第8話 魔力の暴走 ②

義兄上様あにうえさま何をぼさっとなされているのです?」


 フリーデがリカルドのことを『義兄上様』と呼ぶときは注意が必要だ。リカルドを咎めるとき、または何か企んでいるとき、要はリカルドにとって不利になる状況のときにフリーデは故意に義兄上様と呼ぶ。今の場合は前者である。


「すまない、竜騎士の魔力の暴走だ! 部下が迷惑をかける」


 だが、それは事実ではない。リカルドは騒ぎを収めるため、わざと真実を明かすことを避けた。


「我々で事態の収集を図ります。侍女殿も手伝っていただきありがとございました、後は我々に任せてください」


 フェルナンドもリカルドの真意を汲むと、ドロテアにこの場を離れるように促す。ドロテアは何か言い返そうとしたが、フリーデから腕を掴まれ思いとどまった。周りの騎士や文官たちも、それならば仕方が無いとか人騒がせなと言いながら、それぞれの部屋や持ち場に戻って行く。

 そうこうしている間にも、魔力は尽きることなく流れてきている。リカルドとフェルナンドはその場をフリーデに任せて先を急いだ。



 たどり着いたアマルゴンの間は異様な雰囲気に包まれていた。魔術師たちが施した結界が今にも綻びそうになっていることが一目でわかる。近衛騎士の一人が、扉の前で結界を必死に保っていた。


「中の状況は?! 」

「で、殿下……侍女と近衛二人で、なんとか抑えています」


 リカルドが扉に手をかけると想像以上の魔力が伝わってくる。


 結界で抑えていてこれほどとは。


 だが、華子が心配でならないリカルドにはひるむ理由にもならない。意を決して扉を開き厳しい表情で部屋に入るも、意外にも中は穏やかだった。虹色の柔らかい光で溢れ返り、その魔力はリカルドを暖かく包み込む。拍子抜けしたリカルドであったが、一緒に部屋に入ってきたフェルナンドは苦しそうだ。


「殿下、この魔力にこの圧力、高位の魔法術師に匹敵、します、ね」


 フェルナンドの額にじわりと汗がにじんでいる。


「そうか? 確かに魔力は高いが、特に何も感じないぞ」


 魔力の暴走と言うには穏やか過ぎる。既に落ち着いたのだろうか。リカルドは寝所の扉の前で、これまた必死に結界を張る三人に声をかけた。


「伝令は受け取った。ハナコ殿は? 」


 三人共に今にもへたり込みそうになっていたので、結界の半分をリカルドが受け持つ。若い近衛騎士のマウロが振り返り、安堵した顔でリカルドを見て寝所を指し示す。


「中に……我々では近づくことすら、できません」


 はたして、華子はそこにいた。


 広い寝台の白い敷き布の上に丸くなっており、ただ眠っている。虹色の魔力は華子から放出されており、それがまた幻想的だ。

 恐れていた魔力の暴走ではなかったようで、リカルドはホッと息を吐いた。執務室で感じた異様なまでの魔力の圧力は、三人の近衛と華子付きの侍女の結界の魔法が重なったものだろうか。華子を丁重にもてなすのは良いが、やり過ぎてはいけないと自身をも戒める。


「眠っておられるだけではないか。まぁしかし、このままではいかんな。少しかわいそうだが、起こすとするか」


 平然と華子の眠る寝所に入っていくリカルドに、扉の前に残された四人は唖然とした。


「殿下の魔力は底無しか? 」

「あの光の中に平然と入って行かれるなんて……」


 近衛騎士の二人はガクリと膝を落とす。

 リカルドとフェルナンドの加勢により結界の維持がだいぶ楽になったものの、今まで限界ギリギリまで魔力を使っていたのだ。すると寝所の中からイネスを呼ぶリカルドの声がした。


「イネス、こちらに来てくれ」

「どうやって参ればよろしいのですか?! 」


 虹色の光が眩し過ぎて中が見えないうえに、魔力が半端ないので自分ごときには無理だ、とイネスは部屋の前でオロオロとするばかりだ。


「殿下、私には光が強すぎます。それにその魔力では近づくことすらできません」

「光? ハナコ殿に似て柔らかな美しい光ではないか。魔力も穏やかで心地よいぞ? 」

「「「「だから、それのどこがですか?! 」」」」


 四人全員が、リカルドに突っ込んだ。規格外にも程があり過ぎる、というか、何かがおかしい。フェルナンドは考えた。どうやらリカルドと自分を含むその他の者とでは感じ方が違うようである。別にリカルドが鈍感だとかそういうことではない。むしろリカルドは一流の魔法術師であり魔力に敏感である。だとすれば、執務室でリカルドの瞳が虹色に変化したことと華子の放つ光が虹色であることから導き出される答えはひとつ。


「殿下。推測ですが、ハナコ様は殿下を呼んでおいでです。我々には、その虹色の光は強すぎて近づけません」


 リカルドと華子は呼び合っている。


 フェルナンドの推測に、リカルドは合点がいった。リカルドの虹色は瞳に現れる。華子の虹色は魔力に現れるのだ。そう思えば、華子が奇妙な渦から落ちてくるときに渦が虹色に光っていた。アルマ同士呼び合っているから、リカルドには華子が放つ光が柔らかく感じられるのだ。


「それでは仕方が無い、私がお起こししよう」


 リカルドは静かに華子の眠る寝台の上に腰をかけた。華子の深い茶色の髪が、緩やかにうねり枕に広がっている。長く真っ直ぐな色の濃い睫毛に縁取られた目は閉じられ、すうすうという小さな寝息がこぼれていた。起こすのがもったいないくらいだが、仕方が無いのだ。

 リカルドはそっと右手を伸ばし、華子の頬を優しく撫でる。剣や槍を振るい続けて五十数年。節くれだった豆だらけの大きな手には小さすぎる柔らかな頬。


「ハナコ殿、貴女のアルマが参りましたぞ」


 華子が目覚める気配はないので、今度は艶やかな髪に覆われた頭を撫でる。


「起きてくだされ」


 リカルドは華子の耳元に顔を近づけて囁く。


「もしや、目覚めの口付けをご所望ですか? 」


 華子の睫毛がふるふると震えている。後もう少しだ。


「早く起きて私を見つめてくだされ。こんなに近くにいるのに、寂しゅうございます」


 華子の額に口付けを落とす。


「ん……」


 リカルドが額から唇を離すと、華子は薄っすらと目を開けた。


「ハナコ殿、おはようございます」


 リカルドは、寝ぼけ眼の華子に満面の笑みで目覚めの挨拶をする。すると何も知らない華子も、にっこりと微笑んで挨拶を返してきた。


「おはようございます、リカルド様」


 いつの間にか、虹色の光は消えていた。


 溢れんばかりの光と魔力が跡形もなく消えた。寝所の外にいた四人は、突然消えた圧迫感に胸を撫で下ろす。あれだけの魔力であったが調度品や窓にはまったく被害がなく、いつものようにそこにたたずんでいた。


「どうやらお目覚めになられたようですね」


 近衛騎士のマウロは大きく深呼吸をした。


「私、中に入った方がよろしいのかしら」


 乱れた髪を整えながらイネスが呟く。


「……ドラゴンに蹴られますよ」


 もう一人の騎士、アドルフォはどうすべきか悩むイネスに助言する。ここはリカルドが呼ぶまで待機しておく方が得策だ。


「お三方共、このことは他言無用でお願いします。若い竜騎士が一人、魔力を暴走させただけです」


 フェルナンドはそう言い残し、部屋の外にいるもう一人の近衛騎士にも同じことを伝えに行った。


「言ったとしても、誰も信じませんよ……」


 疲労困憊のマウロの言葉に、残りの二人も異論はなかった。近衛騎士三人に侍女一人、竜騎士団文官長に竜騎士団長、それにアマルゴンの間の結界をもってしても抑えきれないほどの魔力など、一体誰が信じるというのか。

 微妙な表情で顔を見合わせた三人は、それぞれが大きなため息を吐いた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「おはようございます、リカルド様」


 華子はまだはっきり覚醒しない頭で、目の前にいたリカルドに挨拶する。するとリカルドは華子の頭をひとなでしてからベッドを降り、部屋の明かりを点けにいく。


「もう夜ですか……お休みなさい」


 何だか部屋の中が薄暗いのでもう一眠りしようとした華子は、何かがおかしいと気が付いた。


 そういえば、寝てたんだった。


 あまりに眠たくて、華子はフリーデに頼んで休んでいたのだ。広い豪華な部屋に広いベッド、傍らにはリカルドが。そういえば何故ここにリカルドが居るのだろうか。


「リカルド様、何故ここに」


 先ほどリカルドは、華子におはようございますと言っていたので、そういうことだろう。部屋の明かりを点け終えたリカルドが再びベッドの側に歩み寄ってきた。


「ハナコ殿にお目覚めの挨拶をしに参ったのです」

「アリガトウゴザイマス」


 王子様が起こしにきてくださるなんて……。


 華子はぎこちなくお礼を言う。寝起きで最悪の顔を見られてしまった羞恥心から、華子は穴があったら飛び込みたい気分になった。


「ハナコ殿、お身体の具合はいかがですか?」

「とてもよく眠れましたから、何だかスッキリしています」


 華子は羽布団で上半身を隠しながら、身体を起こす。慢性化していた身体のダルさや、仕事の疲れがまったく感じられない。やはりベッドの性能がよいお陰なのか、身体が痛くなったり寝違えたりはしていない。ただ寝るためだけの寝袋ではダメなのか、と華子は認識を新たにした。


「顔色も良いようですな。どうですか? 晩餐をとられますか?」


 そういえば少しだが空腹感がある。


「少し、いただきたいです」


 はにかみながらお腹の辺りを押さえる華子の様子を確認し、リカルドは華子の手を取った。華子はリカルドの突然の行動にビクッと身をひそめたが、リカルドは気にすることもなくそのまま華子の魔力を探る。

 微かに魔力の流れを感じるが、まるで赤子のように小さく、そして透明だった。先ほどまでの虹色の魔力とは比べものにならないくらい、わずかにしか感じられない華子の魔力。枯渇寸前というよりも、最初からこれだけしかないという方が的確な表現だ。


「あの、リカルド様……手を」


 魔力の解析に集中していたリカルドは、華子が戸惑っていることにようやく気がついた。


「ああ、申し訳ありませぬ。華子殿の魔力を少し探らせていただいておりました」

「魔力? え、私の魔力? 」


 どこにあったのだそんなもの、と言いた気な華子に、リカルドは簡単に説明をする。もちろん、あの虹色の魔力のことは伏せて。


「赤子程度ではありますが、わずかに感じますな。もっとも、この程度では指先ほどの光すら灯せるかどうか」


 すると、華子はあからさまにがっかりした表情になった。


「ちょっとだけ期待していたんですけど」

「残念ながら」


 誰もが一度は憧れる魔法。あの、白フクロウを従えた世界一有名な魔法使いやゲームのなかの魔法使い、アニメで活躍する魔法少女たち。少し、いやかなり期待してしまった華子にとって、リカルドの説明は無常だった。


「さて、ハナコ殿にも異常はないようですので、まずはお召し替えをなされてください。イネス! 」

「はい、ただいま」


 リカルドが呼ぶと、寝所の扉からふんわり金髪の侍女イネスが顔を覗かせる。寝台の上に起き上がっている華子を見ると、その顔に安堵の笑みが溢れた。


「リカルド殿下、お呼びでございますか?」

「軽く晩餐をお取りになる。その前に身仕度を」

「かしこまりました」


 イネスはすぐさま、侍女の控え室に踵を返す。よかった、ハナコ様はご無事だった、とイネスは詰めていた息を吐いた。見た感じ顔色も良さそうだったので、フェルナンドの推測は当たりなのだろう。虹色の光で、アルマ同士がただ呼び合っていただけだったようだ。

 それにしても強烈だった、とイネスは思う。目を瞑れば瞼に映る虹色の光。アルマを想えば想うほど、虹色は濃く鮮やかになるといわれているが、華子はそんなにもリカルドを想っているのか。寝台の上で寄り添っていた二人は仲睦まじく……。


 ダメよイネス、今は仕事!

 ハナコ様にとびきりのドレスをお着せしなくちゃ!!


 イネスはリカルドと華子のロマンスを妄想しかけて、一旦封印した。イネスはまだ十九歳なのだ。恋に愛にときめく、花もほころぶお年頃。身近に垣間見ることができる最高の恋愛模様に、心は踊るのだった。


 華子の身仕度のためにリカルドが部屋を出た後、イネスがいそいそと持ってきたドレスに華子は戸惑った。街で見かけた洋服ではない豪華なドレス。華子の世界では古風なタイプのドレスで、着方がまったくわからない。クリノリンやペチコートでスカートを膨らませるものではないようだが、恐ろしく高価そうだった。

 イネスから渡された温タオルで顔を拭き、こちらの世界の下着を手に取る。ブラジャー文化ではないようで、上半身はランジェリーのような、生成り色のもの一枚だけだった。丈はちょうど太ももの真ん中位で、ネグリジェを脱いだ華子はランジェリーを身につける。

 次はパンティだ。見たところタンガタイプのパンティで、アウターに響かないよう配慮されている。華子が今履いているガードルタイプのものはイネスに却下されたので、仕方なく履き替える。

 そしてまさかのガーター付きストッキング。この世界にも普及していたとは、まさか思わなかった。とは言っても、太ももの付け根に近いところでストッキングを留めるタイプの、帯状の布である。滑りのよい薄手のストッキングに、脚を突っ込み何度か失敗しながらガーターも留める。ガーター部分はイネスに手伝ってもらったが、羞恥心よりも達成感の方が大きかった。

 やはりあったコルセットは丁重にお断りして、いよいよドレスに取り掛かる。白い艶やかな光沢のあるドレスで、ごてごてした装飾は一切ない。スカートの裾は金糸で細かい模様が刺繍されていた。ファスナーはないのですべてボタンだ。


「ハナコ様は小柄で細くていらっしゃるのでコルセーを着けなくても大丈夫なんですよ」


 華子が足元に広げられたドレスに足を突っ込むと、イネスがゆっくりドレスを持ち上げる。スカート部分は細身のAラインドレスのようだが、上半身はノースリーブで装飾が付いていない。不思議に思っていると、後ろのボタンを留め終えたイネスが裾の長いジャケットを羽織らせた。このジャケットもスカートと同じく白い光沢のある色で、裾や襟、袖口が金糸で縁取られて凝った模様が刺繍されている。こちらは首元まで前でボタンを留めるもので、飾りボタンはアクアマリンのような宝石で作られていた。


「まあまあ、よくお似合いですわ。後は仕上げですわね」


 始終ウキウキと華子を着飾らせているイネスの手には、水色の布が握られていた。


「まだあるんですか?」


 一人では着ることも脱ぐこともできないドレスに、華子は圧倒されっぱなしだ。


「ドレスはこれでお終いです。後は髪とお化粧ですね」


 イネスは水色の布をジャケットの上から幅広に腰に巻き、引き結んでいく。なるほど、こうすれば腰が細く見えるし、白いドレスのアクセントにもなる。余った布を複雑にまとめて腰横に垂らし、帯留めのような宝石でさらにアクセントを添えた。


「ドレスの完成です。如何ですか、ハナコ様」

「……汚さないように注意します」


 一般人の華子には、このドレスで食事などできそうにもなかった。

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