30 私は、あなたのことを――! その1


「明珠っ!」


 追おうとして、英翔は遼淵に阻まれる。


「どこに行くのさ、愛しの君。ワタシの願いを叶えてくれるんじゃなかったのかい?」


「どけっ!」


 離れようとしない遼淵を、無理矢理引きはがす。

 怒りのままに、青年に戻ったおかげで背を追い越した遼淵の胸ぐらを掴む。


「何だあの態度は!? 明珠がどんな気持ちでお前の娘だと明かしたと……っ!?」


 怒鳴り、己の失策にようやく気づく。


 そうだ。遼淵はこんな男だ。親子の情より、公務より、己の好奇心を優先させる男。

 だからこそ、英翔も取引したのだから。


 今回は、完全に英翔の失策だ。明珠に引き合わせるなら、もっと時と場所を選ぶべきだった。


 遼淵の衣から手を放し、明珠を追いかけようとして、楽しげな声に引きとめられる。


「そのお姿で行かれるのかな?」

「っ!?」


 言われて、初めて気づく。


 


 宮廷術師を任じている蚕家の奥向きなら、英翔の顔と名前が一致する人物は数多くいる。


 そんなことにすら気づかないほど、動揺していた。


「よかったら、それでも使うかい?」


 遼淵が笑って指し示したのは、壁の一画だ。そこには、演劇で使う仮面のいくつかが掛けられている。


 そういえば、最近の遼淵の「お気に入り」は、王都でも有名な劇団の看板女優だったな、と聞いた覚えのある噂が脳裏をよぎる。が、そんなことはどうでもいい。


 色とりどりの仮面の中から一番簡素な――目元だけを隠す青く塗られた仮面。幽鬼の役を示す面を奪うように手にとり、雑多な物で飾られた部屋を飛び出す。


  ◇ ◇ ◇


「ふっ、……くくくくくっ」


 乱暴に扉が閉まった室内で、遼淵は腹の底からこみ上がる笑いを、抑えきれずにらした。


 風乗蟲で急いで帰ってきた甲斐があった。こんなに心躍る事態に遭遇できるとは、予想だにしていなかった。


 自分ですら未だ解呪の方法がつかめていない禁呪への対抗手段を、先に見つけられているとは。


 娘だと名乗った男装の少女を思う。


 正直、まったく記憶にない顔だし、娘だと言われても、一片の感慨すら湧かない。


 英翔に言った内容は、掛け値なしの真実だ。


 年に一人は、遼淵の息子だの娘だのが現れる。

 大抵は、未熟な術師の卵なのだが、いったい何を考えてくるのか、遼淵には、さっぱり意味がわからない。身に覚えなどないというのに……。


「……あ」


 いや、一人だけいる。

 遠い過去の甘やかな記憶の――。


「……麗珠れいしゅ?」


 かつて愛し――そして失った女性ひとの名が、口をついて出る。


 もう、十数年も読んだ記憶のない名。


 言われてみれば、顔立ちは似ていないこともない。だが、纏う雰囲気が麗珠とは違い過ぎる。


(……泣きそうになった顔は、少し似ていた、かな……?)


 遼淵は布張りの椅子にゆったりと腰かける。


 あの娘が麗珠の娘であろうと、なかろうと。英翔の解呪に関わってくるというのなら。


「欲しいな~♪」


 遼淵は新しく増えた興味の対象に、くつくつと喉を鳴らした。

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