27 内緒のおつかいです! その2


「英翔様!? 何を……」


 こちらを振り向いた細い肩に手を伸ばした瞬間、視点が反転した。背中に衝撃を受け、息が詰まる。


 足を払われたのだと気づいた時には、仰向けに倒れた明珠の上に、英翔が馬乗りになっていた。


「愚か者! 季白にどんな甘言をろうされてだまされた!? どれほどの危険があるかも知らず、無謀にも渦中に飛び込むなど、愚かにもほどがある!」


 怒りを隠そうともせず叩きつけられた声に、身がすくむ。


 目の前にいるのは、まるで、少年の姿をした手負いの虎だ。喉笛を噛み千切られそうな恐怖に、身体が震える。


 だが、恐怖と同時に感じたのは、強い怒りだった。


「騙されてなんていません! 私は自分自身の意志で季白さんの提案に乗りました!」


「何だと!?」


 英翔の顔がさらに険しくなる。明珠を押さえつけた手に力がこもる。

 が、引き下がってなどいられない。


「危険なのは承知しています! その上で、季白さんの提案を受け入れたんです!」

「なっ!? 愚か者っ! 何を考えている!? どれほどの危険かも知らず――」


「知りませんよっ! だって、教えてくださらないじゃないですかっ!」


 かっ、と怒りが胸をく。


「英翔様は禁呪のことしか教えてくださらないじゃないですか! でも、私はもっと知りたいんです! 私だって、英翔様のお役に立ちたいんですから! だから――」


「お前には関わりのないことだ‼」


 叩きつけられた拒絶に、息を飲む。


「わ、わかってますよ……っ。どうせ、私なんて新参者で、事情すら教えてもらえないけ者なんだって……っ」


 しぼり出した声は、自分でも驚くほど、ひび割れていた。

 怒りと羞恥しゅうちに視界が歪む。


(英翔様はひどい。解呪のために、唇を奪うくせに。私はただ、解呪のための『手段』でしかないんだ……)


 刃を突き立てられたように胸が痛い。

 思い切り、唇を噛みしめる。


 不意に英翔の姿が歪んで、自分が泣いているのだと気づく。


 ひるんだように、英翔の手がわずかに緩む。明珠は素早く右手を引き抜いた。


(英翔様はひどい。でも、それでも私は――)


「英翔様のお役に立てることがあるなら、したいんです! 《よ! 眠蟲みんちゅう!》」


 右手を突き出し、叫ぶ。

 呪文もろくに唱えず、守り袋も握り締めなかったが、明珠に応えて、手のひらほどの大きさのに似た《眠蟲みんちゅう》が、英翔の眼前に現れる。

 ふわりと舞った鱗粉りんぷんを、英翔はまともに吸い込んだ。


「明……」

 英翔の瞳の焦点しょうてんが、急激にぼやける。


 どさり、と自分の上に落ちてきた少年の身体を受け止め、起こさないよう、そっと丁寧に床に横たえる。眠蟲が英翔の胸元にちょこんと止まった。


 詰めていた息を吐き出し、そこで初めて、扉が激しく叩かれていたのに気づく。


「英翔様!? 明珠!?」


 あわてて立ち上がってかんぬきを外すと、待ち構えていたように扉が開けられた。


「英翔様はっ!?」


 真っ先に部屋へ飛び込んできたのは季白だ。さっき英翔に殴られたからだろう。あごのところが赤い。


「お、お静かに! す、すみません。思わず、英翔様を《眠蟲》で眠らせてしまいました……」


 すぐさま季白の叱責しっせきが飛んでくるのを覚悟し、身構えて報告したが。


「少年姿のままですか……。よくやりました、明珠」


 ぽん、と肩を軽く叩いて褒められ、面食らう。


「季白さん!? まさか、季白さんまで夢でも見てるんですか!?」


「は? 何を馬鹿なことを言っているんですか。英翔様が元のお姿に戻られていたら、厄介やっかいきわまりなかったですからね。少年姿のまま無力化したことを褒めているんですよ。これで、計画が実行できますからね。英翔様を床に転がした不敬は、今回だけは不問にしましょう」


「やっぱり、行くのか?」


 床に寝かされた英翔を、横抱きに抱き上げた張宇が、固い表情で問う。


「もちろんですよ。これほどの好条件だというのに、行かない理由がありません」


「……で、留守番の俺が、目覚めた英翔様の激昂を、一身に受けるわけか……」


 「ははっ、俺は何発だろうなぁ。剣は外しておいた方が無難かもな……」と、遠い目で乾いた笑いをらす張宇に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「すっ、すみません! あの、眠蟲は、あと一刻くらいは消えないと思うので……。それまでに帰ってきます!」


「ああ、待っている」

 張宇が、優しい笑顔を明珠に向ける。


「いいか。くれぐれも気をつけるんだぞ」

 明珠から季白に移した視線は、真剣そのものだ。


「いいか、季白。お前のことだから、手抜かりはないと思うが……。何があるか読めん。――間違っても、明珠に怪我なんてさせるなよ?」


「もちろんですよ」

 季白が不敵に唇を歪める。


「結果を出せなくては、何のために危険を冒すのか、わかりませんから」


 腕の中の英翔を抱き直した張宇が、口元を緩めた。


「じゃあ、後で三人でこってり怒られようぜ」

「はいっ!」


 思わず笑顔で大きく頷くと、季白と張宇が目を丸くした。


「英翔様のお怒りを受けるっていうのに、その笑顔とは……。やっぱり明珠は大物だな」


 張宇が吹き出す。


「えっ、あの……。「三人そろって」っていうのが、何だか嬉しくて……」


 ようやく、季白と張宇の仲間として、ほんの少しだけ認めてもらえた気がする。

 そんなささいなことが、心躍るほど、嬉しい。


(必ず「おつかい」を成功させて、英翔様のお役に立ってみせる!)


 明珠は拳を握りしめて、気合を入れた。

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