24 やり直しなんて要りません!? その2


「できました!」


「では、こちらに来い」


 席を立った英翔についていくと、英翔が出たのは、広々とした露台テラスだった。斜め向かいの明珠の部屋には、露台などもちろんない。


 露台に出て、二階の高さから離邸の周りを見た瞬間、思わず感嘆の声が出た。


「わあっ、綺麗……!」


 離邸の周りの木々には、明珠と張宇が飾った灯籠が数多く吊るされている。


 夜のとばりが下りた今、光蟲が放つ光が、色とりどりのしゃを通して輝く灯籠は、まるで地上に散りばめた宝石のようだ。


「すごい! 綺麗ですねっ、英翔様!」


 嬉しくなって英翔を振り向くと、柔らかな笑顔にぶつかった。


「そうだな。なかなか風情がある。……まさか、今夜を、怒りや苛立ちと無縁に過ごせるとは、思わなかった」


「英翔様?」

 低く呟かれた謎の呟きに小首を傾げると、「何でもない」とごまかされる。


「ほら。短冊を燃やす灯籠はそこだ」


 声音から、あまり突っ込んで聞かないほうがよさそうだと察し、英翔が示したほうへ目を向ける。


 露台に出された小さな卓の上に、豪華な灯籠が一つ、置かれている。

 昨日、明珠が中の光蟲を還した、英翔の部屋の窓に飾ってあった灯籠だ。のぞきこむと、中で蝋燭ろうそくが燃えている。


「お前は、どんな願いごとを書いたんだ?」


「え? 前に英翔様に話したのと同じですよ。「順雪が立派な大人に成長しますように」と、「早く借金を完済できますように」と、「いつまでも元気で働けるように」と、あと、「英翔様がいつも笑顔で過ごせますように」って」


 手を伸ばした英翔に短冊を渡して告げると、短冊に目を走らせた英翔が「ふうん」と頷き、短冊を返す。


「英翔様は、どんなお願いごとを書かれたんですか?」


 「自分の願いは自分で叶える」と言っていた英翔が、いったいどんな願い事を書いたのか。すこぶる気になる。と。


「秘密だ」


 いたずらっぽく笑った英翔が、さっと灯籠の蝋燭に短冊をかざす。


「あっ!」


 声を上げた時にはもう、短冊に炎が燃え移っていた。見る間に短冊が灰になり、薄く、ひとすじの煙が立ち昇る。


「ずるいです! 英翔様は私の短冊を読まれたのに。ご自分のは内緒にするなんて!」


 頬をふくらませて抗議したが、英翔はどこ吹く風だ。


「書くとは言ったが、見せるとは言っておらん」

「そうですけど……」

「ふくれていないで、お前の短冊も燃やすといい」


 一枚一枚、短冊を蝋燭にかざし、燃やす。


 夜気の中にはかなく立ち昇る白く細い煙を見つめながら、胸元の守り袋を握りしめる。


(どうか、お願いごとが叶いますように……)


 煙を見つめながら、真摯しんしな気持ちをこめて、祈る。


「……まじないをしてやろうか?」


 不意に英翔に提案され、隣を振り向く。


 頭半分高い明珠を見上げる英翔の顔は、いたずらっぽい笑みをたたえつつも、どこか真剣だ。


「おまじない、ですか?」


 明珠は聞いたことはないが、何か、蚕家独自の、昇龍の祭に関するおまじないがあるのだろうか。


「ああ。お前の願いが、天へ届くように」


「私だけじゃ駄目ですよ。英翔様のお願いも、ちゃんと届いてもらわないと」


 真剣に返すと、英翔の唇が柔らかな笑みを刻む。


「確かにそうだな。よし、ではそのまま目を閉じろ」


 おごそかに告げられ、言われた通り、目を閉じる。


 ふ、と英翔が笑む気配がした。かと思うと。


 唇に、柔らかなものがふれる。

 頬にふれた小さな手が、大きな手に変わって頬を包み込み。


「っ!?」

 驚いて目を開いた時には、青年の英翔が、間近から明珠を見下ろしていた。


「やはりお前は、無防備にすぎるな」


 苦笑とともに言われた言葉に、怒りと羞恥で、瞬時に頬が熱くなる。


「だますなんてひどいです!」


 頬に添えられた手を振り払い、抗議を込めて秀麗な顔を睨みつけると、英翔は心外だとばかりに返す。


「だましてなどいない。見てみろ」


 示す先を見た明珠は、思わず息を飲んだ。


「何ですか、あれっ!?」


 銀色に輝く細長いものが、うねりながら天へと昇っていく。水の中を泳ぐ蛇のような動きだ。


 大きさはさほど大きくない。子どもの肘から指先までの長さくらいだろう。

 銀色の『蛇』の周りを彩るように揺らめいているのは、白く細かな粉だ。


 あわてて灯籠の中をのぞきこむと、短冊を燃やした後の灰がすっかりなくなっている。


「綺麗……」

 まるで、粉雪の中を舞い昇っているようだ、


「黙っていたのは悪かった。だが、『あれ』を出すには、どうしてもこの姿に戻る必要があってな」


 英翔の説明に思わず頷きかけ――いやいやいやと思い直す。


(ダメなんだってば!  本当は兄妹なのに、こんな……)


 と、不意に英翔が嬉しそうに微笑む。珍しく、感情を素直に出した素直な微笑みに、思わず視線が奪われる。


「それに、やり直しもしたかったからな」


「やり直し、って……?」


 昼間にも、よくわからないことを言っていた気がするが。


「灯籠の幻想的な光景を見ながら露台で、というのなら、まあ、まずまずだろう?」


 ……いったい、何がまずまずなのだろう?


 わけがわからず英翔を見上げると、いたずらっぽい笑みを浮かべた英翔が、距離を詰めてくる。


 英翔の大きな手が顎をつかみ、くいと持ち上げる。

 秀麗な面輪が、ゆっくりと近づいてきた。


「まだ不満か? 足りないというのなら、満足するまで何度でも……」


「たっ、足りないとか満足とか、御飯じゃないんですから、そんなの言われてもわかりませんっ! 失礼します!」


 顔を振って英翔の手から逃れ、身をひるがえして駆け出す。

 廊下に飛び出し、扉を閉める寸前、


「ははっ、御飯とは、明珠らしいたとえだな」


 英翔が笑い転げる声が聞こえたが、明珠はかまわず、大きく音を立てて扉を閉めた。


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