28 無事に帰ることはできません!? その3


「っ!」


 瞬間、意識を失いそうになるほどの怖気が全身を貫く。


「ぅあ……っ」


 全身を凶暴な濁流が駆け巡る。


 立っていられない。

 意識を持って行かれそうになり、反射的に季白の背中を掴む。


「!? 何が……っ?」


 声を上げた季白に答えを返すことができない。


 膝だけでなく全身が震え、明珠はその場にくずおれた。


 かろうじて、季白の衣を持っていては邪魔になると理性が囁き、震える手を開く。


 意識が黒く塗り潰されていく。

 自分ではない何者かに精神を犯されるような嫌悪感。


 自分に入った蟲が何かはわからない。ただただ、拒絶が募る。


 助けを求めるように、守り袋を握りしめた拳にさらに力を込め、


(嫌っ! 消えて――――っ!)


 本能のおもむくまま、声にならない声で叫ぶ。

 その瞬間。


 ――静寂が、場に満ちた。


「なっ!?」


 驚愕の声を上げたのは季白だ。

 周りの刺客達も、声にこそ出さないが驚愕に目を見開いている。


 刀翅蟲も盾蟲も縛蟲も感気蟲も視蟲も――すべての蟲が、一瞬にして、消えていた。


 一瞬早く、驚愕から立ち直った刺客達が季白に斬りかかる。


 盾蟲の守りが無くなった季白は、六人相手にたちまち防戦一方になる。


 季白のために盾蟲を呼ばなければと思うのに、身体に力が入らない。

 ぬめる刃が季白の着物の袖を切り裂く。


 別の刺客の刃を季白が受ける。さすがに息が荒い。


 刺客の刃に毒が塗られているのなら、一太刀あびるだけでも命取りになりかねない。


 激しく打ち合う鋼の音。


「《じゅ、盾蟲……》」


 守り袋を握って、盾蟲を呼ぼうとしたが、震える手から守り袋がすべり落ちる。


 季白の剣が弾かれ、宙を舞う。


 刺客の剣が季白に迫り――、


「だめっ! 季白さ――っ!!」


 動かぬ身体で、それでも季白を庇おうとして。


 ――轟音とともに、視界が白く染まった。


 ごうんごうんと耳の中で音が反射する。

 太陽を見た時のように目が眩んで、視界がきかない。


 反射的に地面に丸まっていた明珠は、おそるおそる顔を上げた。まだ目がちかちかしている。


「何、が……?」


 目の前には片膝をついた季白。


 季白を取り囲んでいた男達の姿は無くなっていた。

 代わりに転がっているのは、男達と同じ数の黒い丸太状のもの。


 焼け焦げたた嫌な臭いが周囲に漂う中、やけに能天気な声が頭上から降ってきた。


「確かキミ、愛しの君の従者だったっけ?」


 目をしばたたいて声の主を探す。


 道の上、木々の梢と同じくらいの高さに、見たこともない大きな蟲が浮いていた。


 蟲にまたがって陽気に笑っているのは、三十歳手前とおぼしき、豪奢ごうしゃな服の若い男だ。


 男は場にそぐわぬ、やたらとにこやかな笑顔で続ける。


「余計な手出しだったらゴメンね~♪ ちょーっと困っているように見えたからさ~」


 なんだろう、やたらと男がきらきらして見える。さっき目がくらんだせいだろうか。


「愛しの君はやっぱり離邸かな? じゃ、ワタシは急ぐからまたね~♪」


 どこまでも一方的に告げた男がひらひらと手を振り、蟲に指示を出す。


 何対もの大きな羽を持った蟲が羽ばたく。

 風が渦巻いたかと思うと、梢を揺らし、馬よりも速い速度で、見る間に蟲が遠くなる。


 呆気にとられて蟲を見送っていた明珠は、季白の声にはっと我に返った。


「やれやれ……相変わらずの御方だ。命を救って頂いたことには感謝せねばなりませんが……」


 鈴を取り出し、反応がないのを確認して、季白が呟く。


「術師の気配も無し。まあ、当然ですか」


 一つ吐息した季白は、弾き飛ばされた剣の所まで行き、拾って刃を確かめる。

 びゅっ、と剣を振ると、刃についていた血が、朱の線を描く。


 季白は、抜身の剣をぶら下げたまま、明珠のそばまで戻り、


「――あなたは、何者なのです?」


 静かに問いかけながら、明珠に剣を突きつけた。

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