第3話 竜騎士団長は還暦な王子様

 キラキラと輝く白亜の街に、リカルドと華子を乗せたドラゴンがゆっくり近づいていく。すると、城郭の上に何やら人が集まり始めた。どうやらこちらを見て警戒しているようだ。


「リカルドさん、このままで大丈夫ですか?」


 街に近づくドラゴンなどというシチュエーションはまずいのではないかということくらい、異世界事情に明るくない華子であっても理解できる。それでなくてもヴィクトルという名前のついた赤銅色のドラゴンは、身体が大きく今にも火を吹きそうな見た目である。街の人はパニックになったりしないのだろうか。


「ご心配無用でございますぞ、ハナコ殿。私はこれでもフロールシア王国を護るラファーガ竜騎士団の団長を務めておりましてな。あれは単なる出迎えです」


 リカルドは無駄に自信に満ち溢れた重低音で、サラリと聞き捨てならない事実を述べる。『らふぁーがりゅうきしだん』とはリカルドが所属している組織なのだろう。映画の騎士のような出で立ちなので、それはよくわかるし、ドラゴンに乗って空を飛ぶリカルドに似合っていると思う。

 しかし、その団長だとは ––––


「団長さん、ですか」


 その事実にフリーズしてしまった華子に気がつかず、リカルドは照れ臭そうに笑った。


「はっはっはっ。年の功でございますよ。人間六十年も生きておりますと、何かひとつくらい取り柄があるものです」


 竜騎士団の団長だということだけではなく、リカルドがまたしても爆弾を投下した。


 六十年……六十歳……還暦。


 象より大きなドラゴンを乗りこなすナイスミドルな美丈夫は、ナイスミドルなんかではなくロマンスグレーのおじいさん、いやおじい様であったというのか。

 この世界の人の寿命なんて知らないが、何という若作りなのだろうか。いや、映画俳優や芸能人ならあり得ることなので、リカルドもお金持ちな人種なのだろうか。リカルドの見た目年齢を、精々いっても五十代前半くらいだろうと思っていた華子には、思わず叫んでしまうくらい衝撃だった。


「ええぇっ! リ、リカルドさ……あ、団長さん、いえ団長様っ! そんな年には見えませんよ、若いっ、お若いっ!! 」


 それとも、この世界の六十歳とはこういうものなのか。寿命の違いだとしたら普通なのかもしれないが、若く見られがちな日本人でも羨ましいくらいだ。


「私と三十歳も違うのに、この若さ……なんて羨ましい」


 驚愕と興奮の中思わず呟いてしまった華子の言葉を、リカルドは聴き漏らしていなかった。


「なんと! ハナコ殿は……その、失礼ながら三十をお迎えになられていたのでございますか?! 勝手ながら二十代くらいと思っておりましたが、いやはや、まだこの爺いにも天運があるようですな」


 リカルドもまた華子の年齢に驚いているようだ。何の天運なのか気になるところでもある。

 華子の容姿はごく普通の日本人だ。こげ茶色のストレートのセミロングに、こげ茶色の瞳。朝早くから夜遅くまで室内で働いているので日焼けはしていないが、普通のモンゴロイドの肌。身長160センチメートル、体重は平均より若干痩せ気味。特に若くもなく、かといって老けてもなく、至って普通のアラサー干物女である。もしかしたら一年の日数とかが微妙に違うのかもしれないし、多分であるが寿命が違うのかもしれない、と思うとリカルドの言葉を素直に喜べない華子であった。


「あの、リカルドさん、いえ団長様。私は至って普通の一般人です。私、敬われるような偉い人ではないですし、普通に話してください。いえ、是非とも、普通でお願いします」


 古めかしい話し方ではあるが、リカルドは華子と出会ってから今までずっと華子に敬語を使っている。そもそもリカルドと言葉が通じること自体が不思議であるが、騎士団の団長ともあろう人が一般人の華子に対して敬語を使うのはいただけない。日本人としては、御年六十の目上の人であるリカルドが三十の小娘である華子に敬語を使っていることに、かなりの違和感を感じる。


「そうは言われましても、ハナコ殿は異界からの大切な客人まろうどでありますから、ご容赦くだされ。それと、私のことはリカルドと」


「そんな、呼び捨てなんてできません。団長様」


 そこは日本人としては譲れません、と華子は焦る。知ってしまった以上、不敬は許されない。


「で、では、せめて名前で呼んでくだされ」

「わ、わかりました、リカルド様」

「様などと、敬称は」

「では、私にも敬語はいりません。団長様が私のような怪しい者を敬っては駄目です、お願いします」

「……」


 リカルドが華子を見つめるので、華子も見つめ返す。リカルドの瞳は鮮やかな水色で、どこもくすんでいない。普通は年を重ねると、灰色がかってくるはずだが、やはりそこは別の世界故の違いか。それから数十秒たち、リカルドの方が若干頬を赤く染めながら華子から視線を逸らした。


「わかりました。しかし、いずれはリカルドと、いえ、リコと呼んでいただきたいものです」


 華子の頑なな態度に、リカルドが折れた。しかしリコとは何なのだろうか、リカルドの愛称だろうか。そんなことを教えられても友人ではないのだし、そんなに気安く呼べるはずもない。


 そんなやり取りをしている内に、ドラゴンは城郭に幾つかあるヘリポート ––––もしくはドラポート?の真上までやってきていた。待ち受けていた人の顔もよく見える。騎士だろうか、全員が濃紺色の軍服のような服を着て整列しており、右の拳を左胸に当ててこちらを見ている。よく見ると濃い灰色のフロックコートみたいな服を着た人もいるが、こちらは何故か右の手のひらを左胸にあてて片膝をついていた。


 バサッ、バサッ、バサッ、バサッ


 ドラゴンの羽ばたく音が聞こえ、着陸態勢に入ったのだとわかった。騎士の一人がドラゴンを誘導していき、リカルドと華子を乗せたドラゴンは無事着地する。まるで映画のようなワンシーンに少し胸をときめかせた華子は、ここでまたしても驚愕する事実を知って頭を抱えたくなった。


「お帰りなさいませ、殿下」


 片膝をついたまま、濃い灰色のフロックコートを着た人物がこちらに向かって頭を下げる。


 殿下。

 殿下ですって?

 私じゃない、ですよ。

 リカルド様って、団長様ですよね。

 この国では団長様の敬称が殿下なんですか?


 華子はゆっくりと視線をリカルドに向ける。すると、リカルドは気まずそうに視線をあらぬ方向へと逸らした。


「リカルド殿下? 」


 フロックコートの人物がリカルドに呼びかける。


 どうやら私を助けてくれた人物は、竜騎士団の団長様で、還暦で、王子様なおじい様だったようです。

 驚愕の事実に、華子はもう何も言えなくなった。


 ちなみに、一言で言うと、フロックコートのその人物は怒っていた。


「殿下、会議の最中に急に席を立ったと思ったら説明もなしに飛び出していかれて、どういうおつもりですか。こっちは何かよくないことでもあったのかとやきもきしていたというのに。まさか優雅に空の散歩というわけではないですよね。私にわかるように説明してください」


 金髪をキチッと固め、掛けた銀縁眼鏡をキラリと光らすその人物は、まるで絵に描いた執事のような印象であった。相当怒っているらしいことは、マシンガントークとこめかみに浮かんだ青筋でよくわかる。華子はハラハラしながらリカルドと執事(仮)を交互に見た。どうやらこの還暦殿下、会議中にエスケープしたらしい。


「まあ、そう言うでない。何もお前を困らせようと思ったわけではないのだ」


 リカルドは先にドラゴンから降り、鞍に座って小さくなっている華子に手を差し伸べて降りるのを手伝う。リカルドから借りたマントに身を包んでいるせいでうまく動けない華子は、リカルドの手を借りつつずり落ちるようにしてドラゴンから降りた。すると執事(仮)は腰を上げ、まるで親の仇を見るかのような形相でこちらに詰め寄ってくるではないか。リカルドはさりげなく華子を背中にかばいながら、自分の頭をガシガシとかいた。


「ご自分の立場をわかっているのですか。その様子ではわかってはいないようですね。いいですか、貴方はラファーガ竜騎士団の団長である前に王子なのですよ? いつもいつも伴も付けずに一人でフラフラと。何かあったらどうするんです! 」

「何かあったときのための竜騎士団ではないか」


 六十歳のおじい様が何故か少年のように見えるから不思議である。しかしその言い訳は執事(仮)の怒りを煽るだけだと思うのだが、リカルドはわかっているのかいないのか。


「そういう問題ではありません。いいですか、殿下。今度何処かに出かけるときは、必ず伴を付けてください。後、行き先、用件の内容、帰る刻も教えてもらいますからね。今から会議のやり直しですよ。殿下も……はて、そちらのご婦人は? 」


 言いたいことをまくし立て気が済んだのか、マシンガントーク執事(仮)はようやく華子の存在に気が付いたようであった。リカルドの背中に隠れる華子を遠慮なく注視する執事(仮)。キラリと光る銀縁眼鏡が怖い。


「私のコンパネーロ・デル・アルマだ。フェルナンド、やっと見つけた」


 リカルドの声に熱が籠もる。


 私の名前は田中華子なんですけど、と思い、あの……と言いかけてやめた。もしかしたらリカルドは別の話をしているのかもしれない。何と言ってもリカルドは王子様である。何か政治的なことか、若しくは華子のように別の世界から来た人をそう呼ぶのか。とりあえず、何も言わないほうがいいと判断した華子は沈黙を貫いた。


「殿下のアルマ……何ですって?! 殿下、まさかその方は異界の客人まろうどでは?アルマとは真ですかっ?! やはり、先程の印は、本当に呼び合っていたのですね 」


 華子を不躾にもまじまじと見ていたフェルナンドと呼ばれた執事(仮)は仰け反った。それはもう、華子の口があんぐりとあくほど、盛大に。そして、周りで待機していた騎士たちまでもがざわつき始めた。


「で、殿下っ! おめでとうございます。ついに、ついに見つけられたのですね。何という素晴らしい吉報。このフェルナンド、今まで殿下を信じてきた甲斐があったというものです……くっ」


 フェルナンドは今度は感極まったように泣き始める。それにつられるようにして、騎士たちからも祝福の言葉や、拍手、ウォォォォという男泣きの叫び声……いや雄叫びが聞こえてきた。一体どういうことなのか華子にはさっぱりわからないので、リカルドの服の裾を引っ張り、説明を求める。屈強な騎士たちが人目をはばかることなく泣くようなことなのだろうか。


「コンパニオンでアロマって何ですか? 」

「コンパネーロ・デル・アルマですぞ」


 聞き慣れない言葉に少し恥ずかしい言い間違いをしてしまった華子は赤面する。幸いリカルド以外の人物には聞かれていないようだ。


「えっと、その、こ、こんぱねーろ……の意味が分かりません」


 未だ拍手と歓声が鳴り止まぬ中、華子はひとりごちた。周りの雰囲気からなのかそれともそのアルマとやらが見つかったせいなのか、リカルドも興奮気味である。華子の肩をギュッと引き寄せ、その鮮やかな水色の瞳で熱く見つめられた。


「フェルナンドのいう通り、このお方は異界からの客人まろうどで、タナカハナコ殿といわれる。そして、私が六十年捜し続けた、私の魂の伴侶でもあられるのだ」


 還暦の王子様の極上の笑みに、華子は不覚にもときめいてしまった。しかし、その聞き捨てならない言葉に思わず突っ込んでしまった華子を誰が責められようか。


「いえいえいえいえ、違いますから。リカルド様、残念ながら人違いです。盛大なる人違いです。私はただの派遣社員です。アラサーの干物女なんです。恐れ多くもリカルド様の魂の伴侶ではありません。まったくの別人です」


 華子は全力で否定した。しかも、もしかしたらリカルドはちょっと認知症気味なのかもしれないと、本人が聞いたら大憤慨するであろう失礼なことを思ってしまう。


 この世界にダイブしたこと自体が非現実的で受け入れ難いことなのに、さらには魂の伴侶とか ––––


「絶対にあり得ませんから」


 ちょっと涙目になっているリカルドに罪悪感を覚えつつ、華子は無情にも言い放った。


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