27 内緒のおつかいです! その3


「大丈夫ですよ。取って食いやしません。あなたがそう身を固くしていると、緊張が伝わってしまうでしょう?」


 季白の呆れ声とともに、明珠の身体に腕が回される。背中に、季白の胸板と懐にしまわれた固い物の気配を感じた。


「ほら、背筋をしゃんと伸ばしなさい。……昨日の内に、一度くらい馬に乗せておくべきだったかもしれませんね」


 吐息混じりの季白の言葉に、恐縮して身を縮める。その拍子に、着ている外套がいとう頭巾ずきんが、顔の前へ落ちた。


「すみません……。た、たぶん、すぐに慣れると思うので」


「背筋を伸ばす! 姿勢よく!」

「は、はいっ!」


 定規で線を引いたような声にぴしりと言われ、反射的に背筋が伸びる。


 ここは、本邸のそばにある馬小屋だ。

 下男が引き出した立派な馬に季白が身軽にまたがり、明珠も下男の手を借りて何とかまたがったのだが。


 なんせ、馬に乗るなど、初めての経験だ。牛は農家の手伝いで何度か接しているので慣れているが、馬となると、基本、金持ちか運送業者しか飼っていないので、見たことはあっても、乗った経験などない。

 乗る日が来ることすら、想像していなかった。


「では、出発しますよ」

 季白が手綱を操り、馬を進める。


「は、はい!」

 季白に注意された通り、背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見る。


 視界が高く、広い。まるで、違う世界に飛び込んだように、風景が違って見える。


 馬の揺れによろめいた身体を、意外と力強い季白の腕に支えられた。


「緊張を保つのは大事ですが、使いどころを誤らぬように。間違っても落馬なんてさせませんから、その点は安心しなさい」


「ありがとうございます」


 季白が正面にいると、威圧感のある鋭い眼差しと厳しい声に委縮してしまうが、背中から聞く季白の声は、意外に優しい。

 背中越しに感じる頼りになる存在感に、余計なこわばりがほどけていく。


 馬で、蚕家の立派な正門をくぐる。


 明珠が初めて見た正門は、本邸と同様、った装飾があちらこちらに施されていて、大きな都市の市門にも劣らない立派さだ。


「うわあ……」


 下男達の手で、重々しい音を立てて門が開けられた途端、思わず感嘆の声が出る。


 門の先は、林を一直線に貫く太い道になっていた。固く踏みしめられた土敷きの道は、馬車も余裕で通れる幅だ。


 両側の林が鬱蒼うっそうとしているのは裏門側と同じだが、獣道だったあちらとは、道の印象がまったく違う。


(こんな立派な道に続くって知っていたら、初日だって、ちゃんと遠回りしていたかも……。そうしたら、変な男達に追いかけられる目にも遭わなかったはずだし……)


 初日に会った黒衣の男達のことを考え、恐怖にぶるりと身体が震える。


(もしかしたら、この後……)


「どうしましたか?」


 震えが季白に伝わってしまったらしい。季白にいぶかしげに問われ、あわててかぶりを振る。


「何でもないんです。……あ、こちら側も灯籠を片づけているんですね」


 道に両側では、数人の下男が灯籠を外す作業をしている。灯籠を飾るのは乙女の役目だが、片づけるのは誰でもよいことになっている。


「帰ったら、離邸の灯籠も片づけなきゃですね。午前中は片づけている暇がありませんでしたし……」


 言った途端、昨夜の露台での出来事を思い出し顔が熱くなる。


 が、深く吐息した季白は、幸い気づかなかったようだ。


「そうですね。……英翔様のお怒りがしずまっていたら、の話ですが」


「……あご、大丈夫ですか?」


 心配になって問うと、背後で頷く気配がした。


「ええ、大したことはありません。不意を食らって倒れただけですから。しかし……」


「どうかしたんですか?」


「……いいえ。何でもありません。少しは馬に慣れてきたようですね。速度を上げますから、頭巾が取れないように気をつけなさい」


「は、はいっ」

 急いで頭巾を片手で押さえる。


 速度が上がり、身体に当たる風が強くなる。


(こんなことを思っている場合じゃないのはわかっているけど……。馬で走るのって、気持ちいい……)


 道の両側にはずっと、人気のない林が続いている。

 変哲のない道でさえ、風を切って走るのが楽しいのだから、見晴らしのいい風景の中を走ったら、どんなにか楽しいだろう。


(いや、舞い上がっている場合じゃない。気を引き締めないと……)


 緊張感を失わないよう、明珠は唇を噛みしめた。

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