第1部 魂に導かれ、出逢う者たちの章

第1話 ダイブした華子と赤銅色の恐竜

 待ちわびておりました。


 私の***。


 貴女を見つけるのに随分と月日がかかってしまいました。


 早く、私の傍へ。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 寒い。

 むしろ痛い。


 身体はそうでもないのに、後頭部が激しく痛かった。特に耳などは千切れそうに痛む。そして背筋がゾクゾクするような、さらには子宮の辺りがぞわぞわとする嫌な感覚が、華子のぼんやりとした意識を呼び覚ました。


 華子はこの感覚を知っていた。


 耳に聴こえる、ゴォォォォというくぐもった音。

 顔の皮膚をあらぬ方向へと押しやる風圧。

 子宮辺りの不快感。

 バサバサと絡まる髪の毛。


 これは、この、感覚は……何処かから、落ちている?!


 ジェットコースターにでも乗っているかのような感覚に、華子は一気にパニックになった。夢にしてはリアルすぎて、怖くて目が開けられない。風圧で瞼が言うことをきかないので、自分がどういう状況に置かれているのかすら全く分からない。加えて、何故か手足の自由がきかないことも華子の恐怖心を煽った。身体に何かが纏わりついていて思うように動けず、ただただ落下しているであろう事実。


 いや、死にたくないっ!!


 絶望感が込み上げてくる。

 状況がわからない上に最悪な結末を想像した華子は、ただひたすら死にたくないと思った。小さい頃に泣くほど怖かったジェットコースターよりも何十倍も何百倍も強く感じられる恐怖になす術がない。溢れ出す涙や鼻水、涎までもを吹き飛ばす風圧は、冷たく刺さるように痛かった。


 このまま死ぬの?

 いや、いや、いやっ!!


「い、いやよ……し、に、たく……ない」


 寒さからか、恐怖からか、ガチガチと噛み合わない口からやっとのことで声が漏れる。意を決して必死になり、薄っすらと開けた瞼の隙間から見えるのは、深緑の大地だろうか。身を切るような寒さとショックでうまく考えられない。


 なんで、どうして、こんなことに。

 部屋で寝ていたはずなのに。

 わからない、わからない、どうして、わからない、こわい。


 誰か、だれか、だれかっ、


「た、たす……け、て」


 誰でもいいから、誰か、助けて!!


「た、たす」

 グルオオオオオオオオオオオオオオォッ


 絶望に囚われただ落下していた華子の耳に、聞き慣れない鳴き声が聞こえた。まるで映画の中の恐竜の様な咆哮に、華子はビクッと身を縮める。そして、ギュッと閉じた瞼の裏に目を焼くような閃光が走ったかと思うと、容赦無く耳を打っていた、ゴォォォォという音がかき消えた。顔や身体の自由を奪っていた風圧は緩やかなものに変わり、後頭部の痛さや子宮の辺りのぞわぞわとした不快感すらも消えている。


 ああ、私、死んじゃったのかな。


 死んだことがないのでわからないが、先ほどの恐竜のような咆哮と閃光は、きっと地面に激突したときのものだろう。あんなに痛くて寒かったというのに、今はじんわりと暖かい。

 華子は閉じていた瞼をゆっくり開けた。すると、オレンジ色の光が全身を包み込んでいるではないか。不思議なこともあるものだ、とぼんやりと思う。

 しかし、華子は足元を見ることはできなかった。そこにはスプラッタになった自分の身体がある気がしたのだ。無意識のうちに身震いすると、顔から流れ出た涙や鼻水、涎がポタポタと落ちる感覚がする。これまた無意識のうちにそれを拭おうとした華子は、ふと違和感に気が付いた。


 身体に纏わりつく何か。


 死んでいるので身体があるのかどうかはわからないが、落下中に手足自由を奪っていたその何かは、華子が愛用している青い寝袋であった。


「これ、何? 何で、私……どうして」


 自分の身に何が起こっているのかわからない。けれどその状況から、どうやら寝袋ごと落下していたと思料される。青いミノムシ状態の姿を思い浮かべ、羞恥心が沸いてきた華子はそそくさと寝袋のジッパーを開いた。そしてモゾモゾと寝袋を脱ぎ捨て、着ていたベビーピンクのネグリジェに目をやる。


 魂とかいう状態なのかな?

 意外と、血とかついてないのね。


 ネグリジェの裾を捲り上げ、足の状態を確認しようとしていた華子の側を何か黒い影がよぎる。華子はふと、目の端をよぎった影に視線を移した。


「何と大胆な。異界の鎧は珍妙なれど、貴女は何と美しいことか」


 羽の生えた恐竜が、喋った。

 華子の斜め上にいたのは、赤銅色の恐竜であった。その恐竜は象より大きく、とにかく見たことがない生物だった。

 赤銅色の巨体、鋭い牙、鉤爪、角、大きな口、硬そうな鱗、太い尾、大きな四枚の羽。金色に輝く理知的な瞳はジッと華子を見据えている。先ほど聞いた咆哮はこの赤銅色の恐竜のものであったのだろうか。その姿は何故だか神々しく、恐怖は感じない。華子はあっと閃いた。


「神様、でいらっしゃいますか? 」

「私が? いえ、私は人です」


 どこが人なの? とは突っ込んでいいものなのか。どこらかどう見ても人には見えない。どうやら神様は冗談がお好きらしい。


 まじまじと赤銅色の恐竜を見つめる華子に、苦笑混じりの声が降ってくる。


「あまりそのように見つめますな」

「も、申し訳ございません」


 ジロジロ見過ぎたかと、慌てて頭を下げて謝罪をすれば、赤銅色の恐竜も慌てたように謝罪する。


「頭をお上げくだされ。申し訳ない。年甲斐もなく妬いてしまいました」


 妙に艶のある重低音な声で言われると、何だか妙に恥ずかしい気持ちになった華子は、恐竜の言葉に引っかかりを覚えた。


 妬く、とは誰に?


 華子はもう一度恐竜を見上げた。

 よく観察すると、恐竜の大きな口からロープのようなものが垂れている。その先をたどると、何やら鞍や鐙といったような道具が取り付けられており、ようやく華子は勘違いをしていたことに気が付いた。


 赤銅色の恐竜の背に、誰か、いる。


 喋っていたのは恐竜ではなく、恐竜の背に乗る誰かであったのだ。


「ここで立ち話している訳には参りませんな。どうぞ、こちらへ」


 その誰かは、華子に向かって手を差し伸べてきた。逆光になってよく見えない人物の差し出してきたその手を取るべきか。

 手を伸ばしかけた華子は、はたと思い至る。そもそも、自分は死んでいるのだから、人には見えないのではないだろうか。死んだ人を迎えにくるとすれば、天使か、悪魔か、あまり良い予感はしない。


「わ、私を迎えにきっ、来たのですか? 天使様。それとも、悪魔、様? 」


 一瞬の沈黙の後、恐竜の背に乗る誰かの豪快な笑い声が聞こえてきた。


「確かに、私は貴女を迎えに参りましたが、私が天使ですと? どちらかといえば悪魔でありましょうなぁ」


 その答えに華子は身を強張らせる。


 悪魔が、私を迎えに……。


 生前、華子は目立たず騒がず、ただひたすら地味に生きてきたという自負がある。来る者拒まず去る者追わず、特出して良いところもなければ悪いところもなく、その人生は平々凡々であった。容姿も十人並み。少々男運が悪かった気もするが、勤労の義務も果たし納税も怠ったことはない。


「私、生前に何か悪いことでもしたのですか? 」


 地味に落ち込む華子に、自称『どちらかといえば悪魔』はさらにとんでもないことを言い放った。


「生前とは? 貴女はこの通り生きておられるではないか。もしや貴女には前世の記憶がお有りになるのか?! 」


 私が生きている?

 どういうこと?

 何処かから落ちて、死んだのではないの?


 華子は思わず自分の頬を思いっきりつねってみた。確かに痛い。痛くて痛くて、すっかり乾いていた目尻から、再び涙がポロポロと零れ落ちてきた。


「死んだんじゃなかったんだ……」


 何だかもう考えるのが怖い。

 何故、知らない間に落下していたのかとか、ここが現実だとか夢だとか、もう何もわからない。訳がわからなくて、でも生きているみたいで、赤銅色の恐竜だとか、自称悪魔とか、色々なことが頭に渦巻いて。


 華子は意識を手放した。


 意識が途切れる瞬間、自称悪魔の焦った声と暖かい感触に包まれながら、そういえば寝る前に隣の大学生に腹が立って、部屋の壁を蹴ろうとしたんだっけ、などというどうでもいいことを思い出した華子であった。


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