36 興味を満たすためなら、おかまいなしです? その4


「いや……。襲撃を受けた時は、抵抗するのに必死だったからな。思い出そうとしているのだが、禁呪によって、《龍》の気を封じられたのか奪われたのか、我が事なのに判然とせん。だが……」


 低い声で話す英翔が、いぶかしげに眉をひそめる。


「《龍》の気が身体から抜けていくあの感覚を味わったのは、初めてではないような気がする……」


「ん? 何だい? 禁呪を解くきっかけでも思い出したのかいっ!?」


 勢い込んで尋ねた遼淵に、英翔が苦笑する。


「そうせっつくな。一刻も早く禁呪を解きたいのは、わたしとて同じだ。気づいたことがあれば、すぐにお前に相談する」


 しばし、黙して考え込んでいた英翔だが。


「……駄目だな。どうにも、もやがかかったように思い出せん。ずっと昔に覚えがある気がするのだが……」


 残念そうにかぶりを振る。


「だが、明珠のおかげで、《龍》の気を得ていても、簡単には利用できぬとわかった。それだけでも収穫だ」


「うーん、惜しいなあ……。《龍》の気さえあれば召喚できるのなら、ワタシ自身で《龍》を喚んで、イロイロできるのに……。よし、明珠! もっといろんな方法を試してみよう!」


「ええっ!?」


「《龍》についてはわからないことばかりなんだ。調べることで、解呪の手がかりがつかめるかもしれないよ? それに、《龍》を使えたら、イロイロと便利じゃないか!」


「便利、ですか……?」

 明珠には、何が便利かよくわからない。


「そうだよ! 自分で《龍》を喚べたら、アレコレ実験が……あ」


 英翔の鋭い眼差しに気づいたのか、遼淵が首をすくめて舌を出す。

 顔立ちだけでなく、仕草も子どもっぽいのが、遼淵をいっそう若く見せている原因なんだろうなあ、と明珠はぼんやり思う。


 黒曜石の瞳に射抜かれた遼淵が、「でもでもっ」と抗議する。


「《龍》が召喚できたら、絶対に明珠の役に立つよ! もし刺客に狙われたって、《龍》ならたいていの蟲を圧倒しちゃうしね!」


「……遼淵」


 底冷えする英翔の声。急に室温が下がった気がして、明珠はぶるりと身体を震わせた。


「念のため確かめておくが、他の者には、誰一人として、明珠の存在を明かしていないだろうな?」


 返答次第では叩っ斬ってやると言わんばかりの英翔の眼差し。


 吹雪のように冷え冷えとした声音に臆する様子もなく。遼淵はいつもの調子で大きく頷いた。


「もちろんだよ! こんな面白いモノ、他人と分かち合うわけがないだろう!?」


「ご、ご当主様?」

 今、本人を前に思いっきり「面白い」と言われた気が……。


「他人に明かしていないのならいい。が……。身を守る道具で、何か明珠に渡せるものはないのか? 半月ほど前、お前が王城に行くことになった時、山のようにわたしに押しつけていっただろう?」


「ああ、盾蟲の巻物とか? 昨日、従者クンも使ってたよね~。用意しろって言うんなら、いくらでも用意するけど……」


 英翔の提案に、遼淵がちらりと明珠を見る。


「明珠の場合、うまく発動しないかもしれないよ? 昨日だって、巻物から喚びだした蟲を解呪してたし」


「す、すみません……」


 昨日の失態を思い出し、申し訳なさに身を縮める。昨日は無我夢中で、盾蟲まで消えてしまうなんて、考えすらしなかった。


「まさか、ワタシが直々に込めた蟲を消されちゃうなんてね~。予想外だったよ。明珠の解呪の力は、かなり強いのかもしれないね」


 遼淵の言葉に、英翔が驚いた顔をする。


「明珠。お前、遼淵の蟲を消したのか?」


「え? あの……。何かの間違いじゃないですか? 私なんかが、ご当主様の蟲を解呪できるなんて……」


 明珠は信じられないが、「いや」とかぶりを振ったのは英翔だ。


「『昇龍の祭り』の灯籠の光蟲も、こともなげに解呪していただろう? わたしも解呪の力を持つ者は数人しか知らんし、その力をくわしく見たこともないが……。明珠の解呪の力は、なかなか強いのかもしれん」


「麗珠もかなり強い解呪の力の持ち主だったよ。ほんと、いなくなった時は哀しくてねえ……。手を尽くして探そうとしたんだけど、追跡用の蟲もことごとく解呪されちゃってね。あれには参ったなあ……」


 遼淵が遠い目をしてしみじみ呟く。


「しかし……。巻物が無理となると、明珠が身を守る手段が限られてくるな。この小刀でも持っておくか?」


 英翔が帯の間から取り出したのは、帯の隙間にすっぽり隠せる長さの小刀だ。


 螺鈿らでんの細工に金や宝石で飾られた鞘のこしらえは、一目見ただけで、とんでもなく高いとわかる。


 おそらく、明珠の人生百回分の給金を合わせても、足元にも及ばぬ品だろう。


 花や蝶をかたどった精緻な細工は、もはや芸術品の域だ。貧乏人には眩しすぎて、直視できない。


 幻覚かもしれないが、離邸の殺風景な食堂の空気までがきらめき、かぐわしくなった気がする。


「こっ、こんな高そうなもの、持てませんっ! 持ったら緊張で心臓が壊れます!」


 無造作に差し出す英翔に、ぶんぶんぶんっと激しくかぶりを振る。


「しかし……。この小刀は優れものだぞ。大抵の蟲なら滅せるほどの力を秘めている」


「そっ、それって……っ」

 ひくりっ、と恐怖に喉が震える。


 『破蟲はちゅう小刀しょうとう』。

 その存在については、昔、母から聞いた記憶がある。


「そっ、それって蚕家の家宝の一つじゃないですかっ! もし何か粗相そそうをしたら、絶対に弁償できませんよっ! そんなコワイもの、さわるのも嫌ですっ!」


 両手を体の後ろに引っ込めて握りしめ、千切れそうなほど首を横に振る。


 なんてものをあっさり渡そうとするのか。

 心臓が止まるから、本気でやめてほしい。


 怯えきっている明珠に対し、英翔と遼淵はのんきなものだ。


「家宝って言っても、どうせ蔵にしまいっぱなしだし……。使う機会があるなら、使った方がいいじゃないか! どれほどの効果があるか、確かめられるし」


「お前を守るためなら、家宝かどうかなど、些末な問題だろう? 拵えが気に入らんというなら、作り直させるぞ」


「こんな素晴らしい芸術品を作り直させるなんて、あっさり言わないでくださいっ! 恐ろしいっ! それに、そんなすごい力のある小刀なら、英翔様の身を守るためにこそ、使うべきです!」


 気がたかぶるあまり、思わず立ち上がって英翔に詰め寄る。

 驚いたように目を見開いた英翔が、次の瞬間、悪戯っぽく微笑んだ。


「だが、わたしにとっては、お前の身を守る方が重要だ」


 くるりと身体を反転させられると、ひょいと英翔の膝の上に座らされる。


「ちょっ!? 何なさるんですか!? 下ろしてください!」


 足をばたつかせて暴れるが、青年英翔の力強い腕は、腰に巻きついたまま、離れない。

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