36 興味を満たすためなら、おかまいなしです? その1


「明珠~。終わった? もう仕事終わったよね?」


(じゃれついてくる子犬みたいだ、この方……)


 「ねーねーねーねー」と、さっきからまとわりついてくる遼淵に、明珠は心の中でそっと吐息した。


 なぜ、こんなことになったのだろう?


 結界の様子を調べに、英翔達が出て行ったのが、朝食後のこと。


 四半刻(約半時間)ほどで戻ってきた三人が言うには、結界に異常はなく、正常に機能していたらしい。


 目覚めた楚林は、異常がないか遼淵が診た後、季白が丸め込んで帰らせてしまった。

 もう二度と刺客に狙われたりしないよう、遼淵が身を護る護符を持たせた上で。


 そのまま、今日は離邸で過ごすと宣言した遼淵に、


「よろしければ、英翔様の解呪のために、遼淵殿の知識をぜひともお貸しください!」


 と、季白が土下座せんばかりに頼み込み、


「いーよー♪ 愛しの君が元の姿を取り戻すってことは、ワタシの研究が進むってことだからね!」


 と二つ返事で頷いた遼淵は、季白に誘われるまま、英翔達と三人で書庫にこもり。


 途中、英翔が遼淵の目の前で少年姿に変化したものだから、書庫ではちょっとした騒ぎだったらしいが――遼淵はそのまま離邸に居ついて、昼食まで食べた。


 ちなみに、遼淵は明珠が作った庶民料理に、


「たまにはこういう素朴な料理も、目新しくていいよね~。でもこれ、質素すぎてあとでお腹こわさない?」


 とのたまい、


「明珠の料理に文句があるなら食うな。腹を壊したいのなら、張宇の料理を食わせてやるぞ」


「英翔様! 俺の料理は毒じゃありません! そもそも、腹痛を起こさせたことなどないでしょう!?」


「胸やけと食欲減退はあるがな。どうだ、遼淵? 試したかったら作らせるぞ?」


「英翔様、ひどいです……」


「ん、遠慮しとくよ。あ、明珠。この煮物おかわり!」


 などと、本日の昼食はすこぶるにぎやかだった。


 あまりに食事が進まなさ過ぎて、とうとう季白が、


「ここは居酒屋か何かですか!? 素面しらふのくせに、真昼間からぐだぐだと……っ。 我々には無駄な時間など一刻たりともありません! 食事など、栄養があって腹を満たせれば、それいいんです! さあ、さっさと食べて書庫に戻りますよ!」


 と、季白が青筋を立てて怒鳴ったほどだ。


 いつもより長い昼食が終わり、


「さあ、ご飯も食べたし、今度こそワタシの目の前で、元の姿に戻ってもらおうか!」


 と言われた時には、明珠は食べたばかりの昼食が逆流するかと思った。最終的には、


「明珠にも仕事があるんだ。急に連絡もなく来ておいて、お前の都合にばかり、合わせられるか」


 と英翔と季白がひきずるように遼淵を書庫に連行していき、明珠は安心して昼食の片づけ、離邸の掃除、夕食の支度と、張宇と一緒に仕事にいそしんでいたのだが。


 張宇が風呂の支度に行ってしまった少し前から、遼淵がまとわりついてきて困っている。


 夕飯の仕込みをしているのだが、包丁を持っている横をうろつくので、危なくて仕方がない。正直、邪魔だ。


「ねーねーねー。もうそろそろ、手が空くんじゃない? まだ?」


 にこやかな笑顔のまま、ずい、と遼淵が近づく。明珠は思わず包丁を握る手を止めた。


「……そろそろ言うことを聞いてくれないと、ワタシの我慢も限界がきちゃうなぁ~♪」


 表情は笑顔のまま――だが、目の奥が笑っていない。

 遼淵が発する威圧感に、じわりと背中に冷や汗がにじむ。と。


「遼淵。言っただろう? お前と取引をしたのは、わたしだ。明珠を巻き込むな」


 少年英翔の高い声が割って入る。


「愛しの君!」


 ぱあっ、と顔を輝かせ、遼淵が台所の戸口に立つ英翔を振り返る。

 不機嫌そうに顔をしかめた英翔が、つかつかと台所へ入ってきた。


「ちょっと別室へ調べ物に行くと言って抜け出したまま、戻ってこないと思ったら……。こんなところで明珠に迷惑をかけていたのか」


「だあってさぁ~!」


 遼淵が子どもみたいにぷく~っと頬をふくらませる。


「用があるならそっちから来いって言ったのは、愛しの君だよ!? だから、昨日も来たのに、明珠が休んでいるから帰れって追い出されて、今朝は今朝でワタシが見ていないところで元の姿に戻っちゃうし……。何コレ、ワタシをらせて楽しんでるのかい!? もう、我慢も限界だよっ!」


(ご当主様、昨日も来てらしたんだ……)


 明珠はぐっすりと眠っていたので、まったく気づかなかった。


 よほど、我慢の限界なのだろう。

 遼淵は駄々っ子みたいに足を踏み鳴らす。蚕家当主の威厳も何も、あったものではない。


「いい加減見たいよーっ! 昨日は一瞬のことでよく見えなかったしさ。今回はぜひとも、ゆっくりくちづけ頼むね♪」


 くちづけ。

 遼淵が口にした単語に、かあっ、と頬が熱くなる。


「っ! あの、遼淵様……」


 英翔の解呪のためにできることなら、何だってする。その気持ちに嘘偽りはない。


 ……が、英翔に尽くしたい気持ちと、恥ずかしさは別物だ。くちづけしろと言われても、簡単にできるものではない。


 英翔が疲れたように吐息する。


「遼淵、お前の要望はわかった。……お前にしては、かなり我慢できたほうだな」


「英翔様!?」


 手にした包丁をまな板に置き、思わず身を強張らせる。


 遼淵の要望をかなえるということは、つまり……。

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