27 内緒のおつかいです! その1


 明珠は扉に耳をつけて、廊下の音を確認する。


 廊下はしんとしていて、話し声は聞こえない。昼食後の今、英翔は張宇と自室にいるはずだ。


 音を立てないよう、そっと扉を押し開け、廊下に出る。


「いいですか? くれぐれも英翔様には見つからないように!」


 口をっぱくして季白に言われた言葉が脳裏をよぎる。


 足音を忍ばせ、英翔の自室の前を通り過ぎようとした瞬間――、


「お前の下手な演技などすぐにわかる! 季白はどこだ!? いったい――」


 不機嫌な少年の声ともに、乱暴に扉が開け放たれる。


 一瞬、英翔の黒曜石の瞳と目が合い、


「明珠っ!?」


 呼びかけられた瞬間、身を翻して駆け出す。


(ぎゃ――っ! なんで通った瞬間に出てくるのよーっ!)

 偶然を呪うが、もう遅い。


「明珠! 待て!」

「英翔様! お待ちください!」


 明珠を追う英翔と、英翔を追う張宇の足音がついてくる。


 後ろを振り向くいとまもなく、廊下を走り、階段を駆け下りる。


 英翔に捕まるわけにはいかない。

 捕まれば、絶対に問い詰められるに違いないし、英翔に問い詰められてごまかせる自信はまったくない。


「待て!」

「待てませんっ! どうして追いかけてくるんですかっ?」


 叫びながら、廊下を走る。

 馬に乗るし、激しく動く可能性もあるからと、季白に渡された男物の服に着替えておいてよかった。おかげで、すこぶる動きやすい。


 明珠達の声が聞こえたのだろう。廊下の先、玄関にいた季白が振り返って目をむく。


「明珠!? 英翔様に気づかれるなとあれほど――!」

「私のせいじゃありません! たまたま見つかっちゃったんです!」


 叫びながら、駆けてきた季白とすれ違う。英翔の説得は、季白がしてくれるだろう。


「季白! 貴様っ!」


 英翔の激昂げっこうした叫びと、ごっ、という固い音に驚いて立ち止まる。


 振り返った明珠の視界に飛び込んできたのは、仰向けに倒れた季白と、馬乗りになった英翔の姿だった。


「季白! 貴様、明珠をどうする気だっ!?」


 英翔が季白の襟元えりもとをつかみ上げる。

 握りしめた拳は、白く骨が浮くほどだ。


「答えろっ! 何を企んでいるっ!?」

 これほど激昂した英翔は初めて見る。


 答えない季白に苛立いらだったのか、英翔が握りしめた拳を振り上げる。

 明珠は、思わず英翔の腕に飛びついていた。


「何をなさってるんですか!? 殴るなんて、そんな……っ」


 ぎんっ、と刃のような視線でにらまれ、思わずひるむ。

 が、唇をみしめ、真っ直ぐ見つめ返す。


 後ろに追いついた張宇は、途方に暮れた顔で立ち尽くしている。ここは明珠がやるしかない。

 冷静になれば、きっと英翔は、季白を殴った自分を悔むだろう。


「英翔様、何か誤解なさっているのではありませんか!? 私と季白さんはただ、近くの村まで食材の買い出しに……」


「男装してか!?」

 英翔の怒声が説明を叩っ斬る。


「それは馬に……」


 やにわに立ち上がった英翔に、手をつかまれる。


「つっ」

 遠慮のない力。


「え、英翔様!?」


 小さな身で、明珠を引きずるように歩く英翔に、ついていかざるをえない。


 手近な書庫の扉を開けた英翔が、突き飛ばすように明珠を中へ入れる。


 たたらを踏んだ明珠が振り返った時には、英翔が乱暴に扉を閉め、かんぬきを下ろしていた。

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