38(幕間)踊る者、踊らせる者
「どこをほっつき歩いていた!? この
部屋に入るなり、罵声を浴びせかけられる。
清陣が座る卓の上には、多種多様な料理と、幾本もの徳利。
薄揺がいようといまいと変わらぬだろうに、横暴なこの主人は、起きている間中、薄揺を縛りつけようとする。
清陣の怒りに呼応するように、
清陣の背後にある露台に続く硝子戸の向こうは、既に深い闇だ。
墨で塗りこめられた闇を背に、酒精に染まった顔で息巻く清陣は、薄揺には吐き気を催すような醜悪さだ。
あと一日の辛抱だと思えば、虎の威を笠に着た清陣の罵声など、そよ風のようなものだ。
薄揺は床に膝をついて恭順の意を示し、謝罪を口にする。
「申し訳ございません。離邸に住んでいる者について、調べておりました」
薄揺の言葉に、ぴくりと清陣が反応する。
「何かわかったのか?」
「はい」
酒に濁った目を真っ直ぐに見つめ、告げる。
「離邸に滞在しているのは、清陣様の異母兄弟でございます」
「な……っ!」
驚愕が十分に清陣に染み込むのを待って、再び口を開く。
「わたしが掴みました情報では、遼淵様は近々、清陣様を
がしゃんっ!
耳障りな破砕音が響く。
清陣が投げた杯が、壁に当たって割れた音だ。薄揺を狙ったようだが、酔いで手元が狂ったらしい。ついさっき着替えたばかりなのに、もう一度酒を浴びせられるのは御免だ。
清陣は杯を投げたのも意識していないように、、握りしめた拳をわななかせ、荒い息を吐いている。
「今さら隠し子だとっ!? 俺を廃嫡するだと!? 認めんっ! そんな馬鹿げたことは決して認めんぞ……っ!」
酒に濁った清陣の目の中に、激しい憎しみの炎が燃え立つ。
生まれた時から蚕家の嫡男として、周りから褒めそやされ、自尊心を肥大させてきた清陣だ。青天の
内心は冷ややかに、だが、表面上はさも清陣の憤りに共感している風を装って、薄揺はゆっくりと頷く。
「清陣様のお怒りはごっもっともです。清陣様以外に、次の蚕家のご当主にふさわしい方がいるなど、考えられません。聞けば、遼淵様はわざわざ離邸に結界まで張って隠し子を守っているとのこと。今日、本邸を不在にしていたのも、隠し子の身を案じて、夕方まで離邸にこもっていたからというではありませんか。遼淵様の庇護に甘え、怯えきって離邸に隠れているような者が、どうして清陣様より優れている道理がありましょう」
「当り前だ! 蚕家の次期当主は俺だっ! どこの馬の骨とも知れぬ輩に、むざむざと奪われてなるものか!」
吐き捨てた清陣の表情が、何かを思いついたように止まる。
「……もしや、あの男か……? 昨日、俺を襲った……?」
昨日、薄揺や所用で席を外していた隙に、清陣が部屋で気を失っていた件は、もちろん知っている。
薄揺がいない間に何があったのかは、清陣が洩らさぬので知らないが、目覚めた後の清陣の暴れようは酷かった。清陣の暴力に慣れている薄揺ですら、命の危険を感じたほどだ。
「そうだ……。妖しい術を使っていた……。きっと、何かの術で親父を
遼淵が女性などに心を動かされる性格でないことは、薄揺ですらわかる。だが、人は自分の尺度でしか他人を測れぬものだ。
あえて清陣の言葉を否定も肯定もせず、薄揺は今日限りの主人を
「きっと遼淵様は
「もちろんだ! 俺が隠し子などに負けるはずがない!」
確かに、清陣は人格はともかく、術師としての実力なら、並みの術師より抜きん出ている。
酒で赤らんだ顔に自負をにじませ、言い切る清陣に、薄揺は大きく頷く。
「その通りです。清陣様の実力を知れば、遼淵様も必ずや、清陣様を認められるでしょう」
「だが……。どうやって実力を示せと? 離邸から出てこぬ隠し子と、直接対決するわけにもいくまい?」
清陣が薄揺の意見を取り入れようとするなど、ついぞなかった事態だ。それだけ、告げられた内容が衝撃的だったということだろう。
緊張に喉がひりつく。
一度舐めて唇を湿らせ、薄揺は真意を悟られぬよう、視線を伏せて口を開く。
「伝え聞くところによると、親というものは、子が可愛いがゆえに、いつまでたっても子供の成長を認めず、
いったん言葉を切り、さも、今思いついた風を装って告げる。
「たとえば、遼淵様ですらふれるのをためらっている『蟲殺しの妖剣』を使い、遼淵様の結界を破ってみせる、など……」
「『蟲殺しの妖剣』だとっ!?」
清陣の声がひび割れる。薄揺はあわてて平伏した。
「申し訳ございませんっ。どうぞ、
清陣が次の言葉を発するより早く、床に額をこすりつける。
「浅慮でございました。『蟲殺しの妖剣』を使うなど、清陣様の御身にも危険が及ぶかもしれぬ策を……」
「ですが」と平伏したまま、遠慮がちに言葉を紡ぐ。
「『蟲殺しの妖剣』が本当に危険なものか、わたくしが知る限り、実際に試した者は、一人もおりません。あの遼淵様ですら……。もし、見事『蟲殺しの妖剣』を扱うことができれば、清陣様の実力は、蚕家のみならず、すべての術師が認めるところとなりましょう。ともすれば、遼淵様を越える名声を手に入れられるやもしれません」
薄揺が言葉を切ると、豪奢な室内に、重い沈黙が落ちる。
強い酒の臭いと、種々の料理の香りが混沌と渦巻く部屋の中で、薄揺は
ややあって。
「……子はいつか、親を越えるものと言うからな」
低く、しかし熱のこもった清陣の声に、薄揺はおずおずと顔を上げた。
「薄揺。お前の言う通りだ。今こそ、俺の実力を親父に認めさせる時!」
清陣が徳利から直接、酒を
「隠し子などに蚕家を好きにさせるものか! 蚕家の次期当主は俺だ! それを認めぬ者は、隠し子だろうと親父だろうと、俺が叩っ斬ってやる!」
熱に浮かされたように清陣が
部屋の中は、いくつもの燭台で明るいはずなのに、部屋のそこここに闇が
酒の高揚とは別の、今まで心の奥底に封じ込められていた
薄揺の扇動に、清陣は予想以上に
もうすぐだ――。
この長い夜が明ければ、待ち望んでいた自由が、手に入る。
◇ ◇ ◇
「ついに……。ようやく
薄暗い天幕の中。
術師相手に蟲の卵を仕込んだ場合、術師の《気》の性質によっては、なかなか孵化しない場合もある。
ここまで孵化しない事態は初めてだったが、今日、離邸に送り込んだ少年に冥骸の《気》を封じ、娘に送り込むことによって、ようやく孵化させることができた。
孵化さえすれば、あとは娘の《気》を食って、蟲はどんどん成長するだろう。
そうすれば、精巧な操り人形の完成だ。術師の才を持つ娘を宿主にできたのは、本当に幸運だった。
冥骸は、娘の愛らしい顔立ちを思い出して、ほくそ笑む。
女は便利だ。もともと非力なゆえに、警戒が甘くなるし、あれこれと使い道がある。特に、相手が若い男となれば。
冥骸の用を果たした後、娘がどうなろうと、知ったことではない。所詮、使い捨ての道具だ。
蟲に仕込んだ禁呪さえ、あの皇子に渡してくれれば、後はすべての《気》を蟲に喰われて死のうが、狂おうが、どうだっていい。
それは、結界を破らせるために唆した蚕家のどら息子とて、同じこと。
己が編んだ蜘蛛の巣が、確実に獲物を追い詰めていることを感じて、冥骸は低く喉を鳴らす。
獲物の喉笛を掻き切るまで、あと、ほんの少しだ。そのために。
「せいぜい、わたしのために踊るがいい。道化ども――」
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