25 従者たちの密談 その1


「張宇。ちょっといいですか?」


 風呂から上がり、自室に戻ろうとしていた張宇は、一階の廊下で季白に呼び止められた。季白に招かれるまま、書庫の一つに入る。


 季白が呼び入れた書庫は、室内のほとんどが背の高い本棚で占められていた。丁寧に収納されている冊子も巻物も、どれも古色蒼然こしょくそうぜんとした古書ばかりだ。古い書物の匂いがする。


 見かけによらないとよく言われるが、張宇は意外に本好きだ。

 残念ながら、離邸にある本は『蟲語』で書かれているものばかりなので、張宇には一冊も読めないが。


 部屋の隅に書見用に一つだけ置いてある卓に、対面で座るなり、季白が口を開く。


「今日で確信を持ちました。英翔様にかけられている禁呪は、時を戻し、少年の身体に戻しているというような、奇想天外なものではありません」


「ああ。確かにそれは、禁呪をかけられてすぐ、英翔様もおしゃっておられたな」


 半月ほど前、英翔が刺客に襲われた際、いくつか、かすり傷を負った。英翔が少年姿に変わった際にも、傷が残ったままだったことから、導き出した推論だ。


 そもそも、時間を巻き戻すという術が存在するなど、張宇の想像の範囲を超えている。


「それで? それを言うためだけに、俺を呼び止めたわけじゃないんだろう?」


 水を向けると、

「もちろんです」

 と、季白が大きく頷く。


「英翔様についてわかったことを、あなたにも伝えようと思いまして」


 その言葉に、先ほど、外で風呂釜に薪をくべながら壁越しに聞いた、英翔と季白のやりとりを思い出して、苦笑する。


 季白が、「お背中を流させていただきます。ついでに、御身に異常がないか調べさせてください」と、強引に風呂に入り込み、途中、英翔が少年姿に戻ってしまったせいで、季白の調査はかなりしつこくなってしまった。


 最終的には、季白をうっとうしく思った英翔が、


「邪魔だ、鬱陶しい! わたしで出汁だしでもとるつもりか!」


 と季白に湯をぶっかけ、風呂場から蹴り出したのだが。


「今回は、予想外の方向に一気に事態が動き出して、さすがに、わたしもあなたと話して、頭を整理したいですしね」


 珍しく、弱音らしきものを吐く同僚に、張宇も「まったくだ」と同意を返す。

 季白の言う通り、今日は驚愕することばかり起こっている。


「英翔様は何と?」


 三人の中で最も術についての知識があるのは英翔だ。


「英翔様がおっしゃるには、禁呪はやはり、英翔様の《気》を封じるものではないかと。《気》を封じられたために、術が使えなかった頃の姿まで戻ったのではないかというのが、英翔様の推論です」


 術師の才を持つものは、基本的にごく幼い頃から、才能を発揮する。


 蚕家の当主、蚕遼淵がいい典型で、また三歳の頃から蟲を呼び出し、たわむれていたのだという。「栴檀せんだんは双葉よりかんばし」のことわざの通り、長じた現在も、当代一の術師の名をほしいままにしている。


 その点、英翔は特異だった。


 五歳を過ぎる頃まで、英翔は術はおろか、《気》の発現さえ、感じられなかった。

 術を使えるようになったのは、ようやく十二歳を過ぎた頃――だが、今は龍華国で五指に入る実力の持ち主と目されている。


 幼い頃は、術が使えないことが、結果的に英翔の身を守ることになっていたが、刺客に狙われている今、術が使えないことは、文字通り、命取りになりかねない。


「俺は、術に関してはまったくの素人だが……。しかし、英翔様の《気》を封じることなど、可能なのか? あの方の――」


「それについては、英翔様ご自身が、誰より疑問に思ってらっしゃることでしょう。ですが、現実を認めないわけにはいきません。もちろん、英翔様にかけられた禁呪の内容を探ることも急務の一つです。禁呪について知ることができれば、それだけ解呪の可能性が高まりますからね。可能なら、禁呪をかけた術師を生け捕りにするのが、一番、手っ取り早いのですが……」


 思考の海へと沈みかける同僚に、そういえば、こちらも相談したいことがあったのだと、あわてて口を開く。


「季白、食事のことなんだが……」


 昼間、明珠から提案された内容を告げる。


「ただ、今日、毒蟲を仕掛けられたばかりで、英翔様の警護を緩めるのは不安だ。悪いが、明珠には一人で行ってもらうか……。こんな時に、安理あんりがいれば、もう少し取れる手もあるんだがな……」


 今、ここにはいない、もう一人の同僚を思って呟く。


「そうですね。安理がいれば、裏取りなども楽だったでしょうが……。いないものは仕方がありません。彼には別の重要な任務がありますからね。――英翔様のお食事のためです。わたしが、明珠と一緒に行きましょう」


 予想外の申し出に、思わず季白の顔をまじまじと見つめる。


 季白が、我が身より、英翔の安全に砕きすぎるほど心を砕いているのは、そばで見ていて、十二分に感じているが、


「……季白。何を企んでいる?」


 十数年来の友人であり、同僚だ。


 張宇の勘が、季白が単なる職務と厚意で言っているわけではないと、訴えている。

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