31 虫籠と乾燥ワカメは何のため? その4


 いかに禁呪を解くためとはいえ、英翔自身に危険が及ぶような方法を採れるわけがない。本末転倒だ。


「で、この乾燥ワカメ状態だと、蟲は見えるものの、術は使えないし、どうしようもないんだけど……」


 話を戻した遼淵が、今度は激しく虫籠を振る。

 虫籠の八分目まで入れられている乾燥ワカメが籠の中で暴れ回るが、格子の隙間が狭いため、飛び出しはしない。


「水晶玉と明珠の解呪の特性で、一時的に元の姿に戻る理屈は、こういう原理だと思うんだよね~♪」


 虫籠を卓の上に置いた遼淵は、突然、水差しの水を虫籠にぶっかける。


「わあっ!? 何をなさるんですか!?」


 たぱー、と卓の上に広がった水を、懐から手巾を取り出して、急いで拭く。


「いったい何を……?」


 水を含んだ乾燥ワカメがあっという間に大きくなり、格子の隙間からはみ出し始める。


「……つまり、わたしの身の中に、《龍》の気が流れ込むことによって、一時的に禁呪の隙間を突いている、と?」


 虫籠を見つめていた英翔が、推論を述べる。


「たぶんね~♪ 禁呪が変化したのでなければ、考えられる可能性は、禁呪をかけられた対象である愛しの君自身の変化しか、考えられないかな~って」


 遼淵が頷きを返す。


「なるほど……。外から破ることができないのであれば、内側から破ればいいというわけか」


「その方法があることは否定しないけど……。実行するのは早計かな? 本当にその方法で完全な解呪ができるのか、検証も何もしていないし、禁呪を破るほどの《気》を一度に注いで、身体にどれほどの負担がかかるかも不明だしねぇ~」


「もうしばらくは、様子見か」


 苛立たしげに英翔が呟く。一刻も早く禁呪を解きたいと願っているのは、英翔自身だろう。


 遼淵には会えたが、推測に同意されただけで、新しいことはまだ何もわかっていない。英翔としては、苛立たしい限りだろう。


 卓の上に広がった水を拭き、立ち上がったところで、急に英翔の腕が伸びてきた。

 腰に英翔の腕が巻きついたかと思うと、ぐいと引き寄せられる。


「あ、あの……?」

 気がついた時には、英翔の膝の上に座らされていた。


「な、何ですか!? 下ろしてください!」

「様子見ということは、しばらくお前を離せんな」


 暴れる明珠に、英翔はからかうように言い、腕にますます力を込める。


「兄妹ではないとわかったのだ。もう何の問題もないだろう?」

「ありますよ! とりあえず、放してください!」


「兄妹ってなんだい?」

 英翔の言葉に反応したのは遼淵だ。


(なんでそこに食いつくの!?)


 「何でもないです!」と返すより早く、英翔が口を開く。


「明珠が、ついさっきまで、わたしのことを兄だと誤解していてな」

「ぷっ!」


 吹き出した遼淵が、英翔とその膝に抱き上げられた明珠の顔を交互に見、もう一度、「ぷくくくくっ!」と吹き出す。


 何をどう見て吹き出したのか問い詰めたいが、余計に恥をかきそうでつっこめない。


「いやーっ、それはありえないでしょ! 愛しの君と明珠が兄妹って! なんでまた、そんなオモシロイ勘違いを?」


 遼淵のにこやかな笑顔が心に突き刺さる。


「そ、その……。離邸で暮らしてらっしゃるってお話でしたし、何より、蚕家の紋付きの護り絹を着てらっしゃったので、てっきり蚕家のご子息だと……」


 恥ずかしさにうつむいて、もごもごと呟く。


 兄妹ではないとわかった今なら、明珠と英翔ではまったく顔立ちが似ていないし、そもそも、人格の高潔さとか気品とか、さまざまな人間性が、英翔とまったく共通点がないとわかる。


「あ、あの、英翔様……。もしかして、私が腹違いの兄弟だと誤解したことを、かなり怒ってらっしゃいます?」


「なぜだ?」


 明珠を抱えたまま、不思議そうに英翔が聞き返す。


「だ、だって……。さっきからお願いしているのに、放してくださいませんし……。私なんかと兄妹だと思われて、ご不快に感じてらっしゃるのかなと……」


「怒ってなどいないぞ」


 苦笑した英翔が、仕方がないとばかりに手を緩める。

 明珠は素早く膝から飛び降りると、英翔から一番離れた長椅子の端っこに避難した。


 英翔の苦笑に、遼淵の声がかぶさる。


「なるほど。蚕家の紋入りの護り絹ね。あれは、清陣のおさがりだよ。清陣は一人息子だったし、他に着る者はいないからね。ちょうど丈の合うのがあったから、貸したんだ」


「清陣、か」


 不意に低くなった英翔の声に、背中に冷たい汗がにじんだのは、先ほど襲われた恐怖を思い出したからか、それとも、英翔の苛烈な怒りを思い出したからか。

 自分でもよくわからない。


「遼淵。お前は本当に、あのろくでなしを蚕家の次期当主に据える気か?」


 英翔の怒気を目の当たりにしても、遼淵の笑顔は崩れない。


「今のところはね~。一応、あれでも術師としての腕はなかなかだし、清陣以外に子どもはいないから、他に選択肢はない……って、あ。できたか今」


 遼淵に楽しげに視線を向けられ、ぶんぶんぶんぶんっ! と必死に首を横に振る。


 蚕家の跡取り問題に巻き込まれるのは、心の底からご遠慮したい。


「ま、ワタシは死ぬまで家督を譲る気なんてないし、ワタシが死んだ後の蚕家がどうなろうと、知ったことじゃないしね~♪」


 さらっと恐ろしいことを告げる遼淵に、ようやく彼の異質さを理解する。


 遼淵にとっては、自分の興味や好奇心を満たすことが、唯一絶対の行動指針なのだ。


 明珠とはあまりに異なる価値観を目の当たりにして、少し、気が遠くなる。

 今日は、精神的にも身体的にも負荷がかかりすぎだ。

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