【悲報】異世界へダイブした先で私を待っていたのは還暦を迎えた王子様だった件

星彼方

プロローグ

 不況の波に流され、やっと就職できた会社は倒産。

 食いつなぐために派遣社員としてがむしゃらに働き、気が付けばただのくたびれたアラサー干物女と成り果ててしまった田中華子三十歳独身に、その日、転機が訪れた。



 派遣だけでは食べてはいけないのでアルバイトにも勤しみ、疲れ切った身体を引きずって、月5万6千円の古臭い1DKにただ寝るためだけに帰る日々。部屋にはベッドなんてない。あるのは昭和の異物のような14インチのテレビと小さな折りたたみ式のちゃぶ台に、煎餅座布団のみ。

 華子は、暗い部屋にポツンと置かれている青い寝袋に身体を滑り込ませながら盛大なため息をついた。


 虚しい。

 どこで間違ってしまったのか我が人生。


 今日もスーパーのタイムサービス品のお惣菜で腹を満たし、最近映りが悪くなってきたテレビを見るともなしに見ていると、急に虚しくなってきた。


 アラサー干物女で見せる相手もいないくせに、ヒラヒラとしたレースがふんだんに使われた、ベビーピンクの裾の長いネグリジェを着ているせいではない……と思いたい。


 別に『目指せ幸せな結婚!お見合い大作戦』などという番組を見ているせいではない……と思いたい。


 決して派遣先の若い社員(女性)達が立て続けに結婚するという現実を受け入れたくないせいではない……と思いたい。


 間違っても隣の部屋の大学生(女性)が彼氏といちゃこらやっているせいではない……と思いたい。


 というか、この部屋の壁は薄いのだから少しは気を使っていただきたいものである。何が悲しくて他人の、あはんうふんな声をBGMに眠らなくてはならないのか。


 まったくもって、虚しすぎる。


 不本意にも目が冴えてしまった華子は、寝袋ごとむくりと起き上がった。隣の部屋からはクライマックスを迎えたと思われる声に、なにやら盛り上がるピロートーク。まさかの第二ラウンドが始まりそうな雰囲気に、華子は隣を隔てる薄い壁を半眼で見つめた。


 明日も朝早いんだけど。


 派遣先には片道一時間半かかるため、毎朝五時には起きている華子にとって、睡眠時間を削られることは非常に辛い。そんな華子の事情を知らない隣の部屋からは、さらに盛り上がった声が漏れ聞こえてくる。

 フツフツと沸き上がる怒りにも似た感情をもてあまし、華子は枕代わりに使っていた座布団を取り上げた。


 これくらいなら、許されるよね。


 隣を隔てる壁に向かって煎餅座布団を構える。別に、羨ましくて邪魔をするわけではない。ただ、ちょっとは気を使って欲しいだけなのだ。直接壁を叩くのは流石に気が引けたので、恨めしさ半分、申し訳なさ半分な気持ちで座布団を投げつける。


 ドスン


 座り固めて煎餅のようになった座布団は、鈍い音を立てて壁にぶつかりズルズルと落ちていく。そして華子はおもむろに、大きくこれ見よがしにゴホンと一つ咳払いをした。


 どうか気付いてちょうだい。


 思いのほか大きな音がしたためか、一瞬、隣が静かになった。どうやら隣人はこちらの部屋に人が住んでいることを思い出したようだ。が、それも束の間、どこか小馬鹿にしたような笑い声が聴こえてきた。それと共に、挑発するような男のくぐもった声も。


 おー、怖わっ、オバサンの嫉妬かよ。

 バカっ、オバサンに聴こえちゃうよ。


 ええ、はっきりと聴こえましたとも。

 むしろ、ワザと聴こえるように言っていることもわかっておりますが。


 たかが大学生の戯言。

 いつもなら、華子は我慢していただろう。

 いつもなら、オバサンと言われても何も思わなかっただろう。

 だが、今日は何故か沸点が低かった。何故なのかは華子にもわからないが、とにかく「オバサン」と言われたことに猛烈に腹が立った。今も壁の向こうから聞こえてくる大学生たちの笑い声も癪に障る。

 華子は後先考えず行動するタイプではない。むしろ、思慮深い方である。今まで生きてきて、ケンカは口論だけ。暴力なんてもってのほか。


 だから、わからなかった。

 感情にまかせて、壁を蹴り飛ばすなどという行為は、人生で初めての行動だったから。


 だから、わからなかった。

 そんなことをしたら、どうなるかなんて。初めての衝動故に、自分の今の格好とか、力加減とか、まったく頭に入っていなかったのである。



 田中華子三十歳独身。

 寝袋に入ったまま力の限り壁を蹴り飛ばそうとして、勢いよく背中から転倒。フローリングの床にしこたま後頭部を打ち付け、そのまま意識を失った。


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