありませぬ」


 リカルドはカルロスが白い馬を連れてくる様子に目を移しながら、華子に謝罪する。反省しているようで、歯切れが悪い。


「いいえ、今日は本当に楽しかったですから。誘っていただきありがとうございました」

「フェルナンドは心配性な故、昔からああなのでございますよ」


 リカルドはカルロスから馬の手綱を受け取り、ひらりと跨ると初めと同じように華子に手を差し出した。


「心配性なのはバニュエラス家の伝統のようなものですよ。私なんかいつも見てますからもう慣れましたけど、今日はまだ序の口ですね」


 カルロスはまるで天気の話でもするかのように、こともなげに言ってのけた。

 そんなカルロスの言葉に、バニュエラス家と言えば先程執務室で見た写真に写っていた、リカルドが竜騎士団長に就任したときの副団長もバニュエラスという名前だったと思い出す。フェルナンドはそのバニュエラス副団長の身内なのだろう。


「ハナコ様、団長のことをお頼み申し上げます。まったくこの団長ときたら昔から、フェルナンド文官長の勧告も右から左なんですから」

「今日は伝言は残してきたと言っている! 」

「直接話しておいてくださいよ」


 リカルドとカルロスが、恒例となりつつある言い合いをしている光景を眺めながら、華子はリカルドに同情した。

 王子として産まれてから今まで、竜騎士団長としては十年近くリカルドには真の意味での自由はなかったのだ。その立場上、いつどこで何をするのか逐一報告する義務があるとはいえ、それでは窮屈ではないだろうか。華子にも今は自由がないに等しい状況である。一体いつになれば国賓から抜け出し、自立できるようになるのか見当もつかないが、まさか、やることなすこと全て報告の義務が付随してくるのだろうか、と心配になる。


「リカルド様? そろそろ戻らないとフェルナンド様が拘束しに来ちゃいますよ? 」


 華子は暗くなってしまった思考を吹き飛ばすために戯けたつもりであったが、リカルドとカルロスはその言葉に一気に青ざめた。


「ハナコ!そんな恐ろしいことを思い出させないでくだされ! 」

「冗談じゃありませんよ! 私が送りますから、さっさと仕事に戻ってください! 」


 本当に、やんごとなき身分の方は大変なようだ。



 リカルドと一緒に昼食をとってからしばらくの間、フェルナンドは銀縁眼鏡を鋭く光らせて動向を監視していたらしく、執務中はリカルドがどこへ行くにもフェルナンドもついて行く、という光景が見られたという。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「ハナコ様、お持ちしましたけど……こんなものどうするんですか? 」


 アマルゴンの間の猫脚のソファに座り、すっかり習慣となって読み続けているバヤーシュ・ナートラヤルガの赤い本を畳んだ華子は、侍女のイネスが持ってきてくれたものに飛びついた。


「ありがとうイネス! 凄い量ね、こんなにあるなんて知らなかったわ」


 華子がイネスに頼んだもの–––– それは雑誌である。しかもこの国の求職雑誌だ。

 リカルドとの昼食会後、華子なりにこれからのことを考えた。客人まろうどではあるが、このまま宮殿で暮らしていくわけにはいかない。今までの客人たちも余程のことがない限り、宮殿を出て自活の道を歩んでいるというのに、華子の場合はリカルドのコンパネーロ・デル・アルマという立場にあるので、どうやらこのまま宮殿の住人になりそうな勢いであった。

 それは華子的にはよろしくない。

 働かざる者食うべからずなのだ。

 そんなこともあって、あからさまに自立したいから仕事探しますとは言えないので、さり気なく「この国の職業ってどんなものがあるのかしら?」とか「お給料ってどうなってるの?」とか「私のいた世界とどのくらい違うのか興味あるの、資料とかあればいいのだけれど」と聞いてみたのだ。


 早速華子は『フロールシアンが選ぶ憧れの職業百選』という雑誌を開く。

 上位にはやはり官公庁の役職がずらりと並んでいた。リカルドの所属する竜騎士などは第三位だ。特に男性と子供の支持が高く、当然待遇もよい。ちなみに一位は医術師で、二位は近衛騎士であった。しかし華子が探しているのは、一般的でもう少し平凡な職業である。


「ねえイネス。この魔法術検定ってなにかしら。一種二種とかあるみたいだけど」


 例えば竜騎士の要資格欄には魔法術検定第二種、第一類は必須、第二類〜第七類の別問わず、と書いてある。


「ハナコ様の世界には魔法術はないんですよね。それは魔法術の資格です。私たちは学校で魔法術の資格を取るんですよ。幼年学校では魔法術検定第四種、少年学校では第三種といった具合に。第三種まではほとんどの人が持っています」

「この第一類とか第二類は? 」

「それは魔力の種別なんです。攻撃や防御、属性などで分かれています」


 この世界は、魔法と生活が切り離せないものになっている。どの職業にも魔法術検定の資格が必要となっているようで、雀の涙程度しかないらしい華子の魔力ではとうてい無理だ。


「イネスも資格を持っているのね」

「はい。私たち宮殿の侍女は皆第一種を取得していますわ」


 誇らし気に答えたイネスはまだ十九歳である。かたや三十路で非正規社員で、資格といえば漢字検定三級と短大で取った簿記検定二級しか持っていない華子は、なんとも言えない気持ちになった。

 結局『フロールシアンが選ぶ憧れの職業百選』にはできそうな仕事はなかったので、華子は『働く人々セレソ・デル・ソル版』と『求む!働き手』という商工会が出している薄い雑誌を手に取る。この際店子だろうが、清掃員だろうが関係ない。魔法の資格がいらない仕事で生活していければそれでいい。パラパラとページをめくりながら華子にもできそうな仕事をくまなく探す。商工会が出している雑誌には、華子でも出来そうな仕事があるにはあるが、給金の欄の金額が安い。この国の家賃相場はどれくらいなのだろうか。


 掛け持ちできるかしら。


 そう考えて、華子は愕然とする。

 これでは、元の世界の自分となんら変わりがないではないか。派遣社員でアルバイトを掛け持ちし、くたびれて干物女と化していたあの生活を、この世界でもするのか。

 そのとき、華子の目にある仕事の文字が飛び込んできた。


『求む、事務員! 資格:タイピング能力を有する者。給金:日当八千ペセッタ(歩合制)週休一日、その他月二日休み有。面接とタイピングの試験で合否を決めます』


「ねえ、イネス? タイピングって何? 」


 華子の声が少し上ずる。


「タイピングですか? ハナコ様はタイプライターってご存知ですか? 今ハナコ様がお読みになっている雑誌や書類なんかの文字を手書きではなくて……えっと、ボタンみたいなのを押して文字が写るような」

「そのタイプライターなら知っているわ! 文字が書いてあるボタンを押すとその文字が印字されるんでしょう? それって、魔力とか使うの? 」

「魔術式が組まれているから必要ありませんわ。多分ハナコ様でもお出来になるのではないかしら……ただ、タイプライターはハルヴァスト帝国で新しくできた技術で、タイピング板の配列を覚えるのが大変ですから、宮殿でも手書きの方が多いのです」


 タイピングなら得意だ。だって派遣先ではずっと聞き起こしをしていたのだから。華子は雑誌を握り締め、心の中でガッツポーズを決めた。

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