第11話 異世界における相違点

 その日の目覚めは意外にもすっきりしたものだった。


 窓から入る優しい光と、ピチュピチュという鳥に似た鳴き声。華子の住んでいた古びたアパートとは違う澄んだ香り。いつもはカラスの鳴き声や散乱した生ゴミの臭いがして不快だった朝が、まるで保養地のホテルにいるみたいに爽やかに感じられる。ぐっと伸びをして、何だかカピカピする顔や瞼に手を当てると、意外なことに気がついた。


 あれだけ泣いたのに腫れてない。


 華子は昨晩に聞いた話を思い出し、暗い気持ちになりそうな心に喝を入れる。感情のままにまくし立て、やり場のない悲しみと怒りをそのままリカルドにぶつけてしまった。リカルドも、この世界の誰にもどうにもできないことだというのに、まるで子供のように。


「謝らなくちゃ」


 そう口に出して、リカルドを思う。華子の耳には「護りますから」と囁いてくれていたリカルドの重低音の声がしっかりと残っている。


 優しい、とても優しい人。


 泣きじゃくる華子を、ずっと抱きしめていてくれていた。リカルドの温もりがまだ残っているような気がして、華子は自分の身体に手を当てる。


 あれ?


 手に触れる布地はサラサラとして薄い。昨日あれだけ苦労して着替えたドレスの手触りではない。


 いつの間に着替えたの?


 着替えた覚えはない。華子は部屋に戻った記憶もベッドに潜り込んだ記憶も、まったくない。


 やってしまった……泣き疲れて寝るなんて子供じゃないんだから。


 多分、眠った華子をリカルドが運んできて、フリーデたちがお世話をしてくれたのだろう。別の意味で泣きたくなった。

 このままベッドの上にいても仕方がないので、顔でも洗おうと思いたち、お手洗いへ向かう。顔の皮膚の感触から化粧は落とされていないようだったので、鏡を見るのが恐ろしい。華子が洗面台に備え付けられた石鹸水のような液体を泡立て顔を洗っていると、部屋の方から扉が開く音がした。


「ハナコ様、お目覚めでございましたか」


 ドロテアが顔を覗かせ、華子を見るとすかさずタオルを差し出した。


「ありがとうございます。ドロテアさん、おはようございます」


 華子はさっぱりした顔で挨拶を返し、気まずくならないうちに「昨日はごめんなさい」と謝った。きっと迷惑だったに違いない。


「とんでもございません。謝られる必要はないのです。客人まろうどであるハナコ様のお気持ちを思えば当然ですわ」

「でも私、いい年した大人なのに」

「大丈夫です、ハナコ様は充分落ち着かれています。私の知っている客人は大人であっても、喚き散らす、物を投げる、我儘三昧、救世主とかなんとか勘違いしている最悪な人ばかりでしたわ」


 ドロテアの鼻息が荒くなり、語気も強くなっていく。余程嫌な思いでもしたのであろうか。ドロテアは華子以外にも客人を知っているようなので、その話は是非とも聞きたかった。救世主と勘違いする大人なんて、一体どんな力を持っていて、どんな世界に住んでいたのだろうか。


「まあ、裏を返せば、彼らなり自分の身に起きたことを把握されていたのでしょうけど……あ、も、申し訳ありませんっ」

「いいえ、続けて下さい。あ、嫌味とかじゃなくて、他の客人たちの話に興味があるだけですから」


 昨日のリカルドの話では、かなりの数の客人がこの世界に来て生活しているようだ。華子は、自分と同じ境遇の客人たちのことを知りたいしできるならば会いたいと思っており、それが例え嫌な話でも、教えて欲しいと思った。それぞれ状況は違えど、いきなりこの世界に飛ばされて、彼らが何を思いどのように生きてきたのか、華子がこれから生きていく上で参考になりそうなものなら何だって知りたい。


「話して差し上げたいのですが、私の一存では……」

「そうですよね。やっぱりリカルド様に直接聞く方がいいのかな。うーん」


 本格的に考え出した華子の様子に悲観的なものはないようだ、とドロテアは少しだけ安心した。かと言って、無理に明るく振る舞う様子もない。昨晩の出来事をラウラから引き継いでいたドロテアは、リカルドに報告しようかと考えて、やめた。


 ハナコ様を泣かせた罰です。


 ラウラが華子の目元を手当てしておいた、と言っていたのでそこまで酷くはないが、目の淵は赤くなっていた。後で自分も魔法をかけてあげようと思いながら、華子の身仕度を促す。


「ハナコ様、考えるのは後にしましょう。もうすぐ朝食ですから、お召し代えの前に湯浴みをなされてください」


 昨日の足湯に引き続き、湯浴みの手伝いもガンとして断った華子に侍女としては淋しく感じつつも、どこまでも自立している華子をますます好きになったドロテアであった。



 ソフトボールくらいの大きさの『水球』と呼ばれる透明な青い石から出てくるお湯の雨にうたれ、手早く身体を流した華子がタオルを巻き付けて出てくると、ドロテアとイネスが驚いた様子で華子を見た。


「ハナコ様、もうよろしいのですか? 」


 四半刻前に入ったばかりだというのに、とドロテアが驚く。まるで殿方の行水のように手早いので浴室を覗くと、案の定、浴槽に湯を溜めた形跡はなかった。


「ただ髪と身体を洗うだけなので時間はかかりません。長風呂は贅沢です」

「遠慮なさらなくても大丈夫ですのに」


 ドロテアは華子の髪を乾かそうと、タオルを追加で持ってくる。ある程度まで水分を飛ばしたら、魔法の風を利用してサラサラに仕上げなけれならない。


「居候の身ですから」


 ついでに服も簡素にして下さい、と息巻く華子に、今日のドレスを選んでいたイネスはがっくりとうなだれた。


「わかりました、ご希望通りにいたします」


 せっかく楽しみにしていましたのに、と内心悔しがるイネスは、それでも華子を魅力的に魅せる取り合わせを的確に選んでいく。ここはイネスの侍女としての見せどころだ。


 イネスが選んだ華子の服は、緩く膨らんだ長袖付きのワンピースタイプの細身のドレスで、袖の部分が白、身頃の部分が薄い緑色の清楚なものだ。胸の下辺りを黄色の帯で締めて背中で飾り結びにしただけのシンプルなもので、髪も黄色いリボンで簡単に後ろで結んでいるだけ。化粧も最低限という、イネスからしたら信じられないものだった。幸い、肌が綺麗な華子はあまり化粧をせずとも大丈夫なのだが、張り合いがない。イネスは、着替え終えた華子が昨日より嬉しそうにしながら朝食を摂る姿に、どこか残念そうにしていた。



 本日の朝食は丸いパンと果実のジャム、スパニッシュオムレツ風な卵料理に野菜のスープだった。華子は朝食も手早く済ませ、リカルドが来るのを待つ。ただ待っているだけでは落ち着かないので、華子はドロテアとイネスに基本的なことを聞くことにした。


「え、じゃあこの世界は十三ヶ月あるってことですか? 」

「はい。一週間は七日、一ヶ月は四週間、一年は十三ヶ月。でも一年は三百六十五日ですから、一日だけ余ります。その日は『聖なるアルマの日』と呼ばれているのです」

「聖アルマの日? 」

「はい、一年の終わりと始まりの間にある、特別な一日です。この日に生まれた者は全て、コンパネーロ・デル・アルマとして、半分の魂を探しに行くのです」

「華子様とリカルド殿下の生誕日でもありますから、今年は盛大にお祝いしたいですわ」


 聖アルマの日が、一年の終わりと始まりの間の日なら、この世界の基準における華子の誕生日はその日なのだろう。それにしても、十二月三十一日に生まれた華子が、異世界人の魂の伴侶だとは、未だに信じられない。はしゃぐイネスとドロテアに対し、少し冷めた感情が沸いてきた華子は、別の話題を振ることにした。


「私の世界では、十二ある月のそれぞれが番号みたいに呼ばれていたの。一年の最初の月を『いちがつ』次を『にがつ』って。古い呼び方もあったけど、この世界、フロールシア王国はどんな風に呼んでるの? 」

「一番最初の月は天狼の月です。神代の昔、ポル・ディオス様が天狼にお乗りになられて夜明けを告げられたという神話からきています。次が氷鯱の月、一角獣の月、大海竜の月、不死鳥の月……一番最後が、妖精猫の月で、この妖精猫は寒い時期になると、森から人里に降りてきては悪戯をする可愛い妖精なんです」

「妖精猫? やっぱり似てるけど、少しずつ違うんですね。時間だけは同じみたいですけど」

「ハナコ様の世界では、一刻いっときは『いちじかん』と呼ぶのですよね。他には長さとか重さの単位も微妙に違いますけど、何だか親近感がわきますわ」


 貨幣の違い、ファッションの違いなどお互いに質問し合いながら、一刻くらいたった頃、フリーデが部屋に入ってきた。華子がドロテアやイネスと話し込んでいる姿に目を和ませる。


「楽しそうでようございました。おはようございます、ハナコ様」

「おはようございます」


 華子はフリーデに挨拶しながらも、その目は別の誰かを探してしまう。


「リカルド殿下には反省の意味も込めて仕事を与えてきました。終われば会いに来られますよ」

「そうですか」


 謝るタイミングがどんどんずれていく。リカルドが華子のことにかまけていられないのはわかるが、愛想を尽かされることが恐い。それから、昨日会ったばかりの人にそんな感情を抱いている自分が少し怖くなる。


「滅多に見ることができないくらいのやる気を出されていましたから、お昼には会えますよ」


 フリーデのその言葉に華子が顔を上げたそのとき、部屋をノックする音が響いた。


 まさか、もう?


 緊張して扉を凝視する華子を余所に、すんなりと開け入ってきたのは ––––


「ハナコ様、アレッサンドロ医術師長です」


 白い服に身を包んだ、人の良さそうな白髪のお爺さんだった。


「初めまして、異界のお嬢さん。私はアレッサンドロというしがない爺いですが、これでも医術師でしてな」

「初めまして、ハナコ・タナカです」

「なかなか可愛いお嬢さんじゃの。今日はこの爺いが健診に参りました」


 あ、昨日リカルド様が言ってた『会っていただかなくてはならない人たち』の中に医術師って単語があったわね。


 どうやら医術師は謁見対象ではなく、華子の健康診断に来たようだ。身長や体重を測ったり、血液検査をしたりするのだろうか。それとも、魔法的な何かでパパッと分かったりするのだろうか。アレッサンドロ医術師長が持ってきた黒い革の鞄は、華子の世界での往診鞄によく似ている。


「よろしくお願いします」


 華子はアレッサンドロ医術師長に頭を下げながら、どうか健康診断に引っかかりませんように、と密かに祈った。

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