第17話 竜騎士団へようこそ ①

「むさ苦しいところで申し訳ありません。臭かったら遠慮なく言ってくださいね。野郎共を叩き出しますんで」


 竜騎士団本部を案内してくれることになった伝令長のカルロスは、話してみると気さくな人物であった。


「いやー、やはり女性がくると本部も違いますな。清々しい! 」

「ご迷惑ではないかしら」

「いいえ、まったく。仮に文句があったとしても団長に対してですからお気になさらずに」

「悪かったな……いや、すまない」


 カルロスは、華子の横を歩いているリカルドをチラリと振り向いた。ぼそりとやや不満気に謝罪の言葉を呟いたリカルドだが、これはリカルドの方が悪い。一応昨日の時点で近日中に華子を連れてくるかもしれない、とは伝えていたものの、何時連れてくるかはっきりと言っていなかったのだ。

 そもそも華子は国賓なので、カルロスはまさか昼休憩の時間帯に、まさか馬に乗って、まさかリカルドと二人だけでやって来るとは予想もしていなかった。文官長のフェルナンドからも何も聞いていなかったので、おそらくリカルドの独断で連れてきたに違いない。


「団長の我が儘に付き合わされてハナコ様も大変でしょうに」

「そんなことありません! いつも気を使っていただいているんです。あの、私がこっちに来てからずっとリカルド様を独り占めにしているみたいで、申し訳ありません」


 リカルドも多忙であろうに、合間を縫って華子のために尽くしてくれている。華子には心強いことだが、リカルドにはたくさんの肩書きと責任があるのだ。


「とんでもない! むしろ我々の方が助かっていますよ。我々竜騎士団の士気も上がりますし、これからも団長のことをよろしくお願いします」

「えっ、た、助かっているのですか? 」

「それはもう、我々竜騎士団一同ハナコ様のことを待ちに待っていましたから」

「カルロス!! 後で覚えておけ」

「本当のことじゃないですか。よかったですねぇ、団長」

「うるさいぞ! 前を向け、前を」


 何故かリカルドは、苦虫を噛み潰したような表情でその癖目元を赤らめていた。華子はリカルドの紳士然とした態度しか見たことがなかったので、リカルドの新たな一面を見て新鮮な気持ちになる。口調も雰囲気もいつもとは違う。少し乱雑なやり取りに、拗ねたような顔。華子の知らないリカルドの新しい一面に、華子の心は踊った。

 だが一方で寂しさもある。

 リカルドが普段、華子に対して並々ならぬ配慮をしてくれていることが改めてわかったのだ。華子と話す時は、いつもとても丁寧な言葉を話してくれる。しかしそのことに、リカルドとの距離を感じてしまう自分もいる。

 まだ言い合っているリカルドとカルロスのように、もっと気軽に打ち解けたい。

 リカルドには王子という立場と竜騎士団長の立場があり、華子ごときが気安く接してもいい人ではないと頭では理解している。しかし目の前で繰り広げられている舌戦がひどく羨ましいと共に、置いてきぼりにされたようなモヤモヤとした気持ちにもなる。


「いいなぁ……」


 そんなことを考えていた華子は、思っていたことをそのまま口にしてしまった。


「はい? 」

「ハナコ殿? 」


 リカルドもカルロスも不毛な言い合いを止め、立ち止まって華子を見ている。


「あ、えっ? いえ、何でもありません」


 慌てて取り繕った華子に、目の前の男二人は納得してくれないようだ。


「何か気になることでもございましたか?」


 リカルドの口調は華子が知っている普段のものとなっている。


「やはり臭いですか? 気になりますか? 」


 カルロスが自分の身体をくんくんと臭ぐ。竜騎士たちは様々な革製品を身につけているので、団服が多少革臭いが、気になるほどではないと思う。


「いえ、そうじゃないんです。あの、お二人が、随分と親しそうだから、えっと」


 華子はどう説明していいのか考えあぐね、結局上手くまとまらなかったので、思った通りに口に出した。


「いいなぁって」

「いいなぁ……でございますか」

「ははあ、そういうことですか」


 よくわからない様子のリカルドとしたり顔のカルロスに、華子も恥ずかしくなってきた。これでは子供と同じである。


「ですから、私もリカルド様と、そんな風に親しく話してみたいな、と思っただけです」


 華子の言いたいことをやっと理解したリカルドの顔が盛大に真っ赤になった。要するに華子は、単純にリカルドと親しいやり取りをするカルロスに嫉妬していたのだ。


「し、しかしハナコ殿。こやつは私の部下でございますし、ハナコ殿にそんな失礼な言葉を使うことなどできません」


 華子の幼稚な嫉妬心にも、リカルドは態度を崩すことはない。華子は国賓であると共に、リカルドの大切な大切な、コンパネーロ・デル・アルマである。竜騎士であり部下であるカルロスと同じに考えていい存在ではない。リカルドの華子を大切に思う心が、自然と敬語になって現れているのであり、竜騎士用の汚い言葉を使うなど無理な話であった。


「それにハナコ殿も、私に敬語をお使いになられるではありませぬか」


 華子にこそ、もっと親しくして欲しいというのに。


「そんなのあたりまえです。リカルド様は王子様で竜騎士団長様です。敬って当然のお方じゃないですか」

「私に様はいりません。リカルドと申してください。呼びにくければリコと気軽に呼んでくださいませ」

「無理です! これでも譲歩したではありませんか。リカルド様こそ様は付けないでください、私なんかハナコで結構です」

「ぐっ」


 リカルドだってそう呼びたい。しかし、まだ何も進展していないこの状況で、いきなり呼び捨てにして大丈夫なのだろうか。

 今はこんなリカルドでも、昔は派手に遊んでいた時期があった。昔取った杵柄とは言いたくはないが、女性の扱いはうまい方だと思っていたのに、いざ本命の女性を前にしたらどうだ。失うことばかりを怖がるあまり中々前へと進めないリカルドは、まるで初心な少年のようであった。


「呼んであげればいいじゃないですか」


 ことの成り行きを見守っていたカルロスが口を挟む。その目は楽しそうだ。


「やれやれ。ハナコ様無理ですよ。団長は古い考えの人間ですからね。もしよろしければ私がハナコさんと呼びましょうか? 」

「ハナコさんはダメです! それはダメな呼び方、えっと、もっと親しみを感じたいです」


 幼少のころから嫌という程、某お手洗いの住人と揶揄されてきた華子にとって、その呼び方は禁句にも等しい。


「そうですか。では呼び捨てでも構いませんか? ああ、愛称と言えば、ハナコ様の名前には何か意味を込めてありますか? 」

「えっと、私の国の言葉で『華』は花、『子』は子供を意味するんです」


 そういえばこの国はフロールシア王国『花の国』だったと華子は今更ながら思い出した。


「それは素晴らしい名前ですね! 花の子供ですか。それではハナ、いえハナさんでどうでしょう」


 カルロスはリカルドの様子を伺いながら提案した。呆気に取られたように話を聞いていたリカルドの顔が、だんだんと険しくなっていく。からかい過ぎたかと思ったカルロスは、華子を呼び捨てで呼ぶことを止めて譲歩した。はたから見ればもどかし過ぎるほどに危ういリカルドと華子の関係が、これで少しは前進するのではないかと期待を込めて。


「駄目だ、許さん」

「え? 」

「それは駄目です、ハナコ。他の者に呼ばせないでください」


 カルロスから華子を隠すようにリカルドが間に割って入る。リカルドも知らなかった華子の名前の意味を、こうもやすやすと他の男から暴かれるとは。カルロスに尻を叩かれる羽目になるなどと誰が思おうか。

 リカルドは自分の不甲斐なさに、今度ばかりは辟易した。だから、一度目の駄目はカルロスに、二度目の駄目は華子に向けて。


「はいはいわかりました。そんなに威嚇しないでくださいよ。私には可愛い嫁と子供がいるんですから、人のものには手なんか出しませんって」


 カルロスは両手を小さく挙げて、降参です、と肩をすくめる。


「……わかっている」


 リカルドは唸るように返事をした。年下の部下に、まんまとしてやられたリカルドはムッとして口を曲げる。


「団長、腕が鈍りましたね」

「ほっとけ!! 」


 またもや口汚いやり取りが始まったが、華子はそれどころではない。

 初めてリカルドがハナコ、と呼び捨てしてくれたのだ。頑なにも丁寧な物言いを崩さなかったリカルドが、確かにハナコと呼んでくれた。


 どうしよう。

 すごく嬉しい。


 相変わらずそれ以外は敬語であるが、たったそれだけでリカルドとより親しくなれた気がする。リカルドが華子の申し出を受け入れてくれたのだから、華子もリカルドの希望を叶えてあげたいと思うものの、身分やら階級やらと障害物の多いリカルドを、公衆の面前で呼び捨てになんかしたら不敬罪もいいところだ。


 どうするべきか。


 ここにはリカルドとカルロスしかいないのだし、多分大丈夫だろう。意を決した華子は息を吸い込む。


「リ、リコ様? 名前、その、ありがとうございます」

「は?! は……い、こちらこそ」


 通路の真ん中で、初々しい場面を見せらる竜騎士の身にもなって欲しいものである。しかも自分たちの団長の恋愛模様を。リカルドが華子を連れてきているとの情報は瞬く間に伝わり、興味深々の独身男たちは見つからないようにこっそりと様子を伺っていたのだ。

 大体、本部の廊下に人っ子一人いない状況はあり得ないほどおかしいものであるが、カルロス以外の当事者二人は気が付きもしなかった。

 華子はともかく団長が、だ。

 しかも、可愛らしくも微笑ましい痴話喧嘩まで始める始末である。仕掛人はカルロスよってまんまと策に引っ掛かった二人のやり取りは、独身男たちには毒であった。

 余談ではあるが、頬を染める小柄で可愛らしい華子の姿に見惚れつつ、団長が幸せならばと涙を飲んだむさ苦しい竜騎士たちは、午後の訓練を怒涛のごとくやり尽くしたという。


「ほらほらお二人共、通路の真ん中ではお邪魔になりますよ」


 企みが上手くいった、と上機嫌なカルロスは団長執務室へと先に歩き出した。にんまりとした笑いが止まらない。


「あ、ああ、そうだな……ハ、ハナコ、行きましょうか」

「は、はい……リコ、様」


 先ほどの勢いはどこへやら、すっかり大人しくなった二人は、お互い微妙に顔を背けながは後に続く。


 団長のこれからが幸せなものでありますように、二人の未来がどうか交わりますように。


 ギクシャクしながら後ろをついて来る二人の様子を伺っていたお節介な伝令長は、こっそりと神に願い、幸運の呪いまじないの印をきった。

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