第16話 裏庭ピクニック ②

 案内されたテラスはまるで結婚式場のようなパティオになっていた。宮殿の離れの一画から延びた回廊に、手入れの行き届いた花壇と小さな噴水の隣には蔦の絡まった四阿あずまやがある。その四阿のテーブルに、給仕が昼食の入ったバスケットの中から、テーブルクロスと料理を出していく。


「わあ、美味しそう!」

「パンに挟んでお召し上がりください」


 たくさんのタパス―― チーズやハムなどのおつまみや、ふんわり卵に煮込んだ肉、瑞々しい野菜がところ狭し並んでいる。


「おや、私の好物がありますな」


 リカルドも嬉しそうだ。


「殿下は相変わらずこれが好きですね」


 給仕がリカルドの前にその料理を置く。

 キノコの傘に、色々な野菜が入ったミンチ肉を詰めて焼いたタパスだ。好物に目を輝かせるリカルドの姿に華子は笑みをこぼす。リカルドが少年のようでなんだか可愛い。


「それでは、ごゆっくりお楽しみくださいませ」


 深く一礼した給仕が、パティオから繋がる離れへと立ち去っていった。


「それではハナコ殿、いただきましょうか」

「はいっ、おなかペコペコだったんです」

「はっはっは、ハナコ殿はいつもおなかがすいておりますな」

「うっ、それはここの料理が美味しいのがいけないんです!」

「そうですな、料理人たちが申しておりましたぞ『ハナコ様はどれも美味しい、と言ってきれいに食べてくれるから作り甲斐がある』と」


 ここの料理はどれも本当に美味しいので、華子はついつい食べ過ぎてしまうのだ。そのせいで最近太ってきたように感じるのだが、食べ物の誘惑には勝てなかった。


「やっぱり食べすぎですか? なんだか最近太ったような気がするんです」


 三十代に突入したのだから、少しは節制したほうがいいのかもしれない。日本では割引きされたお惣菜やカップ麺ばかりだったので、丹精込めて作られた最高級の料理は栄養価があり過ぎる。


「太った? むしろハナコ殿はやせすぎですな。たくさん食べてもう少しふっくらした方がよろしいかと」

「……それはリカルド様の好みですか? 」

「……まあ、そう、ですな」


 やはり、肉付きが良くなっているらしい。

 フロールシア王国における美の基準は分かり兼ねるが、侍女たちも皆すらりとした体型だ。

 宮殿の中で、至れり尽くせり、運動もせずに食べ続けるとこの先恐ろしいことになる、と華子は気がついた。しかし、目の前にあるタパスやパンを残すのはもったいない。すごくもったいない。華子は、チーズがたっぷりかかった野菜の焼き物を豪快に頬張ると決心する。


「ハナコ殿? 」


 もぐもぐと咀嚼し、勢いよく飲み込んだ華子に、リカルドはすかさず飲み物を差し出す。それすらも豪快に飲み干した華子に、リカルドは鬼気迫るものを感じた。


「リカルド様」

「はい」

「私、これから運動します」

「は……」


 華子の瞳は決意に燃えていた。


「宮殿の中で、動かずのんびりと暮らしながら贅沢をするのは美容によくないんです。これからも美味しい食事を続けるために、運動したいと思います」


 リカルドとしては、華子にもう少し肉付きがよくなって欲しいのだが、いつだったかリカルドの妹も、乳兄弟のフリーデも今の華子のようなことを言っていたことを思い出す。女性の美容のためならば何も言うまい。


「では、折角ですから乗馬でもなさいますか? 」


 今日はお互い乗馬服を着ているのだ。腹ごなしに裏庭を散策するのも悪くはないし、竜騎士隊舎も案内できるではないか、とリカルドは思い至る。午餐の予定から少しだけ逸脱するが、伝令を飛ばせば問題はあるまい。


「乗馬の経験は? 」

「えっと、小さな馬なら何度か。でもこちらの馬は初めてです」


 ポニーとこちらの世界の馬では能力の差がありすぎる。しかも、こちらの馬は肉食だ。人は食べないらしいが、齧られそうで怖い。


「私も一緒に乗りますから、大丈夫ですよ」

「それじゃあ、お願いします」

「さあ、どんどん食べましょう」


 リカルドはにっこり笑って、好物のキノコの詰め物にかぶりついた。



 昼食を終えた二人は、離れに待機していた給仕にバスケットを返し、馬の厩舎に向かった。先ほどリカルドから一緒に乗ると言われていても、馬車に乗るのと馬にそのまま乗るのでは大違いだ。華子は少しばかり緊張して着いて行く。


「ハナコ殿はここで待っていてください」


 柵の外で、華子はリカルドが厩舎の中に入っていくのを見送る。

 リカルドはドラゴンに跨ることが仕事の竜騎士なので、馬など簡単に乗れるのだろう。一緒に乗るとはいえ、以外と大きな馬にうまく跨れるのだろうか。乗馬服といっても、華子の着ているものはロングスカートであった。これで鞍にまたがると悲惨であることは間違いない。


「キュルルルル」


 一番近くにいた馬が鳴きながら近寄ってきた。鳴き声は可愛いが、うっかり手を出すと齧られてしまうかもしれない。華子は柵から一歩離れた。


「クルル、クルルルル」

「キュル」


 すると別の馬たちも鳴きながら集まってくる。


「わ、私は美味しくないよっ!! 」


 野生の馬は稀に人を襲うが、それは別に食べるためではない。それにここの馬たちはよく訓練されているので知らない者から餌をもらうことはないのだ。単に遊びたいだけなのだろうが、事情を知らない華子にはちょっとした恐怖である。

 動物は人の感情に敏感だ。集まった馬たちのつぶらな瞳に怖気付きながらも、冷静になろうと努める。それに、柵を越えてこちら側にはこられないようなので、近寄らなければ大丈夫だろう。


「キュルルル」

「ご、ごめんね。リカルド様、早く来てください」

「キュル、キュルルル」

「あっ、ちょっと、こっちに来ちゃダメ」


 まだ仔馬だろうか、小さな柔らかそうな茶色の馬が、柵の隙間から身体を半分出している。


「こらっ、お前たち、何をしている! 」


 騒ぎを聞きつけた馬番が駆けつけてきた。


「助けてください、この仔が出てこようとしてて 」

「ええ?! 出るって……こら、またお前か」


 馬番は飽きれたように溜め息をつき、馬のお尻を引っ張った。


「ギュルル」


 不満そうに鳴いた馬は蹴爪で地面を蹴ると小さな尾っぽを不満気にバタつかせる。


「大丈夫ですか? こいつ女性が大好きなんですよ。気に入った相手だとこんな風にすぐに脱走しようとするんです」

「ええ。この仔いたずら好きなんですね」

「まだ、仔馬なんです。本当にお怪我はありませんか? 」

「ありがとうこざいます、大丈夫です」


 馬番は柵の前に集まっていた他の馬も引き離す。そこへ、白毛の馬に跨がったリカルドが戻ってきた。


「この騒ぎは、またピノだな? 」

「すみません殿下。まだ調教できてなくて」

「仕方がないか。まだ甘えたい盛りだろうに」

「あの仔どうかしたんですか? 」


 リカルドは馬から降りて、ピノと呼ばれた仔馬を呼んだ。ピノは嬉しそうにリカルドに駆け寄ってくる。産毛は抜けているが、嘴はまだ黄色い。


「まだ三ヶ月の仔馬ですが、母馬が病気になってしまい引き離さざるを得なかったのです」


 リカルドがピノの首元をかいてやると、しきりにすり寄って甘えている。


「そうだったんですね。ごめんねピノちゃん、淋しかったのね」


 華子が柵の側に近寄ると、ピノはリカルドの側から華子のところにまで近づいてきた。


「キュルルルル」

「よしよし、いいこね」


 伸ばされた華子の手にピノは顔をすり寄せると、甘噛みし始める。もう、怖くはなかった。


「やれやれ、誰が一番甘やかしてくれるかわかっているみたいですね」


 馬番が引き離しに来るまで、ピノは華子の手に存分に甘えていたが、満足したように今度は素直に馬番について厩舎へと戻って行った。


「よろしければ時々あの仔馬に会いに行ってあげてください」


 華子の心情を読み取ったのか、リカルドが柵を開け、白毛の馬を出しながら歩み寄ってくる。


「本当ですか、ありがとうございます! 」

「後で厩舎に伝えておきます。朝の運動後と昼食後は馬番も時間が空きますからその時にでも。ハナコ殿の運動も兼ねてみてはいかがでしょう? 」

「もうっ、リカルド様! 」


 リカルドは大きく笑いながらひらりと馬に跨がり、華子に手を差し出す。


「あの、リカルド様? 」

「なんですかな? 」

「私、二人乗りって初めてなんです……」


 まず、どこに乗っていいのかわからない。

 日本で見るような鞍のようにも見えるが、そもそも馬の鞍などよく見たことすらない。


「そうでしたか、ではまず、鐙に右足を掛けて私の手をお取りください。鞍まで引き上げますので取手を握り、私の前に横向きに座ってくだされば大丈夫です」


 どうやらリカルドのように跨るわけではないらしい。それもそうだ、スカートが捲り上げられて見苦しい。


「さあ、手を」


 リカルドの手を取り、馬上に引き上げてもらう。リカルドが教えてくれたように鞍の前についている取手を握り、横座りで腰を落ち着け、背筋を伸ばす。


「なかなか筋がよろしいですな」


 背後から聞こえるリカルドの低い声に、華子はどきりとした。華子の左肩がリカルドの胸の辺りに触れると、何故か心臓が高鳴る。


「準備はよろしいですか? 」

「はいっ」


 リカルドが馬の横腹を軽く蹴ると、馬がゆっくりと歩き出す。トサットサッと規則的に芝生を踏みしめる音が聞こえてきた。


「あの林の向こうまで走らせましょう」

「何かあるんですか?」

「ふーむ、そうですなぁ。私の人生、とでも申しましょうか」

「リカルド様の、人生……きゃっ」

「おおっと! ハナコ殿、私に掴まりくだされ。ほら、もう少しこちらへ」


 気になった華子は、つい身を乗り出そうとして前屈みになり、バランスが崩れそうになって慌てて鞍にしがみつく。そんな華子を背後から腰に手を回して抱きとめたリカルドは、ぐっと自分の方に引き寄せた。華子は驚いて、リカルドの逞しい身体に縋りつく。


「ご、ごめんなさい」

「いえ、体勢が辛くなければこのままで」


 妙にくっついた二人は、会話もなくその体勢のまま馬の上で固まった。


 リカルド様、いい匂い……。


 横座りで上半身を捻り、リカルドの胸に頬を押し付けた華子は、意外に早い心臓の音を聴きながら思い切り息を吸い込む。爽やかな風のような匂いが鼻腔をくすぐり、無意識のうちに服を掴む手に力が入る。服を引っ張られたことに気がついたリカルドも、回した右腕に力を入れて華子の身体をより引き寄せ、左手に握る手綱を引いて速度を落とす。

 やがて華子の目に、林の向こうにひっそりとそびえ立つ、建物の一角が見え始めた。


 そこにはリカルドが人生を捧げたと言っても過言ではない、ラファーガ竜騎士団の本部と隊舎がある。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 突然、団長と噂の客人まろうどの女性の訪問を受けた竜騎士隊舎は大混乱であった。


「うわぁぁぁぁぁっ! 」

「た、大変だっ、伝令、伝令! 」

「片付けろ、汚いもんは隠せっ、お前ら服を着ろーっ!! 」

「下着っ、早く取り込め! 」


 団長はいつも見ているからいいとしても、華子と会うのは初めての竜騎士たちは、その姿を確認するやいなや、蜘蛛の子を散らしたように慌てふためき始めた。右往左往する竜騎士たちからちらちらと視線を感じるが、目が合いそうになるとサッと逸らされる。嫌われてはいないと思うも、なんだか入ってはいけないようで居心地が悪い。


「やれやれ、まったく、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません。男所帯ですからどうも」

「お邪魔だったのでは」

「あやつらにはよい刺激です。ハナコ殿が気にされることはありません」


 竜騎士団の隊舎はなんと言うか、部活の寮のような雰囲気である。華子の住んでいたアパートの近くにあった大学のラグビー部員の寮もこんな感じであった。


「それにしても広いですね」


 左右に見える四階建ての建物が、竜騎士たちの居住スペースであることは間違いない。ところどころ毛布や洗濯物が干してあり、生活感にあふれている。


「何人くらいの方がいらっしゃるんですか? 」

「そうですな、大体五百人くらいはここで生活しています。まあ見たとおり独身ばかりでむさくるしいですが、よい者ばかりですよ」

「団長! 女性を連れてくるなら先に連絡をくださいよ! 」


 中央のひときわ頑丈な造りの建物から、これまた頑丈そうな男が慌てて駆けてくる。


「あれは伝令長のカルロスです、怪しい者ではございません」


 カルロスと呼ばれた男の勢いに、思わず後ずさりをした華子にリカルドが笑う。その笑顔を見たカルロスが、目をこぼさんばかりに見開いて、何やら驚いていた。

 華子はリカルドとカルロスを交互に見て、とりあえずカルロスにぺこりと頭を下げる。するとカルロスが鯱張しゃちほこばり、右手を胸の前に当てた。


「ようこそ我がラファーガ竜騎士団へ」


 そう言ってリカルドも華子に向き直り、右手を胸の前に当てる。きりりとしたリカルドの表情は、いつの間にか、竜騎士団長のそれへと変わっていた。

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