26 恋人なんているんですか? その3


「やはり、くちづけか……?」


 ちらりとこちらを見た英翔に、ぶんぶんとかぶりを振る。


「今日は、いろいろな方法を試してみようっておっしゃったじゃないですか! 諦めるのは、まだ早いです!」


 英翔が長い袖をめくり上げて腕を組む。


「ふむ……。おそらく、水晶玉を持って明珠の《気》を受けるというのが、解呪の条件なんだ。だから、ふれたり、くちづけで戻るんだろうが、くちづけのように、一定以上の《気》を得ないと、解呪の効果がすぐ消えてしまうようだからな。……一日、明珠を抱きしめて、《気》を貯められないか、試す手もあるが……」


「私が料理できなかったら、問答無用で張宇さんの御飯ですよっ!?」


 というか、恥ずかしさに明珠の心臓がもたない。


 間髪入れず言い返すと、明珠の表情を読んだ上で、英翔が苦笑する。


「それは困るな。明珠が作る料理は、娯楽のない離邸の生活の中で、数少ない楽しみだからな」


(ううう、張宇さん、ごめんなさい……)

 ダシにつかった張宇に、心の中で詫びる。


「他に《気》が宿りやすいものというと……血液などか?」


「針でぶすっと刺すくらいなら、ぜんぜん大丈夫です!」

 痛いのは嫌だが、くちづけよりはずっといい。


 だが、嫌そうに幼い顔をしかめたのは英翔だ。


「わたしは嫌だぞ。いくら解呪のためとはいえ、年頃の娘の肌を傷つけるなど……。気が乗らん」


「気が乗る乗らないの問題じゃありませんよ! 小刀で指先を切るくらいでいいんですよね? 傷なら癒蟲で治せますし」


 明珠はあまりくわしくは知らないが、血液には力があるため、術に使われる場合もあるらしい。血を使う術は、基本的に禁呪に多い。

 禁呪の中には、生贄を必要とするようなおぞましい術もあるという。


「治せるからといって、傷つけていい理由にはならん! 明珠、もしこれが順雪ならどうする?」


 真面目な顔で問われ、考えるより先に口を開く。


「順雪を傷つける奴は許しません! あの可愛い順雪に怪我をさせるなんて! 想像しただけで血が凍りつきます!」


 憤然と言い切ると、英翔が「だろう?」と深く頷く。


「わたしも、お前を傷つけるなど、御免だ」


 真摯な声。

 英翔が大切に思ってくれるのが、純粋に嬉しい。

 だが、血液も駄目となると……。


「血液に代わる他のもの……。体液、ですかね?」


 卓の向かいに座る季白が、口を開く。


「体液、ですか……?」

 体液と言われても、すぐにはぴんとこない。


 小首を傾げて呟くと、英翔の視線を感じた。


 黒曜石の瞳が、真っ直ぐに明珠を見つめている。


「英翔様?」


 心の奥底まで見通すような、熱を持った視線に居心地の悪さを感じ、身じろぎすると。


「季白。わたしは犯罪者になる気はないぞ」


 ふいっ、と明珠から視線をそらした英翔が、うなるような低い声を出す。


「問答無用で却下だ」

「しかし英翔さ――」


「くどい! 二度も言わせるな!」


 苛烈な怒気にあてられ、思わずびくりと身体が震える。

 あわてて明珠を振り返った英翔が、困ったように形良い眉を寄せた。


「すまん。お前に怒ったのではない。安心しろ。お前を傷つける気は、まったくない」


「は、はい。ありがとうございま、す……?」


 英翔と季白のやりとりの意味がわからぬ明珠は、ぎこちなく頷くだけだ。


 前髪をかき上げ、深い溜息をついた英翔が、いつもには似合わぬ乱暴な所作で、椅子の背もたれに身体をあずける。


(体液……。よだれ? っていや、よだれを英翔様にどうするつもり? 他に何か……)


「あっ! 涙はどうでしょう、涙!」


 思いつきを口にすると、英翔が背もたれから身を起こした。

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