35 娘と言って信じてくれます? その2


「英翔様!? ちょっとお待ちください!」


 ずんずんと廊下を進み、離邸の玄関までくぐった英翔に、思わず声が大きくなる。


「いったいどうなさったんですか!? 急に季白さんにお茶をかけるなんて!」


「あいつが余計なことを言おうとしたからだ。自業自得だ」


 英翔の声は、驚くほど冷ややかだ。


「余計なことって……?」

「お前が知る必要はない」


 突き放すような声の厳しさに、一瞬、心に鋭い痛みが走り、反射的に言い返す。


「なんですか、それ! 私には関係ないって……。どうしていつも、私だけ教えてもらえないんですか!」


 英翔に捕まれた腕を振りはらおうとしたが、にかわでくっついたように離れない。


「……そんなに私は、役立たずですか?」


 あ、ダメだ。


 泣きたくなんてないのに。そんな情けない姿を英翔に見せて呆れられたくなどないのに。


 目が潤みそうになり、ぎゅっと唇をかみしめる。


「……すまん。誤解させるつりもはなかった」


 足を止めた英翔が、戸惑ったように明珠を振り返る。

 整った面輪に浮かんでいるのは、怒りではなく、明珠への気遣いだ。


「お前が知る必要がないと言ったのはその……。お前に知られて、軽蔑されたり、嫌われたりしたくなかったんだ……」


 英翔が言いづらそうに視線を伏せる。


「軽蔑?」

 予想だにしていなかった言葉に、面食らう。


「軽蔑なんて! 英翔様に対して、そんなこと、思うはずがありません!」


「……その信頼は嬉しいんだがな……」


 なぜだか歯切れ悪く呟いた英翔が、「いいな!」と強い声を出す。


「今後、季白がとんでもない提案をするかもしれんが、間違っても受けたりなどするな! 提案の中身を聞くのも禁止だ!」


「は、はあ……」


 内容を聞かずに、どうやって提案を知るというのだろう。

 季白の提案がどんなものであれ、英翔の解呪につながるというのなら、どんなことだってする気だ。何より。


「季白さんがとんでもないことを提案したとしても、それがよくないことなら、英翔様が止めてくださるのでしょう?」


 明珠が針で指を刺すのですら、渋面を見せた英翔だ。

 英翔が、意図して明珠を傷つけるような行動をとるとは思えない。


 全幅の信頼を込めて告げると、英翔が形良い眉をしかめた。


 空いている方の手が伸び、明珠の頬に触れる。


「信頼は嬉しいが……。少し困るな」

「英翔様?」


 なぜだろう。今の英翔は少年姿なのに、青年に戻った英翔を前にした時のように、心臓が騒ぎ出す。ふれられた頬が熱い。


 逃げ場を探して視線を巡らす。


 離邸の周りは、二間(約四メートル)ほどの芝生の空間を空けて、周りが林に囲まれている。

 他に木々がないのは、御神木の周りと、本邸へと続く曲がりくねった小道くらいだ。


 結局、昨日は片づける暇がなかったので、木々には灯籠が吊られたままになっている。


 明珠の目が動く影をとらえる。小道を通って、こちらへ来るのは。


楚林そりん!」

 明珠の声に、英翔が素早く後ろを向く。


「あ、昨日お話した、近くの村の子です。野菜や卵なんかを、届けてくれるように頼んだ……」


 力が緩んだ隙に英翔の手をほどき、楚林へ歩み寄る。


 楚林は、背に木の皮を編んだ籠を背負っている。その中に野菜などを入れているのだろう。


 今日は薄曇りのせいか、いつも以上に林が鬱蒼うっそうとして見える。枝葉が頭上をふさぐように茂っている小道は、見通しも悪い。


 本邸まで迎えにいってあげたほうが、よかったかもしれない。


 こちらへ歩いてくる楚林の顔色が悪い気がして、明珠は己の思慮の足りなさを悔んだ。


 明珠は気にしたことなどないが、ここは蚕家なのだ。

 出会った日に御神木の怪談を教えてくれた楚林にしてみれば、仕事ででもなければ、好きこのんで来たい場所ではなかったかもしれない。


「楚林、ありがとう。こんな早くに、わざわざ離邸のほうまで来てもらって……」


 少年をねぎらおうと駆け寄ろうとした瞬間、不意に、背後でりぃん、と澄んだ鈴の音が鳴った。


 昨日、聞いた覚えのある、どこか不穏なその音色は。


「明珠!」


 背後から強く手を引かれる。


 同時に、楚林が驚くほどの速さで駆け出していた。

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