28 無事に帰ることはできません!? その2
「ほう……?」
小さく呟いた季白が、
明珠は身体がすくんで動けない。身を刺すような殺気にさらされた経験など、一度もないのだ。
どう動けば季白の足手まといにならずにすむかさえ、わからない。
「馬の影にでも
明珠の戸惑いを読んだかのように、季白が振り返りもせず言い放つ。
定規で線を引いたようないつもの声に、ぴしりと打たれたように身体が動く。
生兵法は怪我の元だと、明珠は小刀一本さえ持たされていない。季白の指示通り、邪魔にならぬところで小さくなっているのが、一番よいのだろう。
季白に剣を振るう刺客達の額にも、視蟲がとまっている。
林から飛び出してきた刺客は六人。
低位とはいえ、全員に視蟲を召喚し、さらに刀翅蟲まで操る術師の力量は、かなりのものだ。明珠では、逆立ちしてもかないっこないだろう。
季白に命じられた数匹の盾蟲が、明珠を守るように周囲を飛ぶ。
無言のまま、刺客達が季白に剣を振るう。
午後の光を受けて、ぬめるように刃が輝く。単なる剣のきらめきとは思えない。おそらく、毒が塗られている。
盾蟲の防御をかいくぐって繰り出された刺客の剣を季白が受け止め、返す刀で斬りつける。
護衛としては張宇がいるし、書庫に籠ってばかりの毎日から、てっきり荒事は得意ではないと思い込んでいたが、自ら囮役を買って出るだけあって、季白は剣もかなり使えるらしい。明珠は季白の多才さに舌を巻く。
同時に、何か蟲を呼んで季白の援護をしなければと焦る。
いくら季白が剣に長け、盾蟲の守りがあるとはいえ、一対六では、不利すぎる。しかも、縦横無尽に飛ぶ刀翅蟲が、少しずつ、盾蟲の数を減らしていた。
足手まといにはなりたくない。
だが、今まで荒事とは全く無関係に生きてきた身体は、意志を裏切って震えがとまらない。
季白と刺客の剣が打ち合う固い音が響くたびに、声にならぬ悲鳴がこぼれそうになる。
蟲を喚ぼうにも、声が出ない。舌の根が締めつけられたかのようだ。
生まれて初めて、突き刺さるような殺意に囲まれて、正気をを保っていられるのは、目の前で戦っている季白がいるからだ。
「季白と、英翔に化けた明珠が囮になり、刺客をおびき寄せて生け捕りにする」と、計画を打ち明けられた時、季白はきっぱりと言い切ってくれた。
「明珠。あなたのことは、何があろうとわたしが守ります、ですから心配いりません」と。
宣言通り、季白は守ってくれている。だが、このまま足手まといでいたくはない。
(ダメだ、このままじゃダメだ……っ! 英翔様のお役に立つって、決めたんだから!)
震える右手を握り締め、人差し指をがぶりと噛む。
痛みに、少しだけ冷静さを取り戻す。
目の前で季白に腕を深く斬られた刺客が剣を落とす。
呻き声一つ上げないさまは、刺客の練度を嫌でも感じさせた。
「《
剣を落とした刺客に、反射的に紐のように細い蟲を放つ。縛蟲は、対象に巻きつきその行動を阻害し、捕縛する力を持つ。
が、刺客は素早い身のこなしで縛蟲をかわす。
目標を見失った縛蟲を、鋭い羽音を響かせた刀翅蟲が斬る。
致命傷を負った縛蟲の召喚が解け、明珠は思わず唇を噛みしめた。
召喚している蟲が倒されたからといって、術師に影響はない。だが、自分のせいで罪もない命が奪われるのは心が痛む。
いつの間にか、刀翅蟲は三匹に増えていた。
沢山の蟲が飛んでいる羽音で、耳がわあんと遠くなっている。
だが、自分の心臓が恐ろしいほどの速さで鳴っているのは、うるさいほどわかる。
おそらく林の中に身を潜めているのだろう。術師らしき者の姿は見えない。
金属がぶつかるような固い音が目の前でし、反射的に身がすくむ。季白を狙った刀翅蟲を盾蟲が弾いた音だ。
盾蟲はずいぶん減っている。死んだり、致命傷を負った蟲は、強制的に召喚が解かれてしまう。
あと数度、刀翅蟲の攻撃を防いだら、盾蟲はすべて消えてしまうだろう。
そうなれば、明珠と季白の命も、風前の灯だ。
自分が召喚できる蟲の中に、今の状況を打開できるものはないかと、必死に考えを巡らす。
季白を狙って繰り出された刺客の刃がぬらりと光る。
季白の剣より早く、盾蟲の一匹が刺客の剣に体当たりした。固い音を立てて刃が弾かれる。
季白が包囲から抜けるように刺客を牽制し、明珠のそばへ移動する。
「やはり、術師は前には出てきませんか……」
季白が忌々しそうに呟く。
今回の囮作戦の一番の目的は、禁呪をかけた術師の確保だと聞いている。
「そうだ! 感気蟲を飛ばして探ってみます!」
守り袋を握りしめ、感気蟲を呼び出す。
感気蟲は扱いが難しい。周りを飛ぶ刀翅蟲ではなく、《気》の源である術師本人を探さなくてはいけない。
「《感気蟲、近くで一番濃い気の源を探して!》」
呼びかけると、感気蟲はなぜか地面に下りる。
つられて下を見た明珠は、そこに見たことのない蟲を見た。
冥府の闇が染み出してきたような、陰よりも暗い色。密やかに獲物に忍び寄る蛇のように、いつの間にか明珠の足元に忍び寄り。
よけようとしたが、遅かった。
明珠の足にふれた蟲が、溶けるように消える。
「っ!」
瞬間、意識を失いそうになるほどの怖気が全身を貫いた。
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