第2話 目覚めたら、ナイスミドルの腕の中

「***殿、***殿。お気を確かに」


 誰かが華子を呼んでいる。しかし、華子は***などという名前ではない。では何故自分を呼んでいるとわかるのか。華子は暖かい何かに包まれながら、夢現で自分を呼ぶ声を聴いていた。


「やっと見つけた私の***殿。お逢いできて嬉しゅうございますぞ。***殿、***殿」


 その声はとても優しく、華子の心を揺さぶった。いつまで聴いていたいような、しかし、どこかもどかしげにも感じる重低音の声。その声と共に、大きな温かい手が華子の頭を撫でる。


 とても安心する。

 なんだかお父さんみたい。


 ずっと撫でていて欲しいかも、と思った華子であったが、その手はピタリと止まった。


 ああ、残念。


「私は『お父さん』ではございませんぞ」


 憮然とした声が聴こえる。それと同時に、声の主の正体を思い出した華子は、ガバっと勢いよく身を起こした。しかし、自分の置かれた状況がいまいちよくわからず、混乱する。

 何故か目の前には端正な顔立ちのナイスミドル。そして自分はそのナイスミドルに抱きかかえられている。


「よかった。お気付きになられたか」


 その声の主は、先ほど自称悪魔とのたまわった誰か、であった。


「あ、あ、あの、すみません」


 ドギマギしながら居住まいを正し、さりげなく身体を離す華子に、ナイスミドルが微笑んだ。ドキッとした華子は、目がナイスミドルな自称悪魔に釘付けになる。

 それもそうだ。はっきり言って一言で言えば美形。五十代くらいの年齢だろうか。白いものがちらほら混じった黒髪、いや濃い銀に見える髪は少し長めに整えられ、日に焼けた肌は皺こそ多少はあれど、健康的に艶やかで彫りの深い顔立ち。それから何と言っても、瞳は鮮やかな水色で、まるで宝石が埋まっているかのよう。今は座っているので正確にはわからないが、身長は百八十センチメートルは軽く超えているだろう。そして華子を抱きかかえる太く逞しい腕。濃紺色の裾の長い軍服のような服に身を包んだ美丈夫は、羽織っていた白いマントを外すと華子に差し出した。


「寒いといけませんので、これを羽織ってくだされ」


 ナイスミドルは微妙に華子から視線を外している。華子ははたと、自分の格好を思い出した。寝る前だったので、ベビーピンクのネグリジェ一枚しか着ていない。透けてはいないはずだし、ブラジャー無しでも大丈夫そうな胸ではあるが、かなり心許ない姿だ。


「あ、ありがとうございます」


 差し出されたマントで身体を隠しながら、華子は顔を赤らめ小さくなるしかなかった。


「もうすぐ王都に着きます故、今しばらくのご辛抱ですぞ」


 そんな華子に、ふっと微笑むナイスミドル。少し惚けていた華子は、聞き慣れない言葉に首を傾げる。


「オウトですか? ここは東京ではないのでしょうか」


 自分の置かれた立場は未だわからず、オウトという市区町村も聞いたことがない。第一、このナイスミドルが何者かもわからない。それにしてももうすぐ着くとは一体どういうことなのか。そこまで考えて、華子は今更ながら気がついた。華子の足元の遥か下に見える青い木々。飛んでいるのだ。羽の生えた赤銅色の恐竜の背に乗って。


「私っ、とっ、飛んでる! 」


 ナイスミドルの腕の中で華子は焦った。何故か風を感じないことにも気がついたが、今はそれどころではない事態だった。恐竜など乗ったのは初めてで、ましてや羽の生えた恐竜なんかは尚更である。


 落ちたらどうしよう!!


 ナイスミドルはあたふたと慌てる華子をしっかり抱え直し、穏やかな声でなだめる。


「私がついております。ご安心なされよ。ヴィクトルは優秀なドラゴンですからな」


 あぁ、恐竜じゃなくてドラゴンなんだ、やっぱり。


 華子もなんとなくは感じていたのだ。ここは日本ではないかもしれないということに。しかし、常識が邪魔をしてにわかには信じることができない。ドラゴンなど物語の中の架空の生物だ。


「あの、私は田中華子といいます。私は生きているのですか、死んでいるのですか? ここはどこで、貴方は何者なのですか? 」


 そう矢継ぎ早に質問してから、ゾッとする疑問が浮かんできた。まさか、私を何処かから落としたのはこの者でないか、と華子は少し警戒してナイスミドルの挙動を見守る。


「あぁ、貴女はタナカハナコ殿と申されるのですか。タナカハナコ殿、タナカハナコ殿。不思議で、でも可愛らしい響きの御名でございますな」

「いえ、田中が家の名前で、華子が私の名前です」


 華子は名前に多少のコンプレックスを持っていた。ナイスミドルは容姿から推測して海外の人みたいなので、しっかり説明する。間違ってもフルネームで連呼されたくはないので田中さんで十分だ。


「ハナコ殿でございますか。申し遅れましたが、私はリカルド・フリオ・デ・レメディオスと申します。どうか、リカルドとお呼びくだされ」


 何だかスペイン系の名前だな、と思いながら、ナイスミドルもといリカルドがさらりとハナコと名前を呼んだことに気がつく。名前を呼ばれることが、妙に気恥ずかしかった。


「あの、それで、れ、レメディオスさん」

「何でしょうハナコ殿。それと是非、リカルドと」

「先ほどの質問ですけど、レメ……あの、リカルドさん」

「おお、そうでありましたな。どこから話せばよいのやら。少し長くなりますが、いずれお話せねばならぬこと。ハナコ殿には辛いことやもあるかも知れませぬが……」


 リカルドが意味あり気にチラリと華子を見る。まるで華子の反応を怖れるかのような物言いに不安を覚えながら、華子はゆっくりと頷いた。


 まだ、夢であるという希望は捨て切れない。死んだ、ということは当然考えたくもなく、これが現実だと認めることが怖かった。


「実はですな、ハナコ殿はこの世界とは別の世界から来られたのです」


 言い渋ったわりに随分とあっさり白状するリカルドに、華子は何も言えなかった。

 華子にとっては寝耳に水。別の世界など到底信じられるはずもなく、実はここはハリウッドで大掛かりなドッキリでも仕掛けられたのかと疑いたくなる。華子は至って普通の常識人である。今時流行りの漫画やアニメに傾倒する趣味もない。別の世界に来たと聞いて思ったことといえば、昔映画で見た、なんたらかんならストーリーみたいだなぁ、ということだけであった。

 それでも、リカルドの話を右から左に聞き流しながら華子なりに理解したことは、


 この世界はポル・ディオスという神によって創造された。


 世界は四つの大陸と大小様々な島から成り立ち、大陸の名前はエステ、オエステ、スル、ノルテという。


 ここはエステ大陸にあるフロールシア王国である。


 華子は王都セレソ・デル・ソルから遥か南に位置する、ヴェントの森の上空から突然落ちてきた。


 華子たちは今、王都セレソ・デル・ソルに向かっている。


 ということであった。


「如何なされた、ハナコ殿?」


 ぼんやりとして何も返事をしないでいる華子を心配してか、リカルドが顔を覗き込んでくる。そんな顔も無駄に整っているなぁ、ちょっと年食ってるみたいだけど、と思いながら華子は言うべき言葉を口にした。


「あの、助けていただきありがとうございました。それと、リカルドさんのお話はまったく理解できないんですが、要するに、ここは日本ではないのですね? 」

「当然のことをしたまでです。礼には及びませぬ」


 リカルドはゆっくり左右に首を振り、ハナコ殿が無事であればそれでよいのです、とのたまった。


「それよりも、私の説明が稚拙で申し訳ない。ニホンとはハナコ殿の世界にある国でございますか? 是非貴女の国の話も伺いたいですが、貴女はまだこの世界に来られたばかりですからな。王都にはこの世界について私より詳しい学者方がおりますから、おいおい、この世界や国について知って欲しいと思います」


 にっこりと微笑みを浮かべるリカルドは嘘をついているようには見えない。もしかしたら騙されていて、今まさに誘拐されている真っ最中かもしれないが、しがない会社員で今年定年を迎えた父親と、華子が幼い頃に他界してしまったという母親が実は大富豪でした……などということもない。さらに派遣社員な華子を騙して得する輩がいるとも思えない。


 もしかしたら、もしかするのかも。


 リカルドの言っていることが正しいとすれば、華子は何らかの理由で世界をまたぎ、この世界にやってきた。何故か空にダイブする形で。突っ込み所満載だし、意味がわからない。それよりも、派遣の仕事とかバイトとか、どうすればいいのだろうか。


 あ、私ってまさか失踪したことになってる? お父さん、どうするのかな。


 悶々と悩み出した華子であったが、リカルドの声に思考を遮られた。


「ハナコ殿、あれが王都セレソ・デル・ソルでございます」


 華子はリカルドが指を差したその先に視線を向け、そして歓声をあげた。


 深緑の森が途切れた先に広がる青い草原。整地されているところからみると、畑か何かだろうか。その草原を、八方向から街の中心部に向かって大きな白い道が通り、蜘蛛の巣状になった道と道の間にこれまた白い建物が所狭しと並び建っている。中心部にそびえ建つ、まるでサグラダファミリアのような白い塔のような建物は城だろうか。街の中を緩やかに蛇行した運河が流れており、巨大な帆船が何隻も停泊していた。とにかく広い街を囲っているのは万里の長城を思わせる巨大な城郭。まるでお伽噺のような白い街並みに、華子は圧倒された。


「なんて、凄い。あれはお城? まるで街が光っているみたい」

「落ち着いたら案内しましょうぞ。ハナコ殿、これが我がフロールシア王国が誇る麗しの花の王都セレソ・デル・ソルでございます」


 視界いっぱいに広がる豪奢な白亜の街並みは、華子のいた世界では見たことがなかった。もし実在したら間違いなく世界遺産に登録されているだろう。

 

 華子はこの世界が別の世界であるという事実を受け入れざるを得なかった。


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