第14話 裏庭ピクニックのお誘い

 学者たちの講義を受け始めて十日ほどたったある日、華子は恒例となったリカルドとの晩餐の席で、いつものように異世界談義に花を咲かせていた。


「なんと、それではハナコ殿の言う『スペイン』とは、その昔、フロールシア王国の文化に多大な影響を与えたとされる客人まろうどたちの出身国、エスパーニャのことだったのですか」

「はい、今日勉強した歴史にそうありましたから、間違いないと思います」

「数奇な運命ですな。この国、いえ、この世界は客人によって造られたと提唱する学者もいるくらいですが、案外真実やもしれませんな」


 リカルドは、今まさに口に入れようとしていた香草とパン粉をまぶした網焼き肉をしげしげと見つめる。この肉料理も伝統的なフロールシア料理のひとつであり、もしかしたらエスパーニャの客人たちが伝えたものであるかもしれないのだ。

 その他にも、様々な異界の客人由来の技術がある。今では華子が毎晩欠かさず読んでいるという『この世界に来たすべての客人たちへ』の著者である、バヤーシュ・ナートラヤルガという客人は、この世界より遥かに発達した魔科学という文明を持つ世界からやってきた研究者であった。百二十年前にこの国にもたらした彼の知識でフロールシア王国は更なる発展を遂げたのだが、彼は決して兵器に関する知識を披露することはしなかったという。彼の遺した偉大な技術のひとつが『上下水道』だ。浄化炉という魔術式が組み込まれた炉で汚水の処理を行うことにより、街が綺麗になり病気の蔓延も少なくなった。

 幼いリカルドに異界の冒険譚を聞かせてくれた彼は、大層長命な一族だということで、外見が七十歳くらいの白髪のお爺さんの姿のまま、フロールシア王国で六十八年も生きていた。いや、生きていたというか、今もどこかの世界に生きているのであろう。


「リカルド様は、この世界の神様にお会いしたことはありますか? 」


 物思いにふけっていたリカルドを、華子が現実へと引き戻す。


「ポル・ディオスのことでございますか? 」

「この世界の知識が増えていくほど、不思議としか言い表せないことも増えていくのです。ナートラヤルガさんの本でも解明できないことだらけで、本当に神様っているのかなと」

「もしどこかに御坐になられるというのであれば、私もお会いしてみたいですな」


 この世界 –––– エル・ムンドの涯てにあるという古代樹に住まう神は、信仰の対象ではあるがフロールシア王国ではただそれだけの存在だ。当然誰も会ったことはなく、神については伝承史でも神話として取り扱われている。一方で、南の大陸にあるアリステア神聖公国ではディオス神教という宗教となり、国を挙げて信仰しているという。

 居るのかいないのか、永遠の謎として論議される神。それでも華子には誰かの作為が感じられて、もやもやが募るのだった。


「たぶんどこかで仕組んでいるんです。だって『異界から客人来たるとき、何人は導かれ、すべからくそれを助く』なんて、出来過ぎです」


 華子が言っているのは、フロールシア伝承史に出てくる有名な一文だ。華子をはじめとする客人は、高い確率で誰かに保護されているらしいのだが、根拠となる証拠はない。


「まあ、そう考えるのも無理もありませんが、確かにこうやってハナコ殿にお会いできたのですから、神の思し召しあってこそですかな? 」


 華子の世界には、国や信仰の数だけ神様がいるとい言っていた。特に華子の国である『にほん』には八百万の神々が御坐すらしい。いつもは信じてないのに、お願いごとをするときとか苦境や窮地に陥ったりしたときなんかに神頼みするんです、と華子は笑って言っていたが。リカルドにとっては当たり前の事実なので、改めて考えることすらしなかったが、考えてみればコンパネーロ・デル・アルマも神の意図が働いていると言い伝えられている。リカルドはこの件については、普段はあまり意識していない神に感謝することにした。



 晩餐はほのぼのとした雰囲気で進んでいき、会話も尽きることない。華子は充足感で心が暖かくなるように感じられた。


 夕食を誰かと食べるのが、こんなにも楽しいことだったなんて。


 毎晩テレビを見ながら一人で食べる夕食の何と虚しかったことか。こうしてリカルドに一日の出来事や他愛のない話をすることは、華子にとって当たり前のことになりつつある。

 リカルドは華子の話を嫌がることなく聞き、華子の質問にも丁寧に答えてくれた。また華子もリカルドに質問されることを嬉しく感じ、分かる範囲で答える。和やかな晩餐は、華子のストレスを吹き飛ばしてくれる大事なひとときだった。

 しかしその一方で、早くこの世界に馴染み、自立していかなければとも考えていた。今はまだ国賓だが、いずれはこの宮殿を出て生活しなければならないときが来る。学者たちの講義をすべて終え、この世界で生きていけると判断されたら住居と就職先を斡旋してもらえると言われたのだ。至れり尽くせりの待遇に華子は恐縮し、今度こそ失敗しないように慎重になろう、と決心したばかりであったのだが。


 ひとつ気になることと言えば、魂の伴侶の件だ。


 学者たちには、魂の伴侶 –––– コンパネーロ・デル・アルマとは、聖なるアルマの日に生まれた者たちが持つ宿命だと説明を受けた。侍女たちから教えてもらった内容とさほど変わらなかったが、より詳しいことも知ることができた。

 十三ある月のどの月にも属さない、一年の終わりと始まりの月の間にある一日を、聖なるアルマの日と呼ぶ。神はこの日に生まれる者たちの魂を二つに分けて、いつかその魂が片割れ –––– 伴侶と巡り逢えるように印を付けて見守っている。その印とは虹色で、お互いの魂 –––– アルマが呼び合うとき、身体の一部に虹色が宿る。何故魂を二つに分ける必要があるのかわからないが、神の為すことは人如きには理解し難いものだと言われてしまえばそれまでだ。あのナートラヤルガの本でも、解明できない不思議として書かれていた。

 リカルドが華子のことをアルマと呼んでいる理由は理解できる。この世界に来た夜に談話室で見たリカルドの瞳が、華子の目の前で鮮やかな水色から虹色に変化した事実を否定はできないからだ。しかし、華子自身に何らかの変化はあったのであろうか。ほんの僅かしかないらしい華子の魔力では、呼び合う何かを感知できないのであろうか。生まれて今まで、身体の一部が虹色になったことはないはずである。もしかしたらリカルドからは、華子の虹色の印が見えたのかもしれないが、自分で自分の姿を見ることができない場所が虹色になるのであれば確認のための鏡が必要だ。呼び合うアルマ同士だからといって、必ずしも誰もが添い遂げる訳ではないが、その多くが名実ともに伴侶となると聞かされれば、気にするなと言われても気になるのは必至だった。


 もしかしてだけど、私が干物女だったのってこの所為なのかしら。


 華子は、目の前で食後のお茶をすするリカルドを見ながら心の中でごちる。何をしても絵になる壮年の美丈夫は、華子の視線に気が付いて鮮やかな水色の瞳を優しげに細めた。


 これで還暦なんて詐欺だわ。


 フロールシア人が華子たち日本人とそう変わらない寿命であると知ってから、ますますそう思う。海外の映画俳優にも六十歳を超えてもなお色気に溢れている人はたくさんいるが、それに匹敵するくらい……いや、それ以上ではないだろうか。


 世の中ってつくづく不公平。


 悔しいけど恰好いいと認めざるを得ないリカルドの笑顔に、華子は頬を染めるのだった。



 晩餐も終わり、いつものようにリカルドは華子をアマルゴンの間まで送っていく。長い廊下を歩きながらリカルドはふと気が付いた。


 そういえばハナコ殿は、この北の別棟から出られたことがないのでは?


 華子がこの国に害を為す客人まろうどではない、という学者たちの見解も既に報告されている。後はアレッサンドロ医術師長の診断結果待ちであるが、それもまもなく問題ないと出るだろう。それが終われば、華子は宮殿の外に出歩くことができるようになるのだが、毎日北の別棟の限られた部屋を行き来するだけでは気が滅入るはずだ。リカルドは何気なく窓の外を見やり、思いついた。


「ハナコ殿、明日のお昼にでも外を少し散策なされませんか? 」

「えっと、いいのですか? 」


 リカルドを見上げた華子の表情が、パッと明るくなった。


「宮殿の外ではありませんが、裏の庭であればご案内致しますぞ」


 中庭は、宮殿の本棟からも見えるので華子を連れて行くのはあまり好ましくないが、宮殿裏の庭であれば大丈夫だ。


「裏の庭? 」

「はい。馬などを運動させるための広い庭なのですが、ちょっとした泉や木々や花々もありまして。息抜きにはなると思います」


 実は裏庭の端にお生い茂る林を抜けた場所には、ラファーガ竜騎士団の隊舎があった。正門から出るのが面倒なリカルドは、裏庭を通ることが多いのだが、そのせいでサルディバル近衛騎士団長からよく怒られるのだ。


「嬉しいです! 講義も楽しいのですけど、外の空気も吸いたかったところなので……あ、でもリカルド様のお仕事の迷惑にはなりませんか? 」


 思いがけない誘いに喜ぶ 華子だが、リカルドの仕事の邪魔にはなりたくない、と表情を曇らせた。


「私も息抜きがしたいのですよ。お昼くらいは自由にさせてもらっても罰は当たりますまい」


 リカルドは最近ますます厳しくなってきたフェルナンドを思い浮かべる。殿下の為です、と言いながら喜々として仕事を押し付けてくるフェルナンドから少しは解放されたい。ここ二、三日、華子の様子を見にいきたい、と言うリカルドに、急ぎでない決裁の書類を大量に押し付けてくるのだ。


 うつつを抜かすな、ということか。


 華子という存在がリカルドを高揚させていることは事実である。しかし、ここはフロールシア王国の中枢である宮殿内であり、為政者の巣窟なのだ。

 王族としてはさほど重要な立ち位置にはいないが、ラファーガ竜騎士団長としてのリカルドは影響力ある存在だ。そのリカルドに取り入ろうとする者や、逆に失脚させようと画策する者たちに隙を与えてはならない。表立った派閥はないが、国王は大層高齢であり、王太子も高齢である状況から言えば、いつ後継者争いが起こってもおかしくはないのだ。さらには、華子にとって最も気をつけなければならない、宰相という厄介な存在が居る。

 だがしかし、とリカルドは隣を歩く華子に目をやった。華子もリカルドの視線に気が付き「明日は晴れますよね?」とリカルドに問いかけ首を傾げてくる。リカルドは「大丈夫ですよ」と答えながら、華子に笑みを向けた。

 華子のことを知りたいと思う気持ちは、日々大きく強くなる一方だが、華子と過ごし、色々な話をしていくうちにリカルドは少し冷静になっていった。それまでは待ち続けたコンパネーロ・デル・アルマとして華子を見ていたリカルドは、華子の心境や向こうの世界での華子の姿を知っていくうちに、一人の人としての華子に興味が湧きはじめたのである。

 容姿は言わずもがな最初の印象通り、華子は小柄で深い茶色のサラサラとした髪、同じく深い茶色の瞳、白い肌の夢のように美しい女性であり、リカルドは華子に見つめられると柄にもなく照れ臭くなってしまう。性格も相変わらず謙虚で、向こうの世界で苦労して働いて、一人で生活していたというだけあり現実的だ。学者たちの報告では、宮殿を出た後は働く気満々だという。

 華子がリカルドのことを、どのように思っているのか聞いてみたいところではあるが、まだ出会ったばかりであるし、華子は懸命にこの世界を受け入れようとしている最中だ。宮殿の生活も後ひと月ないしふた月ある。徐々に近づいていければと思う反面、年齢が邪魔をして若い頃のようにはいかないと感じるのだ。

 それに、とリカルドは新たに沸いて出た要注意人物のことを思い浮かべる。


 同じ世界から来たという、警務隊のハリソン・ブルックスに、会いたいと言ってくるだろう。


 彼は自分のことをあまり話さない人物だが、油断はならない。警務隊での評判は上々で、警務隊司令官は彼に小隊長くらいにならすぐにでも昇任させてやる、と言っているらしいが、客人であることを気にしてかなかなか首を縦に降らないと嘆いていた。そんな彼に華子を会わせたくないと思うのは愚かなことなのだろうか。


「それでは明日は午餐も外で食べましょうか。準備ができたら迎えに参ります」


 アマルゴンの間の前でリカルドは華子にそう告げた。


「本当ですか?! 」


 華子は笑顔になる。外でピクニックなんて本当に久しぶりであり、例え裏庭であろうとも宮殿の外に出られることが純粋に嬉しかった。


「あ、服はドレスじゃないとだめですか? 」


 せっかく外に出られるのに、動きにくいドレスでは転んで汚してしまうかもしれない。華子はこの世界でドレスしか着たことはないが、できれば男性のようにスラックスやニッカボッカを履きたかった。


「そういえばドレスは苦手であられましたな。そうですな、では侍女に乗馬服を申しつけてください。普段のものより幾らか動き易いでしょう」


 リカルドはそう言うと、アマルゴンの間の扉を開く。


「ではハナコ殿、おやすみなさいませ」

「おやすみなさい……リカルド様、明日楽しみにしています」


 そんな就寝前の二人のやり取りを、近衛騎士のアドルフォは微笑ましげに見ていた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「おかえりなさいませ」


 部屋で出迎えてくれたのはラウラだ。華子の上気した顔に嬉しいことでもあったのか、と尋ねられる。


「何かいいことでもおありになったのですか? 」

「はい! 明日のお昼はリカルド様と裏庭で食べることになりました! 」

「まあ、殿下と? それは楽しみですね」

「だから、明日は乗馬服でお願いします。ドレスだとうまく歩けなくて」


 華子は眉尻を下げて情けない顔になる。現在は最初に履いた七センチのヒールから三センチくらいの靴に替えてもらっているが、ファッション好きなイネスが大反対したのだ。ドレスもなるべく飾りが少なくシンプルなものがいいと華子は主張したのだが、華子を着飾らせたいイネスは「私の侍女としての力量が問われるのです! 」と不満気だった。イネスの立場もあるので華子もそれ以上強くは言えず、イネスがドレスを用意する日はファッションショー状態だ。


「今晩のうちになるべく動き易い乗馬服をご用意いたしますから、ご安心なさってください」


 その点、ラウラは華子の好みをうまく取り入れてくれるから安心だ。


「よろしくお願いします……」


 華子のしゅんとなった様子に、ラウラは微笑ましいものを見たかのように笑うのであった。

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