第9話 魔力の暴走 ③

 華子が身仕度をしている間、リカルドとフェルナンドは打ち合わせをしていた。間を置いて、侍女長のフリーデがドロテアとラウラを連れて部屋に入ってくる。


「では、魔力の暴走についてはバレリオ従騎士が体調を崩したことにより発生。慌てて止めに入った近衛騎士と侍女の四人が結界を張ったところ、思いのほか相性がよく相乗効果で魔力が放出された……でよいですね」


 竜騎士の魔力の暴走と言ったからには事実にしなければならない。このような処理はフェルナンドにはお手の物であった。


「バレリオには申し訳ないが、たった今から療養だ。迷惑をかけるが手当ははずむと伝えてくれ。後、深夜になるが私が直接説明に行く」


 何よりバレリオの名誉にも関わってくるので、本人に詫びを入れなければならない。

 この手の手法は貴族たちを中心に結構よく使われているので、身に覚えのない不名誉など、知らないだけで探せばいくらでも出てくるのだ。そうは言ってもリカルドは律義であるし、小細工は好まない。リカルドは複雑な思いで、手配のため立ち去るフェルナンドを見送った。


「マウロ、アドルフォ、エンリケ、お前たちにも迷惑をかけるな」


 名前を呼ばれた近衛騎士たちは胸に拳を当てて敬礼をする。


「サルディバル団長にも釈明に行く。早い方がいいか」


 リカルドは少し思案してから、今から近衛騎士団長の所に行こうかと考える。関わった近衛騎士もいるので一緒に行けば手間が省ける。


「あの、殿下」


 ふいに呼ばれたリカルドが顔を上げると、フリーデたちと静かに控えていたラウラが、言いにくそうにもじもじとしていた。


「どうしたラウラ」


 リカルドに促されたラウラはおずおずと答える。


「サルディバル団長なら、その、先ほどご帰宅なさってました」


 しかも鼻歌交じりで、とまでは事実を言えないラウラは言葉を飲み込む。


「……何だと? 」


 まだ早い時間で、しかも先ほどの騒動も知っているはずの近衛騎士団長が帰ったとは思いもしなかった。


「殿下、申し訳ありません。うちの団長、新婚なんです」


 追い撃ちをかけるアドルフォに、そういえばそうだったと、リカルドは三月ほど前にサルディバルの盛大な婚礼の儀に出席したことを思い出す。


「なら仕方がない。明日伺うか」


 釈然としない思いを抱えながらも、リカルドはサルディバルを叱責する気にはなれなかった。サルディバル近衛騎士団長も、つい最近アルマを手に入れたばかりだ。ただリカルドと違う点は、サルディバルがリカルドよりもだいぶ若いということと、早くから見つかっていた彼のアルマは隣国の女性騎士だったため、一緒になるには多少の障害があったということだった。


「それでは殿下、我々は持ち場に戻ります」


 とりあえずの隠蔽工作も終わったので、近衛騎士は自分の持ち場 –––– アマルゴンの間の警護に戻る。


「よもや、ハナコ殿にあんな魔力があるとは思わなかったな」


 リカルドはソファにどっかりと座った。


「しかし不思議です。私も何も感じとれませんでしたのに」


 フリーデがお茶を出すために茶器を用意しながら、自分の手のひらを見る。魔力を一番発現させ易い器官は手である。よって、魔力を探る場合も直接手で触れた方がより正確に解るのだ。

 フリーデは若かりし頃、治癒術士として竜騎士団に仕官していたことがある。その頃についた渾名が“雷鳴のフリーデ”という本人にしてみれば有難くも感じられないものであったが、とにかくフリーデは優秀な魔術師であった。


「ハナコ殿は異界の方だ。我々とは違うのだろう。今はなんともわからないが、私には危険な魔力ではなかった」


 リカルドは華子を護れるのは自分しかいないと自負している。


「それに今のハナコ殿には赤子より弱い魔力しかないしな。それよりドロテアにラウラ、ハナコ殿の身仕度を手伝ってやってくれ」


 寝所の方を気にしながらそわそわしていたドロテアとラウラが、喜々として華子の元へ向かった。彼女たちも他の若い侍女と同じく、主を美しく着飾らせることに生き甲斐を感じているのだ。二人が寝所に入ったことを確認したフリーデは、丁度良くできたお茶をリカルドのカップに注ぐ。


「それにしても義兄上様あにうえさま。先ほどのあれは何ですか。竜騎士団長ともあろうお方がみっともない」

「……手厳しいな」

「ただでさえ、宰相閣下のご機嫌が麗しくないというのに。この様子ではあちら側に筒抜けかも知れませんね」

「そう思うか? 確かにあれは客人まろうどというだけで過敏に反応し過ぎだが、まあ、あれも馬鹿ではないからな。ただの未熟な竜騎士が起こした魔力の暴走だと、上手く騙されてはくれまいなぁ」

「何にせよ、あちら側の出方次第でございますよ。義兄上様はいつも通り、飄々としていれば良いのです」


 乳兄妹として共に育った幼少期から、リカルドはフリーデに勝てた試しがない。大人になり、それぞれ立場ある役職に着いた今でも何故か頭が上がらなかった。

 それに、フリーデの言うことも最もだ。

 急いでこちらから釈明に向かうよりも、宰相から聞かれたときに答えればよい。そこら辺の細かいところはフェルナンドがやってくれるだろう。しかし万が一、宰相にハナコの保有している魔力のことがバレた場合は、容赦なく華子を排除すると言い出すに違いない。

 六年前も、ある客人が宰相を筆頭とする反客人派と揉めたことがあるため、気は抜けない。あのときの客人には悪いことをした、と今でも気の毒に思っている。警務隊が後ろ盾になってくれなければ、彼は今ごろどうなっていたか分からない。


 ハナコ殿には、絶対にその様な目には合わせたくはない。


 この世界にとって悪しき力を持って来る異界の客人も居るため、宰相が危惧していることも分からないでもない。第一、長く続いた隣国との戦争を終わらせるきっかけになった存在も、悪しき力を持つ異界の客人だった。両国に甚大な被害を及ぼした客人は、考え様によっては戦争を終わらせた英雄とも言えようが、あれは厄災の名に相応しい、凶悪な存在でしかなかった。

 華子が発した虹色の魔力が、ただリカルドを呼ぶためだけのものであれば何ら問題はない。しかし、これから華子に待ち受けている数々の調査により、害悪を及ぼすと判断されれば、最悪幽閉され兼ねない。

 そうなれば、華子のコンパネーロ・デル・アルマであるリカルドが取る道はただ一つ。幽閉される前に、華子を連れて国を出るしかなくなってしまう。漸く現れたアルマを連れて追われる身となる事態は、避けたかった。


「厄介だな……」

「厄介なのは義兄上様のことでございますよね。サルディバル団長といい義兄上様といい、はっきり言って弛んでいます。気の緩みは王国の危機を招くのです」

「そんなに分かる程弛んでいるか? 」

「身体のことではありません。それとも、その御老体も、弛みきっているのでしょうか? 竜騎士団長ともあろうお方が、嘆かわしい」


 容赦なく苦言をぶち撒けるフリーデは、渋い顔になったリカルドに対してまだお小言を続ける。


「私にはアルマはいませんから、義兄上様の気持ちを推し量ることはできません。しかし女心なら多少はわかります。はっきりと申しまして、ハナコ様がこんな情けない義兄上様を見たら幻滅します」

「そ、そうなのか?」

「ご自覚なされませ」


 華子の名前を出した途端に情けない声を出すリカルドに、フリーデの片眉がくいっと器用に上がった。コンパネーロ・デル・アルマとの邂逅に浮かれきっているのがよく分かる。長い付き合いの乳兄弟は、ようやく訪れた遅い遅い恋の種により、フリーデすら見たことがない一面を惜しげもなく曝け出していた。


「ただでさえ無駄に年を食ったお爺さんなのですから、もっと精進なさってください」

「そこまではっきり言われると、流石にきついぞ」

「自業自得です」


 雷鳴のフリーデ渾身の口撃を、リカルドは防ぐ術を持たない。リカルドは深妙な顔をしながら、フリーデの入れたお茶をちびちびと飲むのであった。



「ハナコ様素敵ですわ! 」

「なかなかやりますわね、イネス」


 ノックと同時に駆け込むようにして入ってきたドロテアとラウラは、華子のドレス姿に歓声をあげた。イネスは華子に化粧をほどこしながら、二人に向かってにっこりと笑う。


「ハナコ様という素材がよろしいんですわ。ねえラウラ、下地を塗り終わったからこのまま交代してくださる? 貴女の方がきっと上手くできると思うの」

「わかったわ、私に任せて! 」

「化粧が終わったら、私が御髪を整えますわ。巻き上げた方がいいかしら? 一部をそのまま垂らすのも流行りですし」


 ドロテアもラウラも目を輝かせて華子を見ている。イネスもそうだが、侍女とはこんなにもパワフルなものなのだろうか。


「あ、あのラウラさん、ドロテアさん」


 三人の侍女たちの勢いに飲まれた華子は為すがままにになっていて、おいそれと口を挟むこともできない。


 私、三十路なんです、もう若くないんですってば!


 華子の心の叫びが侍女に届くことはなく、あれやこれやと着せ替え人形になった気分だ。それでも、ラウラが手早く化粧を施す姿やドロテアが髪を整えていく手順などテキパキとこなす姿を見ていると、自然と口元が綻んでくる。彼女たちは侍女の役割を真剣にこなしていて、それを楽しんでいるように見える。若い彼女たちが一生懸命に働く姿こそ輝いており、美しいではないか。それに比べて、ただ漫然と派遣の仕事やアルバイトをしている自分にもう少し喝を入れようと決意する華子であった。


「完成でございます! 」


 髪を結い上げたドロテアが満足そうな声をあげる。華子が物思いに耽っている間に、ついに着せ替え華子の身仕度が終わったらしい。イネスが華子を姿見の鏡の前まで手を引いていく。


「素晴らしい仕上がりですよ」


 ラウラもにこやかだ。

 華子はイネスが用意したヒールが七センチくらいある白い靴に足を入れ、ゆっくりと歩く。ハイヒールなんて何年振りだろうか。慣れないドレスのせいで思うようには歩けない。それでもようやくたどり着いた姿見の鏡を見て華子は絶句する。


 鏡に写る白いドレス姿の女性が華子には自分だとは思えなかった。


「さあ、リカルド殿下がお待ちでございます」

「参りましょう、ハナコ様」

「リカルド殿下も驚かれますわ」


 三人の侍女、いや魔法使いに導かれ、華子は半ば茫然としながら寝所を出た。


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