31 虫籠と乾燥ワカメは何のため? その1
わき目もふらず逃げたせいで、見覚えのない廊下を龍翔と進むと、一際、豪華な扉の前に着いた。
「入るぞ」
許可も待たずに英翔が扉を開ける。
「やあ、意外と遅かったね~。もう少ししたら、感気蟲だの縛蟲だのを放って、無理矢理、連行しようかと思ってたよ~♪」
卓についた遼淵が、にこやかな笑顔でとんでもないことを言う。
笑う遼淵が手に持っているのは。
「……何をしている?」
英翔が呆れ声を出す。
卓の上に置いた格子状の
「あ、これ? 召使いに言って、用意させたんだよ~♪」
遼淵の返事は答えになっていない。
「……ご当主様って、英翔様の本当のご身分を、ご存知なんですよ、ね……?」
仮にも第二皇子である英翔に対して、あまりにざっくばらんな遼淵の対応に、不安を覚えて問う。
「もちろんだ。そもそも、最初に刺客に襲われた際に、離邸に身を潜めるよう勧めたのは、遼淵だからな。……わたしに協力すると、取引したのも」
「取引……ですか?」
「そうだよ~♪ 愛しの君に協力する代わりに、《龍》について調べさせてもらうって! すべての蟲達の頂点に立つ崇高なる存在、《龍》! 不敬にあたるとして研究が禁じられている《龍》の調査ができるなんて……っ! もうっ、たまんないよねっ!」
にこやかに――いっそ狂気を感じさせるほど楽しげに、遼淵が笑う。
若々しい顔には生気がみなぎり、瞳の輝きは宝石をちりばめたようだ。
明珠は、これほど無邪気に笑う大人を見たことがない。無邪気なのに、どこかうすら寒いものを感じさせる笑顔。
(……英翔様のお味方みたいだし、英翔様も何もおっしゃらないし……。いいのかな、とりあえずは)
「で、キミは麗珠の娘なんだよね?」
突然、にこやかな笑顔で問われ、心底驚く。
「えっ!? その通りですけど……? 私のこと、ご存知なんですか!?」
「ううん、知らないよ」
あっさりと遼淵がかぶりを振る。
「でも、心当たりがあったのを思い出してね。いやー、キミ、顔立ちは麗珠によく似てるけど、雰囲気はまったく違うんだもん! ぱっと見じゃわからないよ! 麗珠が貴族の庭園で大切に育てられた
「おい!」
にこにこと、ものすごく失礼なことを言う遼淵に、明珠の代わりとばかりに英翔が声を荒げる。
「いいんです、英翔様。母さんに似てるけど、全然似ていないって、今までさんざん言われていますから……。慣れてます。それより……」
遼淵を見た視界が、わずかににじむ。
「母を覚えていてくださったことが、嬉しいです」
「忘れるわけがないよ! 麗珠ほど優秀な弟子は、後にも先にもいなかったからね! でもそうか、麗珠がワタシの子を……。十八年前、突然、出奔して行方知れずになったから、何事かと思ったものだけど……。水臭いなあ。子どもが生まれたんなら、そう教えてくれればよかったのに」
さばさばと告げる遼淵の声に、残念そうな響きはあるものの、あまり情感は感じられない。
きっと急な出来事に戸惑っているのだろうと、明珠は亡き母に代わって事情を説明する。
「母は……生まれてくる子が、蚕家の跡取り争いに巻き込まれないように身を隠したのだと、昔、話してくれました……」
「跡取り争い、か。まあ、確かに麗珠とワタシの子なら、優秀さは約束されたようなものだからね。今からでも、清陣とすげ替えて――」
「ちょっ、ちょっと待ってください! 何をおっしゃるんですか!? わ、私はぜんぜん優秀じゃないですよ! 母さんにも、「術師を目指すのはやめた方がいい」って言われたくらいで……っ!」
さらりと、とんでもないことを言う遼淵を、あわてて止める。
何だか、とんでもない誤解を受けている気がする。
「そうなのかい? でも、愛しの君の解呪には、キミが関わっているんだろう? いったい、どんな方法で――」
「遼淵」
不意に、英翔が低い声で遼淵の言葉を遮る。
明珠より優に頭一つは高い英翔を振り仰ぐと、黒曜石の瞳には険しい光をたたえられていた。青い仮面はすでに外され、手の中に収まっている。
「何を企んでいる? お前は、親子の情に動かされるような人間ではではないだろう?」
つないだままの手を引いて明珠を引き寄せ、英翔が
「忘れるな。お前と取引をしたのは、あくまでわたしだ。明珠を研究材料にすることは、わたしが許さん」
「英翔様の禁呪を解くための研究なんですよね? だったら、私だって協力します! 協力しない理由がないじゃないですか!」
告げた瞬間、強く肩を掴まれる。
明珠に合わせて屈んだ英翔が、真っ直ぐに明珠を見据えていた。
「少しは考えて物を言え! お前は自分を安売りしすぎだ!」
厳しい声に、肩が震える。
なぜ英翔が怒っているのか、わからない。
「す、すみません……。私でも、英翔様のお役に立てることがあるなら、と思ったんですけど……」
おずおずと返すと、英翔が呆れたように長く吐息した。
「わたしのためを思って言ってくれる心意気は嬉しい。だが、わたしは自分の解呪のために、お前を犠牲にしたくない。その点は、覚えておいてくれ」
「は、い……?」
英翔の言葉の意味を完全には理解できないまま、頷く。
英翔が明珠を気遣ってくれているのだけは、はっきりわかる。
一介の侍女を思いやってくれるなんて、なんて優しいのだろう。その英翔が元に戻るためなら、何だってしようと、改めて心に誓う。
「と、とにかく! 私は蚕家の跡取り争いに加わる気なんて、これっぽっちもありませんから! ただその……。ご当主様に、娘だとお伝えしたかっただけで……」
本当は、借金を何とかしてほしいのだが、さすがに今は言えない。
「うん、認めた! キミはワタシの娘だ! たとえ血がつながってなくったって、キミなら娘にしていいよ!」
にこにこと英翔と明珠を見ていた遼淵にあっさり告げられ、面食らう。
何か不穏な言葉が混ざっていたような……?
が、「どうでもいい」から「娘と認める」に変わったのだ。深くは突っ込まないことにする。
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