第7話 魔力の暴走 ①

 西の空が赤く染まる。


 宮殿の窓から差し込める太陽の光が、白亜の宮殿を赤く染め上げていく。この時期は夕陽がとても綺麗で、王都セレソ・デル・ソルの白い街は夕陽を受け止めて赤く燃え立つように輝いて見えるのだ。

 ドロテアは、部屋の天幕を閉めながらそっと華子の様子を窺った。広い寝台の真ん中に小さく丸まって寝ている姿は、子供のようで微笑ましい。とはいえ、華子が寝たのは昼前で今はもう夕方だ。未だに目覚める気配がないのは、異界からこちらにやってきた反動なのだろうか。


 リカルド殿下の大切なお方は、殿下の仰る通り礼儀正しく謙虚で、そしてほんの少し頑固な可愛らしい女性ですわね。


 まだ二十歳を数えたばかりかと思っていたら、三十だというので驚いた。こちらの世界とは違う刻の流れを生きてきたのであろうか。ドロテアは寝所の扉の前で華子に向かって一礼し、侍女の控え室へ向かった。


「ハナコ様のご様子はどうでした?」


 控え室で待機していたイネスが、作業の手を止めて真っ先に聴いてくる。


「まだお目覚めにならないわ。かなりお疲れのようね」


 ドロテアはあの様子だと明日の朝まで休まれるかもしれないと伝えると、イネスは残念そうに呟く。


「異界のお話を楽しみにしていましたのに」


 まだ十九歳のイネスは、異界の客人まろうどを迎えるのは今回が初めてだ。華子がどういう世界から来たのか興味があるのだろう。


「これからたくさんお話する機会はあるわよ。ハナコ様はお優しそうな方だし、私たちは幸せですわ」


 ドロテアは十七歳で侍女になって今年で七年目で、異界の客人を出迎えるのはこれで四回目だ。もっとも客人付き侍女になったのは今回が初めてであるが、前回、前々回の客人に比べると華子は女神様のように感じられる。前回の客人も女性ではあったが向こうの世界の豪商の末娘、いわゆる我儘なお嬢様で、担当になった侍女仲間はドロテアにいつも愚痴をこぼし、ドロテア自身もその娘からかなりきつくあたられていたのだ。

 前々回は満身創痍の男性で、向こうの世界で戦闘中にこちらに来た人であった。瀕死の重傷を負っており、魔法医師が何日もかかりきりで手当てを施して一命を取り留めた後、彼は警務隊で働いている。

 ドロテアが侍女になったばかりの頃に滞在していた男性は、未開の文明の世界から来たのか魔法文明どころか普通の生活ですらできなかった。高齢だったようで五年前に亡くなってしまったが、最期まで彼がどのような世界で生きてきたのか話してくれることはなかったという。

 今回の客人は、かなり文明が発達した世界から来たようだ。


 あまりに遠慮深く、こちらが甲斐甲斐しく世話を焼きたくなるくらいに腰が低いうえに礼儀正しい。華子は自身のことを『一般人』と言っていた。向こうの世界では市井の人として普通の暮らしをしていたのだろう。小柄な身体つきで肌も白いが、華子の爪は短く整えられ、指先は荒れていた。あれは水仕事をする人の手だと、ドロテアたちにはすぐにわかった。


「さて、私はリカルド殿下にハナコ様のご様子を伝えてくるわ。すぐに戻るからしばらくお願いね、イネス」

「がっかりされるでしょうね、リカルド殿下」


 イネスの言うように殿下はきっと気落ちされるだろう。一刻半前に報告に行った際も華子がぐっすり眠っていることに安心している反面、その肩がしょんぼり落ちていた。ドロテアはそんなリカルドの様子を思い浮かべながら控え室を後にした。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 ドロテアが報告に行って四半刻。


 イネスは控え室で華子の服を準備していた。着の身着のままでこちらの世界に来た華子は当然のことながら、普段着はおろか下着すら持っていない。小柄と言われているイネスよりもう一回り小柄な華子に合わせて様々な服やドレスが用意され、イネスはそれを点検していく。


 ハナコ様は髪も瞳も深い茶色だから、緑のドレスがいいかしら? でもハナコ様が着ていたセレソ色も捨てがたい。


 王都と同じ名前のセレソ色は、この王都のシンボルでもあるセレソの樹木から作られる可憐な色で、女性憧れの色でもある。

 実はイネスは、華子が着ていたセレソ色の薄いドレスを見てこっそり欲しいと思っていたのだ。華子は寝間着だと言っていたが、あのドレスは縫い目も素晴らしいものだった。きっと華子は気を遣ったのだろう。仕えるべき主である華子から逆に気を遣われてしまったことはちょっぴり悲しいと思うが、まだまだ挽回できるとやる気を出す。

 イネスは、華子を美しく着飾らせることこそ我が使命とばかりに所狭しと並んだ服の山に腕まくりをし、挑み掛かる。とそのとき、華子が休んでいる寝所から圧迫されるような魔力がほとばしった。


「ハナコ様?」


 異変を感じたイネスは控え室から華子の寝所へと繋がる扉へ駆け寄った。アマルゴンの間は異界の客人のための特別な部屋だ。あらゆる悪意ある攻撃から身を守れるように、王国屈指の魔法術師たちが部屋の至る所に防御の魔法術式を組み込んでいる。それを打ち破り侵入できる者などそういないはずなのだが。


 尋常でないほどの、圧倒的な魔力。


 アマルゴンの間の前に控え室ていた近衛騎士たちも、異常を感じとったのか扉を叩いてイネスを呼ぶ。


「侍女殿、どうなされた!? 」

「わからないの! 入って来てっ、お願い、ハナコ様がっ!! 」


 イネスは騎士に向かってそう叫び、寝所の扉を勢いよく開け放つ。扉から虹色の光が眩しいくらいに溢れ出し、そのあまりの輝きにイネスの目が眩んだ。


「ハナコ様、ハナコ様! 」


 一瞬視力を失いながらもここで怯むわけにはいかない。華子の無事を確かめようと部屋に足を踏み出すが、魔力の反発に遭い前に進むことができなかった。


「侍女殿、下がって! 」


 若い騎士の声と共にイネスは肩をつかまれて後ろに引っ張られる。


「でもハナコ様が! 」

「寝台におられるのがハナコ様か? くそっ、光が邪魔で見えん」

「早く、殿下に伝令を飛ばせ! 」


 複数の騎士の声と気配がする。イネスはとっさに目に初歩的な癒しの魔法術をかけた。悪意ある魔法術はこの部屋の魔法術式の結界で封じられるが、癒しの魔法術なら大丈夫だ。あっという間にイネスの視力が回復し、見慣れた騎士の姿が映る。


「アドルフォ様、マウロ様、ハナコ様は? 」


 虹色の魔力はとどまることを知らず圧力もますます強大になっていくばかりで、騎士たちが必死に沈静化させようとするがまったく効果はない。


「魔力自体に攻撃性や悪意は無い。多分発生源はハナコ様だが、我々の呼び掛けには反応なされない! 」

「そんなっ……ハナコ様! 」


 華子に魔力があるとはリカルドからは聞いていなかった。むしろ華子の世界には魔法術はないと言っていた。


 なのに、なんで。


「リカルド殿下、早く、ハナコ様がぁ」


 緊急伝令を飛ばしたのでリカルドが間もなくここにくるはずだ。イネスと騎士たちでははなす術もなく、この部屋の魔法術式が相殺されないようにするだけで精一杯であった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 ドロテアは足早に回廊を歩いていく。


 華子の目が覚めるのを今か今かと待っているリカルドにとって、ドロテアのもたらす報告は決して望むものではないだろう。華子は未だぐっすりと眠っており、リカルドは目覚めるまで一緒にいると言っていたが、いくら華子を迎えに行くためとはいえ仕事を放置して単騎で出て行ったツケは大きかった。

 とりわけ、文官長のフェルナンド・バニュエラスの怒りは非常に大きかった。ハナコ様の身仕度が整うまで仕事しろ、むしろ明日の朝まで執務室から出てくるな、と言い残し、リカルドの執務室の扉に幾重にも結界の魔法術をかける暴挙に出たのだ。もちろん結界はリカルド限定で、前回の報告の際にはリカルドは運ばれてきた書類に埋れており、決裁を待つ部下たちが長蛇の列を作っていた。確かにリカルドが突然ドラゴンに乗って行ってしまった、と宮殿内はちょっとした騒動になったし、そのしわ寄せはドロテアたち侍女にも波及したので同情はしない。


 ドロテアがリカルドの執務室に着く頃には、夕陽が差していた窓の外はもう薄っすら暗くなっており、部下の行列は居なくなっていた。執務室の扉を三回叩いてから名前を告げる。


「ドロテアでございます」

「いいところに来た、入ってくれ」


 浮かれたようなリカルドの返事と共に扉が勢いよく開いた。


「ハナコ殿は起きられたのか?」


 重厚な机から身を乗り出したリカルドが、目を輝かせてドロテアを見る。その姿が余りにも珍しく、ドロテアは内心驚きを隠せない。

 リカルドと言えば、歴代最強と呼び声の高い、質実剛健な竜騎士団長だ。先の戦では活躍目覚ましく、敵に渾名される程だったと言われているというのに、ドロテアの前に居る御仁は、まるで好物を前にした子供のようだ。


「いいえ、まだでございます。ぐっすりとよくお眠りになられております」

「そうですか。客人まろうどの負担は我々が考える以上に大きいようですからね。総務庁への顔通しは二、三日延期した方がいいかもしれません……殿下、手が止まっておりますよ」


 リカルドの隣に立ってリカルドを監視しているフェルナンドが代わりに答えた。


「何故お前が答えるんだ」


 リカルドは憮然とした声でフェルナンドを恨めしげに見やるが、フェルナンドからジロリと睨まれて慌てて書類に向き直る。


「そうか、気丈に振る舞っておられたが、随分無理をさせてしまっていたのだな」


 先ほどとは格段に量が減った書類に目を通しながらも、リカルドの思いは華子へと向かう。リカルドに笑顔を見せ、街並みに歓声をあげて楽しそうにしていた華子。この世界に来て戸惑いながらもリカルドを信用してくれた華子。リカルドの口元がだらしなく緩みそうになっていることに気が付いたフェルナンドは、咳払いをし、リカルドは居住まいを正す。

 この殿下、まったく油断ならない。


「ハナコ様のお食事はどうなさいますか?」


 そんな二人の様子に、ドロテアは心の中でくすりと笑い、今後の指示を仰いだ。


「無理に起こしては身体に悪い。目が覚めたときに軽めのものを用意してくれ」

「かしこまりました」


 一礼をして退出しようと顔を上げたドロテアの目は、リカルドの瞳に釘付けになった。リカルドの鮮やかな水色の瞳が、虹色に変わっている。


「殿下、お瞳が! 」


 リカルド自身にも異変が感じられたのだろう、姿見の鏡ですぐに確認する。


「またか。今朝ほどではないが、瞳が少し熱いな」


 今朝は輝いていた虹色の瞳だったが、今は仄かに揺らめいているだけだ。


「ハナコ様が近くにおられるせいでしょうか?」


 フェルナンドも心配そうにリカルドの両目を覗き込んだが、魔力の高まりや異常はなさそうだ。

 この世界では、コンパネーロ・デル・アルマを持つ者同士が呼び合うとき、虹色の魔力を放つ。リカルドの場合は両の瞳にその虹色は現れた。


「案外、ハナコ様が殿下の夢でも見られているのかもしれませんね」


 フェルナンドの呟きにドロテアも微笑む。


「そうだといいが……」


 しかしリカルドには気掛かりだった。今から少し華子の様子を確かめようと思い、机の上の書類を片付け始める。


「悪いが少し様子を確認したい」


 流石のフェルナンドも拒否はできない。リカルドの心情を思いやってか、自分も帰り支度を始めた。


「残りは明日やってくださいね」


 そしてフェルナンドは、自分がこの執務室の扉にかけた結界の魔法術を解く。

 その瞬間、


 荒れ狂う、膨大な魔力が。


「殿下、この魔力は! 」

「馬鹿者、結界が強すぎだっ! 」


 フェルナンドの結界によって阻まれていた魔力が、その結界を解いた瞬間、執務室に流れ込んできた。悪意ある魔力ではなく、ただひたすら放出されるだけの純粋な魔力で、宮殿の近衛騎士が魔力を暴走させたのかと思ったリカルドはその発生源を探る。廊下に出たリカルドとフェルナンドは、同じく異変を感じて廊下に出てきていた近衛騎士や文官たちの驚いた顔を尻目に、自分の魔力を研ぎ澄ませた。

 新任の騎士たちがよく起こす魔力の暴走。魔力が高い者ほどその制御は難しく、若く経験の少ない騎士や魔法術師たちがやらかしてくれる。その性質によって被害の程度は変わるが、大体において周りよりも暴走させた本人が寝込むことになる。魔力を放出仕切って脱け殻のようになった者ほど悲惨なものはない。


 その前に抑えなければ。


 そのとき、物凄い勢いでリカルドに向かって飛んでくる青い鳥が見えた。魔法術で作られた青い鳥は緊急の証だ。暴走の現場から飛んできたのだろうと、リカルドは左手を挙げた。青い鳥は迷うことなくリカルドの左手に止まる。リカルド宛てということは竜騎士なのかと思い、しかしリカルドの予想は外れた……それも最悪な方向に。


『伝令、アマルゴンの間にて魔力の暴走! 発生源はハナコ様! 至急来られたし! 伝令、アマルゴンの間に……』


 緊急伝令を飛ばした近衛騎士の声が切迫している。


 しかし何故、本当にハナコ殿が?


 リカルドの背筋は凍りついた。


「ハナコ様!! 」


 いつの間にか側にいたドロテアの悲痛な叫びに、リカルドは我に返る。一刻も早く華子の元へ行かなければ。


「フェルナンド、来い!! 」


 リカルドはフェルナンドに一言声を掛け、猛然とアマルゴンの間がある北の別棟へ駆け出した。


 ハナコ殿に魔力が?


 リカルドには微塵も感じられなかったし、華子自身も華子の世界には魔法術はないと言っていた。まさか華子が嘘をついているわけがない。簡単な街灯の魔法術式や宮殿の扉にも驚いていたくらいなのだ。リカルドは廊下に溢れ出ている騎士や文官を押し退けながら駆ける。


「どけっ! くそっ、皆持ち場へ戻れ! 」


 騒ついているため上手く指示が伝わらない。騎士や侍従は慌てて道を開けるが、文官たち、特に高官や貴族たちはオロオロしているだけで邪魔になるだけだ。フェルナンドもドロテアも必死に押し退けて道を開けていた。

 と、そこへ ––––


「おどきなさい、能無し共!! 」


 宮殿の廊下に響く浪々たる声に、一瞬にして辺りに静寂が訪れた。


「何を慌てているのです。ラファーガ竜騎士団団長の御前ですよ。指示に従いなさい」


 侍女長フリーデ・オルト・パルティダ。

 又の名を『雷鳴のフリーデ』

 宮殿最強と呼び名の高い、リカルドの乳兄妹がそこにいた。

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