36 興味を満たすためなら、おかまいなしです? その6


「張宇、あなたは……。わたしは反対です。せっかく遼淵殿が協力してくださるのです。でしたら、起こるかどうかわからぬ脅威について調べるよりも、禁呪を解く方法を探るべきでしょう。我々に、のんびりしている時間はないのですから」


「ん? ワタシに遠慮はいらないよ? 愛しの君なら、いつまでいてくれたって大歓迎さっ!」


 遼淵の言葉に、季白がきっぱりと首を横に振る。


「遼淵殿のご厚意はありがたいですが、甘えるわけにはいきません。我々は、一刻も早く解呪の目途をつけ、乾晶けんしょうの街へ行かねばならぬのですから」


「ああ、反乱が起こったんだっけ? 面倒だよねえ。皇族は義務が盛りだくさんで。反乱が起こったくらいで、わざわざ地方にまで鎮圧しに行かなきゃいけないなんてさ」


「え?」


 初めて耳にする話題に動揺し、茶器を置こうとした手が震える。陶器の器が卓にあたり、かつんと固い音が響いた。


「……反乱の鎮圧、ですか……?」

 禁呪を解く方法が確立するまで、英翔達は蚕家にいるものだと思い込んでいた。が。


「ああ。もともと、乾晶で起こった反乱を鎮圧するために赴任する途中で、刺客に襲われてな……。ひとまず、乾晶には影武者を立てて行かせているが、そう長く誤魔化せまい」


 英翔が苦い声で告げる内容は、どれもこれも、初めて聞くことばかりだ。


「は、反乱って……。すごく危険なのでは?」


 声が震える。生まれてこのかた、穏やかな小さな町でしか暮らしたことのない明珠は、反乱がどんなものかすら、想像がつかない。

 だが、危険が潜む場所であることは、確かだろう。


「危険は問題ではない。乾晶は交易で栄えている街だ。治安が不安定な状態が長引けば、街そのものの衰退につながる。反乱が長引けば長引くほど、街に暮らす者達の生活が脅かされる」


 黒曜石の瞳に強い光を宿し、言い切った英翔に、やっぱりこの方のお役に立ちたい。という想いが強くなる。

 が、同時に、今でも自分は、くわしい事情を説明してもらえぬけ者なのだと、胸の奥がつきりと痛む。


 もともと、臨時雇いの侍女なのだ。もう少しして解呪の方法に目途がついたら――もし、明珠の他に、解呪の特性を持つ者さえ現れれば、明珠は即刻、お払い箱になるだろう。


 そうなれば……。


(きっと、守り袋を取り上げられて、英翔様にはもう、二度と会えない……)


 自分の心の呟きに、予想以上に動揺する。


 当たり前だ。英翔と明珠では、身分に差がありすぎる。

 わかっているのに――母の形見の水晶玉を取り上げられるかもしれないという不安以上に、心が痛む。


「どうした? 顔色が悪いぞ」

「ひゃっ」


 不意に英翔の手が頬にふれ、すっとんきょうな声が出る。

 我に返った視界に、英翔の秀麗な面輪が大写しになり、心臓が跳ねる。


「昨日の疲れが残っているのか? それとも、遼淵にまとわりつかれて、心労が?」


 英翔の腕が伸びてくる。明珠は空の盆を盾にして、英翔の腕を遮った。


「だ、大丈夫です! 何でもありませんっ。えっと、その……。反乱なんて聞き慣れない話題にですね、圧倒されて、ぼうっとなってしまって……」


「しかし……」

 渋る英翔に、季白が助け舟を出してくれる。


「明珠にとって、遼淵殿は会ったこともない父親なのです。無意識の内に緊張してしまい、長時間一緒にいると疲れを感じることもあるでしょう。気疲れから来るものならば、我々は席を外して、いつも通りに仕事をさせてやる方が、明珠は心穏やかに過ごせるのではありませんか?」


「そ、そうです! まだ夕食の支度も進んでいませんし……。いつも通りにしていれば、すぐによくなりますから!」


 英翔がちらりと遼淵を流し見し、溜息をつく。


「……まあ、こいつといると気疲れするのは理解できる。遼淵。もう用は済んだだろう。書庫に戻るぞ」


「えーっ、まだまだ検証したいことはたっぷりと……」


「お前のせいで明珠が体調を崩したらどうする!? 相手ならわたしがしてやるから、つべこべ言わずに来い!」


 眉を吊り上げた英翔が、強引に遼淵の腕を引く。不満そうな顔をしながらも、遼淵も席を立ち、季白も後に従う。


「張宇、お前は明珠を手伝ってやれ」

 振り返った英翔が張宇に命じる。


 三人を見送って、張宇が明珠を振り返る。


「本当に、無理をしていないか? 疲れているなら、部屋で休んでくるといい」

 気遣わしげな張宇に、明珠は大きくかぶりを振った。


「大丈夫です! ちょっとその……。精神的な疲れが残っているだけで」


「まあ、昨日、あれだけのことがあればなあ……」


 吐息した張宇が、いたわるように明珠の頭を撫でてくれる。その手の優しさに、張り詰めていた気持ちがほどけていく気がする。


「もし、調子悪いと思ったら、すぐに言うんだぞ?」


「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから。張宇さんも自分のお仕事に戻っていただいてかまいませんよ?」


 張宇の仕事の邪魔をするのは申し訳ない。

 だが、それより、このまま張宇と一緒にいると、「乾晶の反乱はどんな規模のものなのか?」とか「英翔達はこれからどうするつもりなのか?」とか、うっかり張宇に聞いてしまいそうだ。


 聞いた時に、もし前みたいに、「話せない」と張宇に言われたら……。

 泣かないでいられるかどうか、自信がない。


 明珠に厳しい季白はともかく、人の好い張宇が断るということは、すなわち、英翔に口止めされているということに、他ならない。

 きっと英翔は、明珠には政治の絡む話などしてもわからぬだろうと侮っているのではなく、単に、余計な心労をかけまいと気遣ってくれているのだろうが……。


 明珠には、それがやけに哀しい。なぜ哀しいと思うのかは、自分でもうまく説明できないのだけれど。


 今までいろいろな家や店で働いてきたが、これほど明珠を気遣ってくれる職場に出会ったのは、初めてだからかもしれない。


 大きな屋敷なら、下女など話して動く道具の一つでしかないし、小さな店は小さな店で切り盛りに忙しく、いちいち雇い人にかまってなどいられない。

 間抜けな侍女が足に擦り傷を作ってきたからといって、自ら薬を持ってきてくれる主人が、どこにいるというのか。


 英翔にも思惑があったと知った今でさえ、英翔の優しさ事態を疑ったことは一度もない。


「気を遣わせてすまないな。だが、風呂の準備もほとんど済ませたから、気にしないでくれ。それに、英翔様のご命令に背いたら、後が怖い」


 おどけた様子で肩をすくめた張宇に、思わず笑みがこぼれる。


「ありがとうございます。じゃあ、肉団子の甘酢あんかけを作るので、こねて丸めるのを手伝ってください」


 優しい張宇を困らせたくない。うっかり口をすべらせたりしないように気をつけようと思いながら、明珠は張宇の厚意に素直に甘えることにした。

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