第10話 二人だけの晩餐会と残酷な真実

「殿下、ハナコ様のご準備が整いました」


 寝所の扉が開き、ドロテアとラウラが意味あり気な笑みを浮かべて部屋の片隅へと控える。フリーデは「あら意外と早いわね。残念ですわ」とリカルドだけに聞こえるように言い残し、素早く茶器を片付けていく。


 冗談ではない。


 リカルドはこれ以上やり込められては堪らないという意味を込め、フリーデに向かって魔除けの印を切った。そしてソファから立ち上がり、華子を待つ。


 その姿はまるで、大輪の花が咲き誇っているようだった。


 光沢のある白く艶やかなドレスが部屋の明かりを柔らかく反射し、華子が歩みを進める度に虹色に輝いている。まるで先程華子が放っていた魔力のようだ。ドレスの裾や襟に施された金糸の刺繍が控え目であるため、布自体が持つ良さを充分に引き出されている。飾りボタンの青海石や水色の腰布はリカルドの瞳と揃えたのであろう、にくい演出だ。華子の深い茶色の髪は首元で纏められ複雑に編み込まれており、その髪を飾る髪留めや腰布の帯留めはやはり水色に輝く青海石であった。

 緊張しながら何とか微笑もうとしている華子はとても初々しく、施された化粧も華子本来の美しさを損なうことなく華やかに彩っている。


 リカルドは掛ける言葉を失った。

 長年の経験から女性の扱いには慣れているはずのリカルドが、華子をどう扱えばよいのかわからなくなった。ただ見惚れるだけしかできない少年のように、華子を見つめる。

 そしてゆっくりとリカルドに向かって歩いてきた華子も、何と言ってよいのかわからずに俯いた。


 なんとまあ、初々しいのでしょう。


 フリーデはそんな二人の様子に眉尻を下げる。あのリカルドが言葉無く立ち尽くしている姿など見たことがなかった。特に女性関係はどこか冷めていて、いつの頃からか特定の女性と付き合うことをやめてしまったはずだというのに。

 そんな、リカルドが恋をしている。


 よかったですわね、義兄上様あにうえさま


 フリーデは華子を遣わした神に感謝した。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「着慣れなくて、どこかおかしいですか? 」


 スカートをつまんで軽く持ち上げながら、華子はリカルドに尋ねる。リカルドが何も言ってくれないので不安になったのだ。本当はドレスなど脱いでしまいたいのだが、他に服もない。


「い、いや。驚きました。ハナコ殿があまりに、その、あの……」


 リカルドはこれでもかというくらいに慌てふためく。フェルナンドがここにいれば、さぞかし驚愕したであろう珍しい光景だ。


「あまりに、美しい」


 ようやく述べた感想はあまりにもベタなものであったが、リカルドはそれだけしか言えないくらいに衝撃を受けたのだ。そして華子も褒められ慣れていないので、小さく「ありがとうございます」と呟くとゆっくりとリカルドの顔を仰ぎ見る。お互いの視線が交じり合い、またもや慌てる二人であった。


 そんなリカルドと華子の様子を固唾を飲んで見守っていた侍女たちは、悪戯が成功した子供の様に顔を合わせて微笑み合う。特にイネスは、目の前で大好きな恋物語が展開している状態に興奮していた。そして密かに、リカルドと華子を応援して行こうと決意した瞬間でもあった。


「さあ、ハナコ殿。お手をどうぞ」


 リカルドは気を取り直して華子をエスコートすることに専念し、右手を差し出す。華子はどうしようか迷ったが、右手を伸ばしてリカルドの右手にそっと触れる。今までも散々接触してきた華子であったが改まると気恥ずかしい。リカルドはそんな華子の右手を掴み、その手を自分の左腕に導いた。リカルドの左腕に華子が右手を添える形で立ち並ぶと、フロールシア王国のエスコートの基本形ができた。


「晩餐の間までこのまま案内いたします。よろしいですかな? 」

「はい、お願いします」


 正直、支えがないと絨毯に足を取られそうになっていた華子はリカルドの申し出をありがたく受け取った。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 華子のいたアマルゴンの間から、そう遠くない場所に晩餐の間はあった。久しぶりのハイヒールに多少よろけながらも、リカルドに支えてもらい何とか凌ぐ。

 次は恐怖の晩餐だ。

 リカルドは軽くと言っていたが、はっきり言って華子はこのドレス姿で食事などしたくはない。せめて、汚さず食べられるものでありますように、と祈っていた華子は並べられているフォークやナイフ、スプーンの数に絶望した。


 フルコースですよね、これ。


 リカルドに椅子を引いてもらい、ちょこんと腰を掛ける。広く長いテーブルの端に、華子とリカルドの二人だけだ。見慣れたフルコース用のセッティングに、マナーはどうやら同じらしいと安心した華子だが、ドレスを汚さないとは限らない。部屋に控えていた給仕が、銀のグラスに透明な液体を注ぐと、リカルドはグラスを取った。


「これはただの発泡水です。それともお酒を好まれますか? 」

「いいえ、お酒は苦手なんです」


 本当はお酒は大好きでウワバミだったが、雰囲気で酔いが回りそうだったので断る。そして華子もリカルドをならってグラスを取った。


「我らの新しき同胞はらからに」


 リカルドはそう呟いて華子に向けてグラスを傾ける。華子もリカルドに向かってグラスを傾けた。


「豊かな実りと糧を分け与え給え」


 華子はグラスの水に口を付けながら、いただきますみたいなものかしら、と僅かに首を傾げた。


 柔らかい干し肉を、独特な油にまぶして葉野菜と混ぜ合わせた前菜から始まり、黄色みの強い香ばしいスープ、瑞々しい見たこともない温野菜のサラダを少量、エビのような殻が付いた魚介類の焼き物にキノコと鳥肉みたいなものを葉っぱで包んで蒸したもの、ふわふわした平たいパン、口当たりのよいぷるっとした食感の果物。

 味付けが豊富で、ハーブや香辛料のようなものまで使用されている。流石に味噌や醤油はないようだが、魚介類に魚醤のようなソースが使われていた。はっきり言って美味しい。そして、何故かスペイン風だ。


「どれも、とても美味しかったです。私の世界のスペイン風料理にどこか似ています」


 どうにかドレスを汚さずに食べ終えた華子は、すかさずナフキンで口を拭う。


「案外ハナコ殿の世界から伝わったのかもしれませんなあ。この国は異界の客人まろうどが数多く来られます故、様々な文化が入り乱れて発展してきたのです」


 リカルドは、食事に満足した様子の華子の質問に興味深げに答える。そんなに多く客人がいるのか、と華子は驚いた。だからこんなにも文化が似ているのだろうか。


「客人はどれくらいいるのですか?」


 華子は、客人がもしまだこの世界にいるなら是非とも会って話しがしてみたいと思った。


「この国に滞在されている数は実は把握できません。他国の客人の出入りも盛んなのです。この国で保護した数だと、ここ二十年で三十人近くの客人を迎えました」

「そ、そんなに」

「ハナコ殿のように、文化的な世界から来られる方や、魔法文明の世界から来られる方、まったく文明のない世界からの客人もおりましたな」


 リカルドは言わなかったが、何も人間だけが客人ではなかった。十四年前にやってきて、王国に甚大な被害をもたらした巨大な翼なき双頭のドラゴンもまた、客人として落ちてきたのだ。


「世界はたくさん存在するんですね」

「明日にでも学者たちから説明がありますよ。心配は無用ですぞ、ハナコ殿。何があろうとも、ハナコ殿は私がお護りいたします」


 リカルドから真剣に見つめられると、何だか自分がお姫様になったような錯覚に陥ってしまいそうになる。出会ってまだ一日しか経っていないはずなのに、リカルドに絶対的な信頼を抱きつつある華子には、リカルドの言葉がお護りのように感じられた。



 二人だけの晩餐も終わり、リカルドは明日の華子の予定を説明することにした。


「ハナコ殿、場所を移しませぬか? 」


 思案顔の華子はリカルドに視線を戻して眉を下げる。


「部屋に戻るのですか? 」


 その瞳は話の続きを聴きたい、と言っている。リカルドはついにこのときが来たかと、小さく溜め息をついた。


「いいえ、談話室に参りましょう。今後のご予定も説明差し上げたいと思います」


 席を立ったリカルドは華子の椅子を引くと、右手を差し出す。


「お手をどうぞ」

「ありがとうございます」


 華子もドレスに馴れてきて、リカルドの手を取りスムーズに立ち上がる。リカルドの左腕に掴まって歩きながら、談話室も近ければいいな、と心配する華子であった。



 談話室は一階にあり、窓からは夜の庭園が見える。街灯を幾分小さくしたような明かりが点在し、なかなか幻想的な雰囲気だ。

 華子のいた部屋よりもこじんまりした部屋で、小さな円卓に八脚の座り心地の良さそうな椅子が取り囲んでいる。そこに腰を落ち着けた二人は、少しの緊張と静寂に包まれた。


「ハナコ殿には、会っていただかなければならない者が何人かおります」


 リカルドがとつとつと話を始める。華子にとってはあまり聞きたくない話だが、仕方がない。


「国王を筆頭に、王族の面々、宰相、各大臣、近衛騎士団長、警務隊総司令、あとは医術師ですかな」

「そ、そんなに……」


 華子は無理だと思った。そんなに偉い人ばかりでは心臓が持たない。


「ちなみに私は第九王子ですので末席ですな」


 少なくとも後八人は王子様がいるということは、他にもその子供、孫がいると考えられる。なんとも子沢山な王様だ。


「まあ、一括で会えますから、そんなに気を張らないでくだされ」


 リカルドのような人であって欲しいが、大臣と聞いて思い浮かべるのは日本の政治家だ。あまり会いたいような人種ではない。

 それに、宰相とは非公式であるが既に面識がある。最初に通った宮殿の廊下でのやり取りは、あまり気持ちのいいものではなかった。


「形式的に謁見するだけですよね? 」

「無論ですとも。私が配慮させます」


 リカルドは万が一質問責めにでもなれば、華子を連れ出そうと考えていた。リカルドを怒らせると後が怖いことは周知の事実なので、冒険する輩がいるとすれば、国王ただ一人であろう。


 いや、宰相もか。


 中々の食わせ者である宰相を思い浮かべたリカルドは、どうやってやり過ごそうか思案する。魔力の暴走の件について、どう攻めてくるのか。全ては相手次第だ。

 やることがいっぱいで大変だとこぼす華子に、しばらくの辛抱です、と答えるしかないリカルドだった。


 話が途切れたところで、華子は決意して口を開く。


「リカルド様、率直に聞いてもいいですか? 」


 今まで避けていた質問をするために、勇気を振り絞る。リカルドにも華子の緊張が伝わったのだろう。華子の目を見てゆっくりと頷く。華子は息を吸い込むと、ここに来てからずっと気になっていることを口にしようとした。


「私は元の世界に帰れますか」

「元の世界に帰られるのですか」


 リカルドは華子の言葉に被せるようにして、華子の質問に自分の声を重ねて、席を立つ。今までにないリカルドの硬い声に華子はどきりとした。


「申し訳ありません。私は……私が、一番ハナコ殿の不安をわかっておりました。でも、私も怖かったのです」


 リカルドの鮮やかな水色の瞳が揺らめく。華子はゴクリと喉を鳴らした。


「元の世界に戻ることができるのか、私にはお答えすることができません。わからない、としかお答えすることができません」


 リカルドの揺らめく水色の瞳が、徐々に虹色へと変化していく。


「異界の客人はある日突然来られます。空に、大地に、水に、突然姿を現すのです」


 リカルドの変化に驚く華子を見据えながら、客人にとって厳しい現実を語る。


「ある客人は言いました。世界は平行して幾つも存在すると。普段は決して交わることのない世界同士が何らかの理由によって交わるとき、その接点に穴が生じると」


 避けては通れぬ話とはいえ、異界との行き来について認識のない世界から来た華子には、あまりに辛い事実を述べなければならない。


「ハナコ殿はその穴に落ちてしまったのです。そして、また再びその穴が発生するのか誰も知りません。それを故意に発生させる魔法術も、この世界には存在しないのです」


 そこまで一気に言い終えたリカルドは、しかしながらずっと華子から目を逸らすことはしなかった。


「パラレルワールド、若しくは、別の時空の世界、ですか」


 それは、リカルドの説明を理解しているかのような呟きだった。


「だからこの世界はとても似ているのですね」


 華子の声が震えている。


「リカルド様」

「はい」

「リカルド様」

「はい、ハナコ殿? 」


 華子はそれ以上言葉が続かないのか、リカルドの名前を繰り返し呼ぶ。リカルドは、必死で現実を受け止めようとしている華子を見守るしかなかった。華子が強い心を持っていることを願うしかなかった。過去の客人の中には、事実を受け止められず、心を病んでしまった者もいるのだ。


「リカルド様、泣いても、いいですか」

「ハナコ殿」

「今日、ここで泣いたら、明日、元気に、なりますから」


 華子の顔が歪み、その瞳には涙が溢れる。


「明日、また、笑えますっ、から」


 その頬を、一粒、二粒と涙が零れ落ちる。


「ふっ……だ、だいじょう、です」

「ハナコ殿!! 」


 リカルドは声を殺して泣き出す華子の手を引いて、その胸に抱き寄せた。


「私は、不安なの、です。会ったばかり、だというのに、リカルド様や、ふっ、フリーデさんやたくさんっ、の人に良くしていただいて」


 華子もリカルドに縋り付く。そうでもしないと、倒れてしまいそうだった。


「でもっ、私は突然こんな、ことに、巻き込まれて、何もわからないっ、ことが不安で、不安でっ」


 後はもう言葉にならなかった。華子の悲痛な慟哭だけが静かな部屋に響く。

 リカルドは己の迂闊さを呪った。華子が聡明で落ち着いており、物分りがよいので失念しがちだったが、数多くの客人たちと同じく故郷である世界から切り離されてしまったばかりなのだ。たった一日しか、いや一日も経っておらず、まだ混乱の中にいるだろう人に、何という残酷な仕打ちをしてしまったのか。リカルドにしてみれば、華子はまごうことなきリカルドのコンパネーロ・デル・アルマであるも、華子にとっては初めて知らされる事実なのだ。悲しいかな、見知らぬ世界の見知らぬ人物でしかない。


「お護りします! 我が身に代えてもお護りいたします!! 」


 だから私のアルマ。

 私を拒絶しないでください。


 華子が泣き疲れて気を失うようにして眠ってしまうまで、リカルドは抱き締めていた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「殿下、どうなされ……」


 リカルドは口に人差し指を当てた。フリーデとラウラは、リカルドの腕の中でしずかに眠っている華子に目を向ける。ラウラはすぐさま寝所に向かい、フリーデは華子の睫毛を濡らす涙に気がついてカルドを咎めるように睨む。


「訳は後で」


 リカルドはラウラの後を追って寝所に入ると、ベッドの真ん中にそっと華子を降ろした。華子は起きることなく眠っている。


「ラウラ、後は任せる」


 後ろ髪を引かれながらも踵を返したリカルドを見送ったラウラもまた、華子の涙に気がついた。何があったのか分からないが、リカルドの様子から客人について何らかの話をしたのだと察し、気遣わしげに華子を見る。


「ハナコ様……」


 明日、目を覚ました華子が少しでも元気になりますように、と祈りを捧げたラウラは華子の腫れた目元にそっと濡れた布を押し当てる。

 そして、フリーデの厳しい声に俯きながらただ一言「客人について話した」と言い残し部屋を立ち去ったリカルドは、そのまま竜騎士団の隊舎に向かったのだった。

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