第15話 裏庭ピクニック ①

 その日は翌朝からよく晴れていた。


 学者たちの講義もいつものように進んでいき、本日の内容はフロールシア王国と隣国の情勢であった。

 現在、エステ大陸の国々の情勢は安定しており、フロールシア王国も隣国と良好な関係を築いているようだ。

 二十年ほど前に、この国と隣国のオルトナ共和国が戦争をしていたと以前にも簡単に説明を受けていたが、戦争になったきっかけは、国境の小競り合いから始まったのだという。報復が報復を呼び、気が付けば両国共に引くに引けない状態にまで関係は悪化したのだそうだ。

 そういえば、その当時竜騎士団の遊撃隊にいたリカルドも戦争に出たと言っていたが、その頃の話は自分からは聞かせられるようなことではないので学者に聞いて欲しい、と話を打ち切られてしまったことを思い出した。戦争など、テレビの中でしか見たことはないが、領地争いや民族同士の小競り合いなどはこの世界では結構頻繁に起きているらしい。竜騎士はこの国の戦力なので、当時は筆頭竜騎士だったリカルドも当然の様に出兵したのだろう。


 華子は午後から予定してあるピクニックの約束に気もそぞろになりながらも、何とか講義に集中しようと試みる。リカルドもあまり口にしたくないことを、学者たちは華子にもわかりやすいように丁寧に教えてくれているのだ。うわの空ではあまりにも失礼ではないか。居住まいを正した華子は、リカルドとのピクニックの約束を頭から追い出した。


 実に七年も続いた泥沼化した戦争は、ある日唐突に停戦協定が結ばれることになる。停戦のきっかけは異界の客人まろうどで、その客人のせいで両国は甚大な被害を被ることとなったため、停戦協定から講和条約が結ばれるに至ったのだ。


 その客人とは、双頭のドラゴン。


 この世界の一般的なドラゴンの何倍もの巨体を持つ、炎と氷の吐息ブレスを無差別に駆使する殺戮者。フロールシア語で『デサストレ』と名付けられたドラゴンは、オルトナ共和国の領土内の最前線に突如として現れ、両陣営の騎士たちや民たちを次々に屠りはじめた。

 意思の疎通を図るもことごとく失敗し、人に害をなす魔獣として討伐されることになったのだが、元々長らくの戦争で疲弊していたオルトナ共和国の戦力では太刀打ちできるものではなかった。フロールシア王国でも、前線の壊滅的な状況とデサストレによる深刻な被害からオルトナ共和国に停戦を申し入れ、オルトナ側もデサストレ討伐の共同戦線を張ることで合意した。


「デサストレがもたらした被害は甚大なものでした。しかしながら、リカルド殿下をはじめとする、我がフロールシア王国が誇る竜騎士たちによって、不死身に思われたデサストレを休眠状態に追い込み、魔法術師たちが封印することに成功したのです」

「えっ、待ってください。そのデサストレって、まだ生きているんですか?! 」


 てっきり退治したと思っていた華子は学者の話に心底驚いた。封印ということは、いつかはそんな恐怖を撒き散らす存在が蘇るということだろうか。


「随分と力を削ぎ落として幾つかに分けて封印していますから、問題はないと考えられます」

「そうですとも。それにハナコ様はその封印されたデサストレの一つに、既に出会っておりますよ」


 封印の一つに、出会う?


 華子はこの世界に来てからそんな凶悪な存在に出会った覚えはない。動物に触れ合ったといえば、四本脚の鳥と、リカルドの騎竜であるヴィクトルだけだが、まさか。


「まさか、ヴィクトル?」


 華子の言葉に学者たちは大きく頷いた。


「ご名答です。四枚羽のドラゴンなど、この世界ではヴィクトル以外に存在しません」




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 衝撃的な内容の講義に精神的に疲れた華子は、これからリカルドと昼食を取るのだから、と思い直して気合を入れて乗馬服に身を包む。なるほどライラの言うとおり、いつものドレスより動きやすく飾りも質素だ。ただ華子の世界で主流となっている乗馬服とは違い、女性のものはスカートである。拍車のついたブーツの紐を締めながら、華子はヴィクトルの姿を思い出していた。


 この世界に来て初めて出会った存在。

 赤銅色の鱗と四枚羽、理知的な金の瞳をもつ飛竜であるヴィクトル。


 最初は神様だと勘違いするほど神秘的であったため、華子にはくだんのデサストレの一部とは思えなかった。


「ハナコ様、殿下がお迎えに参られました」


 そうこうしているうちにイネスが華子を呼びに来る。


「あ、はい。ただいま」


 慌ててソファから立ち上がり、いそいそと部屋を出ていこうとした華子を、部屋を出る直前にイネスが呼び止めた。


「まだです、ハナコ様。お帽子が歪んでますわ」


 こんなときにもイネスのチェックが厳しく入る。華子はイネスの美に対する並々ならぬ情熱に思わず舌を巻く。そのおかげか、扉の外で待っていたリカルドは、華子の乗馬服姿を見てその目尻を下げんばかりに褒め称えてくれた。


「豪奢なドレスも華やかでよいですが、やはり落ち着きのある装いにこそ、美しさはあらわれるのですな。よくお似合いですぞ」


 そういうリカルドも華子に合わせたのか、乗馬服を小粋に着こなしている。紺色の上衣に白いキュロット、複雑に結ばれたクラバットにシルクハットのような帽子。近代の貴族のような出で立ちに、華子は見惚れてしまった。


 ほんとこれで六十歳なんて、もったいない。


「ハナコ殿?どうかなされましたか」


 華子が何も言わないので、リカルドがその顔を覗き込む。


「い、いいえ! あの、リカルド様が騎士隊服以外の服装をなされているのが珍しくて」


 目の前にいきなり現れた端正な顔に赤面しつつ、華子はボソボソと答える。


「やっぱり素敵です」

「そ、そうでしょうか」


 華子からの不意打ちの褒め言葉に、流石のリカルドも目元を赤らめて照れていた、とアマルゴンの間の担当近衛騎士は後に語った。




 裏庭は、庭と呼ぶにはあまりにも広大だった。庭のはずなのに厩舎や林がある。この国がエスパーニャの影響を深く受けていることからある程度は予測していたが、さすがは宮殿というべきかとにかく想像できないくらいの広さであった。その広い庭には柵で囲ってある広場があり、そこには白い生き物がよちよち歩き回っている。華子はその白い生き物のあまりの可愛さに、年甲斐もなく駆け寄ってしまった。


「わあ、可愛い! あの白くてふわふわしている鳥の雛はなんですか?」

「鳥? ああ、馬ですな。あれは最近生まれた仔馬でございますよ」

「う、馬ですか……そうですよね、脚が四本ある鳥は、この世界では馬でしたね」


 この世界の馬は四本脚の鳥のような動物で、鳥には翼があるが馬にはない。華子の世界で馬と呼ばれている動物は、この世界では角や翼が生えていたり下半身が魚だったりする、神獣または魔獣と呼ばれる生き物である。

 パラレルワールドなはずなのにこうも進化の過程が違うとは、もしかしたらパラレルワールドではなく異世界の定義に近いのかもしれない。学者たちが講義で説明してくれたが、華子には難しく感じられて理解できないこともたくさんあり、また学者たちは華子の世界の文明に並々ならぬ興味を抱いているため質問攻めにあうこともしばしばだ。

 華子がしゃがんで白い仔馬を呼ぶと、ピーピー鳴き声をあげて近寄って来た。中型犬くらいの大きさで、その姿はやはり鳥にしか見えない。仔馬はしきりと、給仕が持っている料理の入ったカゴを気にしているようだ。


「仔馬ちゃんはお腹が空いているのかな?」


 まだ、黄色で先も尖っていない嘴で柵をかじっている仔馬はとても可愛い。


「仔馬は何を食べるんですか?」

「肉ですな。特に森ネズミや木トカゲなどを好んで食します」

「肉食……」


 可愛いはずの仔馬が、華子には急に猛禽類に見えてきた。うっかり触ろうものなら、手を齧られるかもしれない。


「餌付けしてみますか? 」

「いえ、遠慮します」


 たまには知らない方が幸せなこともあるのだ。



 緑溢れる広大な庭は、華子の心を癒してくれた。

 テラスへと向かう道のりを二人でのんびりと散策する。大人の馬たちも食事が終わったのか、馬舎から出てきて思い思いに過ごしている。風に乗ってふわりと微かに甘い匂いが漂ってくることに気が付いた華子は、匂いの元であろう色とりどりの花が咲いている花壇に近づいた。どの花から香りがするのだろうか、どこかで嗅いだ匂いだ。


「甘い香りがするんですが、どの花から匂うのでしょうか」


 リカルドも花壇に近づき、スッと息を吸い込む。そして、淡いピンク色の可憐な花を指差した。


「プリマヴェラの花の香りでございますな。これの発泡水はハナコ殿もお好きでしょう」

「あっ、そうです、プリマヴェラの香りですね! 生花のプリマヴェラは仄かな香りなんですね」

「これを精製してプリマヴェラの香りを抽出し、様々なものに利用するのです。女性には特に人気がありましてな」


 リカルドはおもむろに華子の髪を一筋すくい、そっと香りをかいだ。


「ハナコ殿の使われている香油もプリマヴェラの香りですな」


 その真摯な水色の瞳に、華子は吸い込まれそうだと思った。無駄に色気が溢れているリカルドに華子はいつも翻弄され、年甲斐もなく胸を高鳴らせるのだ。


「に、匂い……その、きついですか?」


 リカルドに意味あり気な行為をされるたびに華子はそれをはぐらかしてしまう。嫌ではないのだ。むしろ嬉しくもあり、その甘酸っぱさに気恥ずかしくなる。

 リカルドも華子の心情を汲み取ってくれているのか、それ以上踏み込んではこない。今回もリカルドはその情熱的なオーラを引っ込め、いつもの爽やかな笑顔に戻ると華子の髪から手を離した。


「いいえ、私好みのとても良い香りです」

「そ、そうですか。それは良かったです」


 どう良いのかわからないが、華子はそれしか言えなかった。


「フロールシアとは古代語で『花』という意味がありまして、王国では昔から花の栽培が盛んなのです。この王都の名前であるセレソも花木でしてな。鐘撞塔にあるセレソの木はなんでも一千七百年前からこの地にあると言われております」


 リカルドがあそこですよ、と指を差した方向に、豪奢な白い鐘楼塔の隣に青々と葉を繁らせた巨大な樹が見えた。


「春には美しい花を咲かせるのです。ハナコ殿、もしよろしければ、春に、共に見にいきませんか?」


 リカルドにしては自信なさ気に華子を誘う。今は初夏なので、春はまだまだ先だ。


「はい、リカルド様。一緒に、連れて行ってくださいね」


 華子はリカルドが言い淀んだ意味を理解し、その上で迷わずに答えた。先のことはわからないが、リカルドが美しいというその花を、華子はリカルドと一緒に見たいと心から思った。

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