34 (幕間)術師のたくらみ


「何だと……!?」


 蚕家にほど近い林の中の獣道のそば。


 文字通り、狸や兎などしか通らぬ獣道から少し離れたところに立てられた簡素な天幕の中。


 折り畳み式の卓と椅子、いくつもの寝袋でいっぱいの天幕で、ただ一人、椅子に座る黒衣の術師――冥骸めいがいは、偵察に出していた部下の報告に目をいた。


「龍翔が元の姿に戻っていただと!? 馬鹿な……っ! あの術が解けるはずがないっ!」


 「ありえん、ありえんありえん……っ!」と何度も呟く。


「あの禁呪は、《龍》の血脈まで使って、わたしが自ら練り上げた逸品いっぴん……っ! たとえ、蚕遼淵の力をもってしても、こんな短時間で破れるはずがない……っ!  何かの幻術に決まっている……っ!」


 幻術。その可能性に思い至り、得心する。


 おそらく、報告した部下は、何かの幻術に惑わされたのだ。忌々しい遼淵のやり口らしい。


 平伏する部下に冷たい一瞥いちべつをくれ、深く吐息して動揺を押し込める。

 かわって頭をもたげたのは、揺るぎない自負だ。


 蟲達の王、《龍》。

 《龍》の力を封じるのは、《龍》の力を持ってでしか、不可能だ。


 幾年もの研鑽けんさんの末、編み出した禁呪は、あの《龍》の血を引く皇子の気を封じ、死に至らしめるはずだった。


 皇子が余計な抵抗をしたせいで、命までは奪えなかったが、《龍》の気は完全に封じている。


 現に、皇子は術も使えぬ童子の身となり、遼淵の庇護を求めて離邸に引きこもっているではないか。

 殺すことなど、何の造作もない。


 だというのに。


 遼淵め、と冥骸は年齢不詳のにやけ顔を思い出し、歯噛みする。


 昨夜、王城で昇龍の儀式を執り行ったというのに、まさか、半日でここまで帰ってくるとは、予想だにしていなかった。


 ぎり、と噛み締めた奥歯が鳴る。


 今日の昼の襲撃。

 遼淵さえ現れなければ、皇子を守る両翼の片方を、ほうむりさってやれたものを。逆に、こちらは六人も部下を失ってしまった。


 おかしい。後は文字通り、赤子の手をひねりあげ、息の根を止めるだけだったというのに、想定外の出来事が起こりすぎている。


 想定外と言えば、あの娘もそうだ。


「なぜ、まだアレがかえっていない……?」


 仕込んでからすでに十日ほど。

 とうに孵っていなければおかしい。だが……。


 今日の様子を見るに、娘に仕込んだあの蟲は、孵化している様子はなかった。


 部下の報告によると、あの娘は蚕家に来た初日、解呪の力を持つ神木に触れ、術が解呪されていたのだという。


 その影響で、腹の中の卵にも、異変があったのかもしれぬ。


 だが、卵はまだ腹の中にある。確実に。


 それは、昼の襲撃の際に確認済だ。

 あとはもう少し……。


「遼淵めが。結界などと、余計な小細工さえしなければ、もっと楽にれたものを……」


 忌々しさを隠さず吐き捨てる。


 結界の中に、術師は入れない。

 それゆえに、あの娘を生かしているのだ。


 ここしばらくは結界を解く方法を調べることに費やされていたが、それも目途めどがついてきた。


 そろそろ、あの娘にも働いてもらわねばならぬ。そのためには……。


 うつむき、平伏したままの部下に、冥骸は矢継ぎ早に新たな指示を出した。

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