閑話 ご自愛ください

「まったく、ご自分を何だと思っているんですか」


 ゴリッ


「いいところを見せたいのはわかりますけれど」


 グッ、グッ


「確かに日頃から鍛えてありますから、他の者よりは遥かにお若いと思いますよ」


 ギュー


「しかし、殿下。年齢は嘘をつきません」


 グリグリ


「殿下はもうそろそろ隠居してもいいくらいなのですから」


 ググッ、ググッ


「い、痛いっ! 」


「ご自愛ください」


 ガシッ……ギチギチギチギチ


「ぐあっ、待てフェルナンド、そこは痛いっ!! 」


 ここはラファーガ竜騎士団の隊舎にある医務室の片隅にある簡易の寝台。私はとき折り、リカルド殿下の体調管理の一環として指圧療法を行っている。今日の殿下の身体はかなり凝っており、私は今、癒しの魔法を施しながら日頃の鬱憤を込めて丁寧に揉みほぐしている最中である。


 本当にこのお方は無茶をする……。


 たまに力が入り過ぎるのはご愛嬌。別に私とて殿下が憎いわけではない。


 グリッ


「うぐっ」


 私はガチガチに凝り固まった筋肉をほぐしながら、殿下の筋肉痛の原因となった発端を考えた。


 異界から、リカルド殿下のコンパネーロ・デル・アルマことハナコ・タナカ様が客人まろうどとして来られてから数日。殿下は異様なほど張り切っておいでだ。

 ドラゴンの単騎翔けに始まり、ハナコ様を横抱きにしてお連れになったり、夜遅くまで何やら資料室でゴソゴソされたり、アマルゴンの間以外の結界をこっそり強化されたり、朝早くから見回りされたり……。


 嬉しいのは十分にわかるのですが。


 私の叔父の代から、かれこれ三十二年間も殿下を見守り続けてきたのだ。私がまだ若かった頃は殿下もまだまだ男盛りで、私なんか近寄ることもできないくらいだったというのに、ずいぶん年を取られたものだ。もっとも、殿下の若かりし頃なんて知りませんけれど。


 十代、二十代前半の殿下は、それはとても聡明で、その当時の王位継承権が九番目であるにも関わらず、殿下が国王になるのではと噂されていたほどであったらしい。

 それから何があったのか、荒れに荒れた魔の三十代はとても大変だったと叔父から聞いていた。一向に見つからないアルマに見切りをつけるようにして、派手に遊んだ約十年間の殿下の所業は、とてもじゃないがハナコ様にはお話しできるものではないことも知っている。

 続いた四十代の殿下は、一変して真面目に、というか隣国と戦争中であったので、まるで死に場所を探すかのように前戦に立ち続けた。相棒のヴィクトルと戦場を翔ける姿は『冥界の使者』と渾名されたほどで、私はこの頃に従騎士として竜騎士団に仕官したばかりだったが、殿下の姿を見るのですら恐ろしく感じたものだ。

 戦争も終わり、国を再興する中で殿下は結婚することもなく五十歳を迎え、不在になったラファーガ竜騎士団長の後任として抜擢された。

 私は適性のなさから竜騎士になることを諦め、文官として竜騎士団に配属されたのだが、この頃の殿下は抜け殻というかいわゆる『燃え尽きた』の一言に尽きる有様だったことを覚えている。あの戦場での殿下はすっかりなりを潜め、与えられた任務をただ淡々とこなす姿に、私は少なからず失望を感じたものだ。


 そんな殿下を支えてきたのは私の叔父であるパヴェル・バニュエラスだった。叔父は竜騎士を除名される覚悟で殿下と渡り合った……いや、殴り合ったその結果、竜騎士団の副団長として、また親友として殿下と共に戦争によって疲弊した竜騎士団を一新することになった。

 竜騎士団の再構築という新たな使命を得た殿下は、周りが驚くほどに活力に満ちていた。若い竜騎士の育成にも力を注いだり、身分ではなく実力主義を取り入れたり、市井を脅かしている魔獣の討伐などに取り組んだりと精力的に取り組んだ結果、支持率も徐々に上がり、今では竜騎士のみならず市井の民からも絶大な信頼を得るまでになったのだ。


 叔父は四年前に引退し、今では悠々自適に暮らしているが、殿下は六十歳にして未だに竜騎士団を束ねており、私も竜騎士団の文官長として微力ながら殿下を支える日々を送っている。殿下の葛藤と苦労を身近で感じてきた私は、殿下が無茶をする度に叱咤しながら、度々こうやって叔父直伝の指圧療法を施すのだ。最近では、若い竜騎士たちに訓練を任せることが多くなってこられたが、やはり殿下には元気でいて欲しい。


 指圧療法を終えた私は、殿下にお茶を差し出しながら、仕上げの癒しの魔法術をかけていた。魔法術も万能ではない。治癒力を高めることはできても完全に治すことはできないのだ。生命に関する魔法術はどれも難しいとつくづく思う。


「まあ、なんだ。私も考えていないわけではない」


 身体が楽になったのだろう。簡易の寝台に身を起こした殿下が、ぐっと伸びをしながらポツリと呟いた。


 はて、殿下が考えること?


 殿下の頭の中には、今のところはたった一つしかない。異界の客人がコンパネーロ・デル・アルマなどという、前代未聞の出来事に初めは半信半疑だった私も、ハナコ様の魔力の暴走を見てからは認めざるを得なかった。強烈な虹色の魔力を目の当たりにして尚、否定する言葉を、私は持ち合わせていない。

 生まれ育った世界こそ違えど、人柄も良く、身の程をわきまえているハナコ様であれば、殿下との仲を応援したいと心から思っている。


「何をでございますか? ハナコ様を娶られることをでございますか? 」

「ち、違う! そんな大それたことではない!! 」

「あれ? 違うのですか」

「こんなに年が離れているんだ……難しいのは重々承知している」

「そう、でしょうか」


 世間一般的にも確かに難しいことは当たり前だ。末席とはいえ王族の、竜騎士団長である殿下と、異界の客人であるハナコ様の婚姻は、想像以上に難問が待ち受けているに違いない。しかもこれにはハナコ様のお気持ちも関係してくる。

 しかし私は、殿下が殿下のコンパネーロ・デル・アルマのために、現在まで独身を貫き通していることを知っているのだ。しかも私が見たところ、殿下はハナコ様に惚れている。あんたは少年かと突っ込みたいくらいに。私に何かできることはないだろうか……。


「お前が落ち込むな。考えているのは引退のことだ。もう六十歳だからな。文官ではなく竜騎士だから体力がものを言う。お前の言う通り年齢は嘘をつかんようだ」


 は?

 何ですって?!


「引退? 殿下、今、引退と仰いましたか? 」

「ああ、老後を考えんとな。面倒な王位継承権も返上して、隠居してのんびり暮らすのも悪くはないだろう」


 老後?

 王位継承権の返上?

 隠居?


「後任はレオポルドでどうだ? 奴ならヴィクトルとも相性はいいし、何より部下からの信頼も厚い……まだ四十三歳と団長としては若いかもしれんが、経験も豊富だからな。お前とも年が近いしそこそこ仲良いだろ」

「何考えてんですかあんた! そう簡単に引退なんてできるわけないでしょ! これだから頭に花が咲いた人は……」

「お、お前、仮にも上司に対して」

「だまらっしゃい! 今さら爺い面しようなんて甘い考えが通用するわけないんですよ! 隠居するだぁ? 甘いっ、破滅的に甘い! 」

「さっきと言ってることが違っ」

「前言撤回、この国のため働き尽くしてください」

「お、横暴! 余生短い老人は労らんか! 」

「後十年くらいたいしたことないじゃないですか。若い頃に好き勝手し放題だったお詫びに、その余生の少しくらいは捧げてください」

「フェルナンド、お前……そんなところはパヴェルそっくりだな」

「叔父がどうかしましたか? 私はその叔父から殿下のお目付役の立場を譲り受けた身ですからね。なんならこの件を叔父に話してもいいんですよ? 」

「わ、わかった。撤回する」


 私の剣幕に圧倒されたのか、私の叔父が恐いのかは定かではないが、殿下は以外とあっさり諦めたように見える。が、そこは殿下だ。若かりし頃の破天荒さは健在だった。これは、パルティダ侍女長にも協力を仰いでおいた方がいいかもしれない。目を離すつもりは毛頭ないが、隙を突いてとんでもないことをやらかす恐れが十分過ぎるほどあるし、前科も山ほどある。


「殿下」

「何だ」

「隠居した殿下の介護……いえ、お相手しなければならないハナコ様なんて、考えるだけで可哀想でなりません」

「……なにっ?!」

「私ならごめんこうむりますね」

「……」

「新婚早々、無職の六十歳の面倒を一手に引き受けるハナコ様、なんという婚姻詐欺! 」

「さ、詐欺だと?! そんなつもりは」


 私の言葉に悩み始めた殿下は、丸っきり恋に悩む若者のようだ。三十代の頃に遊んでいたという話は嘘だったのだろうか。それとも、人間年を取ったら純情になるものだろうか。


 よもや、ハナコ様が初恋?


 この姿、是非とも叔父に見せたいものである。


「わ、私には、自分で稼いだ財産があるっ! 」

「へぇ、そしてハナコ様には『お金目当てに婚姻を選んだ女』という悪い評判がついて回るのですね」

「フェルナンドっ、ならばどうしろと言うんだっ! 」


 必死になる殿下を揶揄からかうのも楽しいものだ。しかし、私が言ったことはあながち間違いではない。身分ある者に付き纏うたくさんの障害を、殿下とハナコ様は共に乗り越えなければならないのだから。

 一番の障害は、多分、客人嫌いで有名なフェランディエーレ宰相閣下になるだろうとは予想がつく。ハナコ様を排除しようと画策していることは既に報告を受けている。魔力の暴走の件も、表向きには動きはないが、あの時アマルゴンの間に控えていた近衛騎士たちに当たりがあったと、サルディバル近衛騎士団長から連絡があったばかりだ。

 これから予定されている謁見や、大臣たちとの質疑の日に向けて、我々も色々と心しておかねばならないだろう。幸い、パルティダ侍女長を始めとするハナコ様付きの侍女たちは、優秀な者ばかりを揃えている。特に最年少のイネスは、魔法術師としての能力も一級だ。


「贈り物をするか? いや、それは受け取ってもらえそうにないな……」


 殿下はぶつぶつと呟きながら、ハナコ様を落とそうと画策している。こんな姿、絶対にハナコ様にはお見せできない。

 何はともあれ私はこれから先、若かりし頃の殿下のもう一つの渾名である『セレソ・デル・ソルの恋人』という不実な評判を、ハナコ様に隠し通すためにはどうすればいいのかを考えなければならないようだ。

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