第4話 魂の伴侶と魔法の世界
絶対にあり得ませんから!!
一気にまくし立てはぁはぁと肩で息をきる華子と、信じられないというような顔で固まるリカルド、さらに悲壮感溢れる騎士たち。盛り上がっていた場は、一瞬にして沈黙する。その痛々しい静寂を破ったのは、意外にもフェルナンドであった。
「えー、タナカハナコ様?」
こほんと咳払いをひとつして、先ほどの盛り上がりは何処へやら、リカルドや他の騎士たちと違って幾分冷静なフェルナンドは華子に話し掛けてくる。
「華子とお呼びください」
是非ともフルネーム連呼をやめて欲しい華子は、すかさず訂正する。王子殿下を前にして、自分まで同列のように扱われるのは本意ではなく、むしろ大いに平民として接して欲しいと思う。
「それでは失礼して、ハナコ様。貴女は魂の伴侶、コンパネーロ・デル・アルマのことをどこまでご存知ですか? 」
敬称もいらないのに、と思いつつ、華子は自分の世界の『魂の伴侶』の意味を反芻する。確か、大国の医者だったか博士だったかが提唱したスピリチュアルな話で、魂の伴侶 –––– いわゆるソウルメイトは、愛によって永遠に結ばれている人達のことで、その人たちはいくつもの人生で何回もの出会いをくり返している –––– と言われているものだ。
ちなみに華子はそういった類の話は信用しないタイプである。ただ少し前に、テレビや雑誌などで大ブームを引き起こしたので覚えていただけだ。
「私の世界では、はるか昔の前世から永遠に出会う魂を持つ者たちのことを指します。で、でもそれは、占いとか精神論というか、とにかく不確かなことで、ちゃんと立証できてない……はずです、けど」
華子の説明に、何故かフェルナンドは満面の笑みになる。こちらの世界でも同じ意味なのだろうか。まさか、リカルドやフェルナンドたちはスピリチュアルなお方々なのだろうかと、華子は色々不安を覚えた。
「素晴らしい! ハナコ様の世界にも魂の伴侶は存在するのですね! 」
「いえ、ですから、そんな考え方もあるんだなっていう程度で、私は、その、魂の伴侶とか見たこともないですし、あんまり、信じてないというか……ごめんなさい、信じてません」
そんなうまい話があるならば、華子はアラサーな干物女ではないはずだ。何故かうまくいかない異性関係を、その『魂の伴侶』の所為に出来れば苦労はない。認めたくはないが、異性から見れば華子など魅力がないだけなのだ。
「ご心配に及びませんよ、ハナコ様」
完全否定したはずが、フェルナンドには通じていないようだ。心配も何も、全てがいきなり過ぎてよく分からないというのが本音だ。魂の伴侶だとかいう不確かなものより、まず自分の置かれた状況を把握したいし、何より裸足の足が冷たい。
「殿下、ハナコ様にきちんとご説明されたのですか? その顔からはなされていないようですね。ハナコ様もお可哀想に。何の前触れもなくこちらの世界に来てしまったのですから、さぞかし不安でしょうに。それに、ハナコ様は裸足ではないですか」
裸足に気が付いてくれたのは嬉しいが、これからその手の類の説明を受けなければならないのだろうか。
フェルナンドは控えていた騎士を呼び、何やら指示を与えている。裸足であることを指摘され、ネグリジェ一枚にマントを羽織っているだけだったことを思い出した華子は急に恥ずかしくなってきた。ぶるっと身震いし、マントをしっかりと握りしめる華子に、それまで沈黙していたリカルドが華子の肩を抱き寄せる。
「ハナコ殿、申し訳ない。つい浮かれてしまいました。あぁ、身体がこんなに冷たくなってしまわれて。面目ない、このようなことでは竜騎士失格ですな」
リカルドは華子の前に膝を付くと華子のマントの裾に口付けし、
人生初のお姫様抱っこ。
マントで足先を包んでくれたのはありがたいが、そんな問題ではない。華子に何の断りもなく、結婚式とか披露宴とか、ドラマや映画の中でしか見たことがないお姫様抱っこをされたことに慌てふためいた。
「リカルド様、降ろして、降ろしてくださいっ! 私、重いですから」
リカルドの胸のあたりでジタバタする華子に、リカルドはビクともしない。六十歳のご老体がお姫様抱っこなどできるものなのか。しかし、リカルドは
「ハナコ殿の心と身体の安寧が先でございます。ひとまず宮殿に参りましょう」
リカルドは抱え上げた華子に微笑みかける。だからその不意打ちの笑顔は反則ですっ、と足掻いた華子の必死の抵抗は受理されず、結局華子はお姫様抱っこのままであった。
「殿下、準備が整いました。ハナコ様、この話の続きはまた後ほど」
しばらくすると、フェルナンドが近づいてきてリカルドに傅く。
いよいよ宮殿に行くのか。しかし、ここから宮殿とやらまではかなりの距離があるに違いない。ここは街の
フェルナンドを先頭に、城郭の階段を物ともせずに降りていくリカルドの胸にしがみつきながら、華子はこれから自分の身に何が起こるのか想像がつかず、ただひたすらお姫様抱っこの羞恥に耐えるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ハナコ殿。ここからは馬車で参ります」
城郭から降りてきた先にあったのは、豪華な赤茶塗りの箱型馬車であった。漆塗りのような深く艶やかな馬車は、細部が金で装飾され、剣と盾の紋章がついている。そして、その馬車を引くのは四頭の馬。
馬?
「馬ですか」
「馬です」
馬と呼ばれたその動物は、確かに四本足でフサフサした尻尾もついている。毛並みはこげ茶色でつぶらな黒い瞳が愛らしい。だが、華子はその動物が馬には見えなかった。馬にはあるはずのないものがついている。馬と呼ばれたそれには
「ハナコ殿は馬車は初めてでございますか? ドラゴンには劣りますが、なかなか乗り心地良うございましてな」
「そ、そうですか。馬車は初めてですので助かります」
ついでに四本足の鳥も初めてだ。
リカルドの説明通り、馬車は快適であった。しかし、どうして未だにお姫様抱っこのままなのか。華子の疑問にまともに答えてくれそうな人は誰もいなかった。
リカルドと華子を乗せた四頭立ての豪華な馬車が白い石で舗装された道を進んで行く。
馬車が道の真ん中を走り、その横をたくさんの人が行き交っていて、人種や身に纏う服装はどれも華子には見慣れないものだった。
薄い布が掛かった小さな窓から見える景色や人々の営みは異国情緒に溢れている。華子の世界で例えるなら、19世紀後半の英国のような生活水準だろうか。着ている服も洗いざらしの生成りのシャツや古風なジャケット、ニッカボッカ、裾の長いスカート、ブーツなど比較的現代に近いものだ。フェルナンドのようなフロックコートを着た人もちらほら見えるが、富裕層の者だと推測ができる。
通り沿いに並ぶ家はどれも外壁が白い。青い空とのコントラストが美しい、まるでスペインのアンダルシア地方に迷い込んだように感じられた。
そして華子が何よりも安堵したことは、空気が綺麗ということと、通りが汚れていないことだった。その二つから推測できることは、すなわち、上下水道が完備されているということである。
さすが王都ということもあり、ずいぶんと賑わいをみせている様子に、華子は自然と顔が
「何か興味を惹かれるものでもおありですか? 」
未だ華子を抱きかかえたままのリカルドが、キラキラと子供のように目を輝かせる華子の様子に安堵したのか穏やかな声で聞いてくる。
「あ、はい。すごく美しい街並みだなって感動していました。街も活気があって、私の世界に近いみたいです」
「気に入ってくださいましたか。今日は西地区に市がたっておりましてな。特に賑わっているのですよ」
どおりで馬車の外から「いらっしゃい」だの「さあ、買った買った」だの、お馴染みの掛け声が無数に聞こえてくるはずだ。これだけ人が多いのだから、さぞかし市は盛り上がっていることだろう。
「あの、あれはなんですか」
華子は、街の至る所にあるポールとその先端にあるバスケットボール大の透明の球体を指差した。裸眼視力が1.5あるので見間違うことはないと思うが、ポールの先の球体はふわふわと浮いているように見える。
「あれでございますか? あれは街灯というものです。灯柱に光の魔術式が組み込まれておりまして、暗くなると先端にある灯球に光が灯る仕組みになっているのです」
やっぱり、この世界って魔法があるのね。
リカルドに助けてもらったときにも、華子は不思議なオレンジ色の光に包まれていた。華子は空から落ちてきたとリカルドは言っていたが、人間が何の装備もなく空から落ちて無事であるはずがない。リカルドは何らかの魔法を使って華子を救ったのだ。
「私の世界にも街灯はあるんですけど、こことは仕組みがまったく違うんです。魔法なんてお伽噺の中のもので、私、生まれて初めて見ました」
もう奇跡ですよ、と興奮したようにはしゃぐ華子に、リカルドはまたも顔を赤らめて何かに耐えるように片手で口元を押さえていた。
その後も宮殿に向かう道程は、華子が珍しいものを見つけてはリカルドを質問攻めにし、子供のように歓声をあげては、また窓から外を眺めるといったほのぼのとしたものになった。リカルドが魂の伴侶のことについて語ってくるそぶりがなかったため、華子もあえてその話題を避けていたこともある。どうせ宮殿に着いたらフェルナンドさんから説明があるのだから、と華子は馬車を楽しむことにしたのだ。
そうして馬車に揺られて四十分くらい経ったころに、大きな凱旋門のような白亜の門を通過した。今までは活気のある下町の雰囲気であったが、ここからはオフィス街のような雰囲気だ。閑静な通りを、端正な服装の人々が足速に行き交っている。揃いの制服を着た人も心なしか忙しそうだ。建物も生活感はなく、質実剛健な作りのものが多く建ち並んでいる。
「もう間もなく宮殿に着きますぞ。そう硬くならずとも大丈夫です。ハナコ殿のような異界からの
「国賓ですかっ?! 恐れ多いです。私は一般人ですから、普通にしてください」
国賓と聞いて華子がイメージしたことは、テレビでよく見る晩餐会の風景である。社会人の常識としてテーブルマナーは知っているが、それがここでも通用するかはわからない。しかも日本を基準にしていえば、国賓を出迎えるのは、陛下や皇太子様、首相といった殿上人である。華子には縁もゆかりも無い、雲の上の話でしかなかった。
そこまで考え、華子はリカルドを見た。
そういえば、この人も王子様だった。
華子はすでに国のトップの一人から手厚いお出迎えを受けている。それを上回る人といえば、この国の国王か。六十歳の王子とくれば必然的に国王はさらに年上になる。リカルドの王位継承権がどれくらいかは知らないが、普通に考えて国王はリカルドの父親ではないだろうか。
「リカルド様。まさか、私にこの国の国王様に謁見しろなんて、おっしゃいませんよね?」
華子の願いも虚しく、リカルドは華子の髪を一筋すくい上げてその髪に口づけを落とし、こともなげに言い放つ。
「緊張するハナコ殿もまた可愛らしい。親父殿は気さくな方故、きっとハナコ殿を気に入られると思います」
親父殿ですか。そうですか。
華子に逃げる術はないようだ。そして間もなく、戦々恐々としている華子に追い討ちをかけるような声が馬車の外から聞こえてくる。
「リカルド殿下、ご到着。開門! 」
馬車は無常にも、いそいそと宮殿の中へと進んで行くのであった。
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