35 娘と言って信じてくれます? その5


「何をだ?」


 尋ねる英翔の声は、多分に諦めを含んでいる。

 が、遼淵は気にした風もなく口を開く。


「愛しの君を離邸にかくまうって決まった時に、離邸を中心に結界を張ったんだよ。ワタシと、ワタシが許可した術師以外は、侵入したり、術を行使することができないようにね」


 固まっている四人をよそに、遼淵はにこにこと続ける。


「そうしておけば少なくとも、刺客に直接、狙われることはないだろう? 傀儡蟲のように、結界外で召喚された蟲の侵入までは防げないけど……。身を守るための手段だって、渡してあるし、かなり安全度は上がるかな~って」


 「面倒くさかったけど、愛しの君を守るために、頑張ったんだよ~」と笑顔で、告げる遼淵に、四人は返す言葉もない。


 遼淵の口調はあっさりしたものだが、内容がどれほど高度なものか、術を使える明珠にはわかる。


 というか、そんな強力な結界を、中にいる者に違和感も抱かせず張るとは、遼淵はやはり、只者ではない。


 最初に疑問を呈したのは英翔だった。


「遼淵。お前が許可した術師以外は、術を使えないと言ったな。だが、明珠は術を使えたぞ? それに、わたしも」


「そりゃあ、愛しの君は特別だよ! キミの術なら何度でも見たいさ! 禁じるわけないだろう!?」


 身を乗り出し、興奮した口調で告げた遼淵が、次いで明珠を振り返り、「う~ん」とうなる。


「明珠が結界内に入れたのも、術を使えたのも、おそらくワタシの娘だからじゃないかな? 血縁者同士は、《気》の性質が似てるっていうしね。もちろん、ワタシは結界内で術が使えるように設定しているし」


「……つまり、明珠が遼淵殿の血を引いていることは、間違いないと?」


 季白が、心底、苦々しそうな口調で言う。


「うん? 明珠はワタシの娘で間違いないよ? でも、そうか……。《気》が似ていると術が使えるなら、清陣だとどうなのかな? 一度、実験してみて……」


「遼淵、落ち着け。わたしと明珠が術を使える理由はわかった。つまり、敵は自ら離邸に来れないがゆえに、この少年に傀儡蟲を仕込んで刺客にしようとした、と。……ご苦労なことだな」


 低く吐き捨てた英翔の声に、室温が下がった気がする。


「楚林は大丈夫なんですか? 何か、後遺症が残ったりとかは……」

 心配になって、英翔を見上げる。


 楚林はまだ眠ったままだ。寝息は健やかで、外傷も英翔が治しているが、もし目覚めた時、まだ正気を失っていたらどうしよう。


「大丈夫だ。心配なら、目覚めたあと、異常が残っていないか診てから帰そう」

 優しく笑った英翔が、安心させるように明珠の髪を撫でてくれる。口をはさんだのは遼淵だ。


「愛しの君が傀儡蟲を滅したというのなら、心配いらないと思うけどね。《龍》の気に対抗できるような傀儡蟲なんて、そうはいないよ。よほど入念に呪を練って、準備しておかないとね。昨日の今日じゃ、まず無理だろう。けど……」


「けど、なんだ?」

 英翔が続きをうながす。


「いや。傀儡蟲を仕込んで愛しの君を襲わせるだけなんて、ちょっと杜撰ずさんだなーと思って。いくら子ども同士とはいえ、ふつうの少年には、さすがに負けないだろう?」


「当たり前だ」

 英翔が気分を害したように形良い眉をしかめる。


「訓練された刺客ならともかく、何の心得もない子どもには負けん」


「だろう? なら、敵には他の目的があったのかなーって思ってさ」


「と、言いますと?」

 季白の切れ長の目が、警戒にさらに細くなる。


「結界を破るためとか? いやー、なんせ急ごしらえだったからさ~。離邸全体を結界内に入れようと思ったら、塀の外まで結界を広げざるをえなかったんだよね~。一応、結界の要は蚕家の敷地内において、簡単には手出しできないようにしたんだけど。一応、確認しておいたほうがいいかもね」


「すぐに確認しておきましょう。遼淵殿。案内を願えますか?」


「今日も《龍》を調べさせてもらおうと思ったんだけど……。しょーがない。愛しの君を守るためだもんね」


 遼淵が席を立つ。


「明珠と張宇は残って、少年を見てやれ」


「わかりました」

 明珠と張宇が頷くと、三人があわただしく出ていく。


「大変だったな、明珠。二人が無事でよかった」


 三人の足音が遠ざかったところで、張宇がいたわるように頭を撫でてくれる。ふしばった大きな手は、あやすように優しい。


「私は、何のお役にも立てていません。すべて、英翔様に任せきりで……」


 自分の無力さが情けない。


 楚林を巻き込んでしまったのも、昨日、不用意に接触してしまったせいかと思うと、申し訳なさに胸が痛くなる。


 長椅子に横たわった楚林の、乱れた髪や服をそっと直す。と、


「いたっ」

 不意に、人差し指に針で刺したような痛みが走る。


「どうした?」


「何か、指先にちくって痛みが……。とがった枝や葉でも、ついていたんでしょうか……?」


 地面に倒された楚林の服はあちこちが乱れ、土やちぎれた葉がついて汚れている。


 指先を見たが、どこにも怪我した様子はない。


「大丈夫です。なんともありません。それより、途中で放ってしまった片づけをすませてしまいますね」


 気のせいだろうと、明珠は洗い物の続きに取りかかった。

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