35 娘と言って信じてくれます? その1


「やあ、おはよう! 愛しの君に、我が娘!」


 朝食の後。英翔と季白が茶を飲み、明珠と張宇が皿洗いに取りかかったところで、食堂の扉が、ばあんっ、と大きく開けられた。


 入ってきたのは、もちろん遼淵だ。若々しい顔は、子どものように好奇心できらきらと輝いている。


「さあっ、今すぐ、くちづけをしようじゃないか!」


「っ!?」

 朝っぱらからの爆弾発言に、洗っていた皿を思わず取り落とす。


「おっと」

 隣で手伝ってくれていた張宇が、すかさず受け止めてくれたので事なきを得たが、礼を言うどころではない。


「昨日は突然の出来事でちゃんと観察できなかったからね! 今日はワタシの目の前でゆっくり頼むよ!」


 にこやかに告げる遼淵は、まるで居酒屋で「とりあえず濁り酒!」と注文するような気安さだ。


 が、受ける明珠は「注文入りました~」なとど、あっさり了承できるわけがない。


 無理。絶対、無理だ。


「遼淵。少し落ち着け。明珠が固まっているだろう」


 呆れ顔で割って入ったのは、少年姿の英翔だ。

 さすがに、眠っている間に青年姿から変わったらしい。 


 英翔の声に我に返った明珠は、濡れている手を拭き、遼淵を振り返る。遼淵は、英翔の言葉など、気にした風もない。


「固まっているなら、好都合じゃないか! 暴れられるより、じっくり観察できるし」


「……お前な……」


 頭痛を覚えたのか、英翔が額を押さえる。

 助け舟は、意外なところから現れた。


「遼淵殿。先ほど、明珠を「我が娘」と呼んでらっしゃいましたが……。間違いないのですか!?」


 隣の椅子に腰かけた遼淵に、真剣な表情で尋ねたのは季白だ。


「記憶違いだとか、たばかられているなどといった可能性は!?」


 噛みつくように問う季白に、遼淵はあっさり頷く。


「明珠はワタシの娘だよ! 愛しの君の強力な禁呪を、一時的にせよ解けるなんて、こんな唯一無二の面白いコ、手放すワケがないじゃないか! このワタシでさえ、まだ解呪方法を見いだせてないんだよっ!?」


「……遼淵殿に常識的な判断を期待したわたしが間違っていました……」


 季白が疲れたように吐息する。


「それに、明珠の母親の麗珠とは、身に覚えもあるしねえ。そういや明珠、キミ、いくつだっけ?」


「年ですか? 十七歳ですけど……」


「あーうん、ばっちり!」

 ひぃふぅみぃ……、と数えていた遼淵が、にこやかに断言する。


「……遼淵殿がそうおっしゃるのでしたら、明珠が遼淵殿の娘であることは、ひとまず認めましょう。ですが、それよりも確認しておきたいことがあります!」


 今にも遼淵を射抜きそうな目で、季白がずいっと詰め寄る。


「今現在、明珠が英翔様の禁呪を解ける唯一の存在であるというのは、確かなのですかっ!?」


「唯一かどうかは、わからないな~」

 遼淵がのんびりと答える。


「それはどういう意味ですかっ!?」


「解呪の特性を持つ他の術師を集めて実験してみないと、わからないってことさ」


 遼淵は、昨日、明珠と英翔に説明してくれた内容を、季白にも説明する。


 明珠がもつ水晶玉には、《龍》の気が封じられているらしいこと。


 解呪の特性を持つ明珠が水晶玉にふれることによって、《龍》の気が明珠に流れ込み、それが更に英翔に伝わることによって、一時的に禁呪を弱めているらしいこと――。


「つまり、明珠でなくとも、解呪の特性を持つ者が、水晶玉を握って《龍》の気を英翔様にお渡しすれば、一時的に禁呪を解くことができると!?」


「ワタシの推論が正しければね」

 季白の問いに遼淵が頷く。


「推論が正しいかどうか、ぜひとも検証したいところなんだけど……。なんせ、解呪の特性は本当に珍しいからねえ。あいにく、身近に当てはいないんだ」


「遼淵殿の人脈をもってしてもですか……」


 季白がうなる。

 もし、手近に解呪の特性を持つ者がいれば、遼淵も季白も、喜んで明珠と取り替えて検証をしていたに違いない。


「いや、知っていることは知ってるよ? 震雷国しんらいこくの宮廷術師のたん 轟頼ごうらい殿とか、第三皇子付きの術師のれい 賢浄けんじょう殿とか」


「お二人とも、今の英翔様の状態を、断じて知られるわけにはいかない方ですね……」


 季白の声はどこまでも苦い。


「仕方ありません。今のところ、明珠しかいないのでしたら、それで手を打ちましょう。ですが、遼淵殿。蚕家に所属する術師の中に、わずかでも解呪の特性を持つ者がいないかどうか、探していただけますか?」


「それはもちろん! 昨日から探し始めているよ!」

 遼淵が大きく頷く。


「よろしくお願いいたします」


 丁寧に頭を下げた季白が、ふと、何かに気づいたように面を上げ、呟く。


「――ですが、遼淵殿の推論が正しいのだとすると、一気に多量の《龍》の気を得ることで、禁呪を破ることも可能なのでは?」


「ああ、可能性としてはあるよ。問題は、禁呪を打ち破るほどの《龍》の気をどうやって渡すかという点と、愛しの君の――」


「気を一度に渡す方法なら、さっさと性――」


 ばしゃっ!


 突然、英翔が手に持っていた茶器に残っていた茶を、季白の顔にぶっかける。


「英翔様っ!?」


 入れたての茶でなかったからよかったものの、茶器にはまだ、かなりの量が残っていたらしい。季白がすっかりびしょぬれになる。


「どうなさったんですか!?」


 突然、茶をぶっかけるなど、只事ではない。


 驚いて、手近な布巾を手にとり卓へ駆け寄ると、立ち上がった英翔に腕を掴まれた。なぜか背後で張宇が爆笑している。


「布巾など差し出してやる必要はない」


 英翔は明珠の手から布巾を奪うと、乱暴に季白に投げつけた。


 ぱさ、と前髪や顎先から茶を滴らせる季白の頭に、布巾が落ちる。


「来い」

「えっ、あのっ」


 英翔が腕を掴んだまま、歩き出す。少年とは思えないほどの力と、決然と揺るぎのない歩みに、ついていかざるをえない。


 遼淵が開け放していた扉をくぐって、食堂を出て行く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る