閑話 予兆と出逢いは突然に

 その予兆は突然だった。


 今日は竜騎士団と各大臣との定例会議があり、リカルドは団長として出席していた。

 会議については、同じく竜騎士団の文官長であるフェルナンドに任せていたため、リカルドは完全にお飾りである。月一に開かれる予算の使い道などは建前で、未だに独身を貫くリカルドに対し、遠回しに縁談を勧めてくる退屈な会議だ。

 リカルドに魂の伴侶がいることを知らないフロールシア人はいない。だというのに、この国の貴族たちは諦めることなく、血縁の女性を充てがおうと釣書を渡してくるのだ。

 リカルドに結婚する気はない。

 いや、ただ一人だけ、この世界のどこかに居るはずの唯一となら、と考えているリカルドの傍には、未だその唯一は居なかった。


 いつものように、大臣たちとのやり取りを完全に聞き流していると、突然リカルドの瞳が熱くなる。


 何だ、この感覚は。

 初めて、いや違う……。


 いつだったか、リカルドがまだ若かりし頃にもこの不思議な感覚が襲ってきたことがある。心が、身体が、リカルドの全てが、その感覚を捕まえてようと研ぎ澄まされていく。


 まさか、まさかっ?!


 リカルドは居ても立ってもいられずに席を立つと、何も言わずに会議室から飛び出した。


「団長?! どこに行かれるのですか」


 フェルナンドや大臣たちの驚く声が聞こえていたが、説明する少しの刻さえも惜しかった。まるで口から心臓が飛び出しそうなくらい、ドキドキと拍動し、胃が引き攣れて痺れるような不思議な感覚に支配される。

 リカルドは長い廊下を駆け抜け、驚いて慌てて避ける近衛騎士や侍女の間をすり抜けて行く。


 まだ目が熱い。

 しかも何かに共鳴するように、リカルドの身体から魔力が溢れそうになる。

 リカルドは宮殿の中庭を駆け抜け、宮殿の外に向かった。

 すれ違う者が皆。リカルドの唯ならぬ様子に立ち止まるが、構ってなどいられない。馬舎前に丁度居た、宮殿の近衛騎士から馬を借り、広大な裏庭を突っ切って竜騎士団の隊舎へと急ぐ。


 早く、早く。


 リカルドはこの不思議な感覚のこと以外、何も考えられなかった。


 六十年も待ったのだ。

 待ち望み続けたのだ。


 近衛騎士の馬に乗って隊舎に駆け込んできたリカルドに、騎士たちは何かよくないことでも起きたのかと騒然となる。会議に出ていたはずの団長が血相を変えて単身戻って来るなど、緊急事態に違いないと、誰しもが考えた。


「ヴィクトルの準備を、至急だ!! 」


 そんな周りを余所に、リカルドは相棒である四枚羽のドラゴンの準備をさせ、騎乗するための装備を手早く身に付けていく。


 一緒に居るはずの文官長はどうしたのだろうか。

 伝令は来ているか。


 竜騎士たちの騒めきが聞こえてくるも、今のリカルドには説明することすらが煩わしく思えた。


「団長、私たちも出ます!! 」


 何があったのかわからないが、リカルドの鬼気迫る様子に騎士たちも各々準備を始めるも、当のリカルドから待機を言いつけられる。


「いや、お前たちは待機だ。私だけでいい」


 リカルドは騎士たちを振り返ることなく、ドラゴンの厩舎に駆けて行ってしまった。


「団長お一人でって……団長、リカルド団長! 」

「誰かっ、レオポルド副団長に伝令! 」

「お待ちになってください! 」


 何の説明もなしに残される騎士たちであったが、気を取り直してリカルドの後を追いかける。しかし、騎士たちが厩舎に駆けつけたときには、リカルドはもうヴィクトルにまたがっていた。


「団長、一体何があったのですか?! 」

「団長!! 」


 何かに取り憑かれたかのように南の空を見据えたリカルドの全身から、橙色に染まった魔力が溢れ出ている。それは余りに強大で、王族屈指の火焔の魔法術使いであるリカルドの魔力に当てられる者まで出る始末だ。


「心配はいらん。迎えに行くだけだ」


 その言葉だけを残し、リカルドを乗せたヴィクトルは空へ舞い上がって行く。羽ばたきと共に砂埃を巻き上げ、一気に上空まで上がると、橙色の魔力の残滓を残して飛び去ってしまった。


 リカルドは誰を迎えに行く、とは言わなかった。だが、その場にいた騎士たちにはわかってしまった。全身から橙色の魔力を放出していたリカルドの瞳が虹色に輝いていたから。

 身体のどこかに現れる虹色は、アルマを呼ぶしるし


 ああ、団長はアルマを迎えに行ったのだ。


 なんの予兆すらなく、その気配すら一向に現さなかったリカルドの魂の伴侶、コンパネーロ・デル・アルマが、見つかったというのか。

 信じられないという面持ちで立ち尽くした騎士たちは、唖然としたまま、リカルドが消えていった南の空を眺めていた。と、そこに、宮殿の方向から、冷気を纏わせた青い鳥が飛んでくる。文官長フェルナンドの緊急伝令だと認識した竜騎士たちは、それを見て震え上がった。


「団長……まさか、フェルナンド文官長にすら、事情を話してないのでは? 」


 虹色に輝く瞳を見た、と言っても、魂の伴侶を見つけたのか、本当かどうか定かではない。生憎、今の竜騎士団本部には、アルマを持つ者もおらず、詳しいことはリカルドにしか分からない。フェルナンドが静かに怒り、冷気をダダ漏れにする姿を想像した竜騎士たちは、その伝令をとりあえず捕獲し、返令については無視をすることにした。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 王都セレソ・デル・ソルから南。

 広大なヴェントの森の上空を赤銅色のドラゴンが翔ける。


 待ちわびておりました。


 私のコンパネーロ・デル・アルマ。


 三十年近く前にも感じた高揚感、いやそれよりも更に強烈な感覚に、リカルドは不覚にも泣きそうになった。

 生まれてからずっと探していて、なのに今になるまで見つからなかった魂の伴侶が、近くに居る。もうこの世にはいないのではないか、と思ったりもした。心のどこかで、自分は神に選ばれしコンパネーロ・デル・アルマではない、と思いさえした。その事実が信じられず、しかし、待ちわびて、待ち草臥くたびれたこの瞬間を信じたいと、リカルドは歯を食いしばる。


 貴女を見つけるのに随分と月日がかかってしまいました。

 早く、私の傍へ。



 王都を飛び出してから、もう何時飛び続けたのか。

 リカルドは何かに呼ばれるように、森の奥深くにヴィクトルを向かわせる。無茶な飛び方をさせているため疲弊しているだろうに、ヴィクトルは主人の想いを汲み取っているのか、素直に指示に従っていた。


 まさか、森の中で迷っているのか。


 ヴェントの森の奥深くには人を襲う魔獣が生息しているため、この国の者は近づかない。

 このようなところに本当に居るのだろうか。


 リカルドの魂の伴侶は、誰かに攫われたのか、それとも森の危険さを知らない他国の人物なのか。


 早く見つけないと命が危ない。


 感覚は強くなる一方であるが、一向に居場所が正確につかめないため苛立ちが募る。


「居るなら、返事を! どうか、その居場所を教えてくだされっ! 」


 堪らなくなって思わず叫んだそのとき、リカルドの居る場所からさらに上空に、空間の歪みが見えた。


 何だあれは。


 渦を巻くようにして、空が歪んでいる。そして、その渦の真ん中にぽっかりと暗い穴が開いていくではないか。リカルドが虹色に輝く瞳を渦に向けると、今まで以上に瞳が熱くなり始めた。


 あそこに居るのか?


 半信半疑でヴィクトルの手綱を引き、頭を渦に向けようとした瞬間、渦が虹色に輝いたかと思うと穴から何かが落ちてきた。その何かは全体的に青く、まるで巨大な芋虫のようにも見える。


 新種の魔獣の幼生? いや、違うか……。


 リカルドはさらに目を凝らした。少しだがモゾモゾと動いているような気がする。翼があるようには見えず、そのまま落下していく青い塊。

 そのとき、ただ見ているだけだったリカルドの耳に、何故か弱々しい声が聞こえた。


 い、いやよ……し、に、たく……ない


 た、たす……けて


 女性の助けを求める声が。

 あの青い芋虫から。


 その声を聴いたリカルドは、ヴィクトルの手綱を力任せに引っ張った。


 グルオオオオオオオオオオオオオオォッ


 突然のことに驚いたヴィクトルが咆哮する。しかし、リカルドにはそんな相棒に構う余裕などなかった。落下していく青い芋虫に目掛け、リカルドが無我夢中で放った魔法術がそれ全体を包み込む。しかし、咄嗟のことで制御できていない不完全な魔法術のせいで、速度は遅くなったものの、まだ落下は続いている。


 駄目だ、駄目だ、行かないでくれ……私の、アルマ!!


 リカルドの魂の叫びが、虹色に輝く瞳が、リカルドの橙色の魔力と、青い芋虫を包み込む魔力とが呼応して、森の中に落ちる寸前のところでふわりと浮かんだ。芋虫の下に浮かび上がる魔法陣が虹色に輝き、魔法術の影響なのか、緩やかに回転している。何故あれを魂の伴侶と思ったのかはわからないが、リカルドにはあの芋虫が尊い存在に見えた。ヴィクトルをギリギリのところまで近付け、それを真上から観察する。リカルドの直ぐ下で蠢いていた芋虫であったが、それからまもなく青い芋虫が割れ、まるで蝶に羽化するように中から可憐な女性がでてきたことにリカルドは驚いた。


 セレソ色の薄い衣を身に纏った、小柄な女性。

 深い茶色のサラサラとした髪、同じく深い茶色の瞳、白い肌。

 夢のように美しい女性。


 私のコンパネーロ・デル・アルマ。


 私の魂の伴侶。


 リカルドのことに気が付いていないのか、女性はセレソ色の衣の裾を捲り、細っそりした白い足を確認しているようだ。青い芋虫と思っていたが、抜け殻をよく見ると、不思議な布のような物でできている。女性には翼もなく、伝説に残る天女でもなさそうだ。


「何と大胆な。異界の鎧は珍妙なれど、貴女は何と美しいことか」


 リカルドの声に気がついた女性が、おずおずと上を見上げ、その一瞬で、リカルドは魂を縛られた。いつだったか、知り合いが言っていたことは本当だったのか、と感動すら覚える。

 六十年目にして、アルマに会えば一目で惹かれて恋に落ちる、という逸話を、リカルドは身をもって体験した。


 早く側にきて欲しい。

 早く私の名を呼んでおくれ。

 貴女は私を神と呼んだが、神なんてとんでもない。

 私は人です。

 貴女に焦がれ、生命ある限り追い求めた、哀れな人なのです。


 ハナコ殿。


 やっと見つけた私のアルマ。


 私の愛しい愛しい、魂の伴侶。

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