36 興味を満たすためなら、おかまいなしです? その2


「明珠」


 少年英翔の苦笑の声。と、英翔が何かを放ってよこす。明珠に放り投げられたのは。


「すぐにみじん切りにします!」


 明珠は渡された玉ねぎの皮をべりべりと勢いよくむき始める。


 さすが英翔だ。涙なら、くちづけよりはまだ――いや、本当は涙も十分恥ずかしいので、許されるなら遠慮したいのだが――ましな気がする。


「……そんなあからさまに喜ばれると、それはそれで複雑な気持ちになるな……」


「? どうかなさいましたか?」

「いや、何でもない。気にするな」


「はあ……」


 あいまいに頷きつつも、手は皮をむいた玉ねぎをざくざくとみじん切りにしていく。


「さすが英翔様が選んだ玉ねぎです! ものっすごく目にしみます!」


「そうか……。その、よかったな?」


 玉ねぎを切るたび、目と鼻につーんと刺激が来る。目が潤んで手元が見えにくいほどだ。


「切り終りました!」


 振り向くと、英翔がすぐそばまで来ていて、卓から椅子を引き出していた。


「ここに座って、守り袋を握れ」

「は、はい」


 言われた通り、椅子に座る。涙でぼんやりにじんだ視界の片隅に、わくわくと身を乗り出す遼淵が見えた。と。


 両頬を英翔の手にはさまれ、固定される。


「遼淵など、うるさい羽虫だと思え。お前は、わたしだけ見ていればいい」

「は、羽虫って!?」


 あまりにひどい言いように、思わず目をまたたいたとたん、涙がぽろりとこぼれ落ちる。


 あわてて守り袋を握りしめた途端、柔らかく湿ったあたたかいものが、ぺろりと頬を舐め上げた。


「っ!」


 頬にふれている手が、大きな手に変わり。


「……やはり、涙でも解呪は可能か」

 英翔が納得したように呟く。


「うわーっ! おっもしろーいっ!」


 大きな歓声を上げたのは遼淵だ。が、明珠は聞いてなどいなかった。


「英翔様!? 元のお姿に戻ったのなら、もう涙は必要ないですよね!?」


 英翔の唇が、頬からまなじりへと移ってくる。


「せっかくの涙だ。活用しなければ、もったいないだろう?」

「そ、そうかもしれませんけど……」


 もったいないという言葉に、貧乏人のさがで、思わず抵抗が弱くなる。


 英翔の唇が優しく明珠の涙を吸っていく。


 大きな手に両頬をはさまれて、顔を動かせない。頬が熱くて、ふれている英翔の手まで火傷してしまうのではないかと、馬鹿なことを考える。


「も、もう涙はありませんでしょう!? 放してください! でないと、英翔様まで玉ねぎ臭くなっちゃいますよ!?」


 たまらず声を上げると、英翔が顔を離して苦笑した。


「お前の移り香ならば、何だろうと嬉しいが……。この刺激臭はちょっと困るな」


「でしょう!? 私も手を洗いたいので……」

 大事な守り袋が玉ねぎ臭くなっては困る。


「そうだな。すまん」


 英翔が前から移動すると同時に、手を洗いに走る。


 洗いながら、みじん切りを見て、今夜のおかずは肉団子の甘酢あんかけを一品増やそうと考えていると、背後で、興奮した遼淵の声が聞こえた。


「間近で見ると、面白いコトこの上ないね! 《気》の流れを目視できたら面白いんだけど……」


 遼淵の声は残念そうだ。


 《気》は、流れを感じることができるものの、よほど多量で強いものでないと、目視はできない。


 《見気けんきの瞳》と呼ばれる能力があれば、《気》を見ることができるらしいが、《見気の瞳》は生まれつきの能力で、持っている者の数は少ない。


 聞いた話によると、《気》が見えると、世界の見え方がまるで違うのだという。明珠には、どんな光景なのか、まったく想像がつかないが。


「ワタシに《見気の瞳》があったらなあ……。とりあえず、蚕家所属の術師に、《見気の瞳》の持ち主がいるかどうか、探そうか。うん」


 呟いた遼淵が、手を洗い終えた明珠を呼ぶ。


「ちょっといいかい? ぜひとも、確かめたいことがあるんだけど」


「は、はいっ」

「ここへ座るといい」


 英翔が、自分の隣の椅子を引いてくれる。英翔と遼淵が卓を挟んで向かい合って座っているので、明珠は遼淵の斜め向かいになる配置だ。


「確かめたいことって、何でしょうか?」


 尋ねると、遼淵がわくわくと目を輝かせて口を開く。


「明珠は、《龍》を呼び出せるのかな?」


「ふぇっ!? 何おっしゃってるんですか!? 無理ですよ、絶対!」


 あまりに予想外すぎて、すっとんきょうな声が出る。


 《龍》。神話では、全ての蟲達の祖といわれる至高の存在。

 あらゆる蟲は、《龍》から派生した劣化版に過ぎないのだという。


 力のある蟲ほど、祖である《龍》に近い姿――たとえば、風乗蟲のように、細長い身体を持つことが多いらしいが、あくまで《蟲》と《龍》は別物だ。


 それほど、卓越した存在なのだ。


 他のあらゆる《蟲》を圧する、唯一無二の力。


 かつて、《龍》の力でもって、龍華国をおこした皇族の血脈――その中でも、限られた者にしか発現しないという、力。


 それを、明珠に召喚できるか、などと。


「御当主様、頭が――あ、いえ、とにかく! どうかなさったんですか!? 私に《龍》なんて喚び出せるわけがありません!」


 失礼極まりないことを口走りかけ、あわててごまかす。


 が、遼淵は明珠の剣幕など気にした風もなく、「だってさ~」と楽しげに説明する。


「龍玉を持った明珠が、解呪の特性で《龍》の気を取り込んで、愛しの君に渡しているわけだろう? ということは、愛しの君に気を渡さなかったら、明珠の中に《龍》の気が残るってことじゃないか! となったら、皇族じゃないけど、気を持つ明珠が、《龍》が召喚できるかどうか、気になるのは当然だろう!?」


「ふむ。なるほど」


 英翔が頷く。明珠には、遼淵の疑問が当然のものなのかどうかの判断はつかないが、言いたいことは少しわかる。


「それに~。他にもちょっと、気になることがあるんだよね~」


 思わせぶりに、遼淵が向かいの英翔を見つめる。

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