23 袋の中身は何ですか? その1


「明珠! すまなかった!」


「わあっ、何ですか張宇さん!?」


夕食の仕込みが必要だろうと、台所に戻った明珠は、入るなり、張宇にがばっと土下座されて、心底驚いた。


「どうしたんですか!? 立ってください!」


「いや。まずはさっきのことを謝らなくては……」

 顔を伏せたまま、張宇が固い声で告げる。


「さっきのこと? とにかく、お願いですから立ってくださいっ」


 大の男に土下座されるなんて、居心地悪いことこの上ない。張宇の腕を引っ張ると、張宇はようやくのろのろと長身を起こした。


 だが、まだ顔は下を向いたままだ。


「その、さっき明珠に助けを求められた時、思わず英翔様のお望みを優先して、明珠を見捨ててしまって……。婦女子の助けを無視するなんて、最低だったよな」


 ついさっき英翔から逃げて、ひとまずは回避したと思った話題を持ち出されて、うろたえる。


 落ち着いたと思った顔が再び火照ほてる。が、うつむいたまま話す張宇は気づいていない。


「うら若い明珠にとっては、大問題なのに……。くちづ――」


「わ――っ‼」

 言いかけた張宇の口を、思わず手でふさぐ。


 顔を上げた張宇の驚きに見開かれた目を見て、しまったと思うが、もう遅い。

 ぱっと手を放しながら、あわてて言いつくろう。


「あのっ、さっきのことは別に怒ったりなんてしてませんから! 英翔様もさっき謝りに来てくださいましたし! もうほんとに気にしてませんっ! だから張宇さんも……」


 言っているうちに、英翔とのやりとりを思い出して、どんどん顔が――というより全身が火照ってくる。


 ほんと、なんてことをしてくれたんだあの方。


 可愛い弟にほっこりしていた平穏な日々を返してほしい――と思って、いや、蚕家に来てからというもの、平穏な日など、一日たりとも無かったと思い直す。


 きょとんと明珠を見つめていた張宇が、不意に柔らかに微笑む。飾り気のない穏やかないつもの笑顔。


「俺にまで気をつかってくれて……。明珠は優しいんだな」


 ぽんぽんと子どもにするように頭をなでられて、少しだけ落ち着きを取り戻す。


「……うー。張宇さんなら、全然平気なのに……」

 どうして英翔相手だと、あんなにうろたえてしまうのだろう。


「ん?」

 小さな呟きに張宇が首を傾げる。


「いいえっ、何でもありません!」

 ふるふると首を横に振った明珠の前に、


「それで……。びといっては何だが」


 張宇が卓の下から、ごとりと人の頭ほどもある壺を取り出す。

 ふたに張られた紙に覚えがある。霊花山の高級蜂蜜だ。


「すまん、今ある物の中で、明珠が喜びそうな物といえば、これくらいしか思い浮かばなかったんだ……。出かける機会ができたら、ちゃんとした詫びの品を買ってくるから! ひとまず、これを受け取ってくれないか?」


「えっ、だめですよこんな高価なもの! 受け取れません!」


 生真面目な顔で、ずい、と壺を差し出す張宇に、あわててかぶりを振る。


「怒ってないって言ったじゃないですか! だから、詫びの品なんていりません!」


「だが、それでは俺の気が済まん」

 張宇の顔は真剣だ。


「これが気に入らないのなら、絹とか宝石とか、もっと年頃の娘さんが喜びそうな――」


「いいですいいですっ、これで十分です! 甘いもの、大好きですから!」


 ここで受け取っておかねば、後日、とんでもなく高価な品を贈られそうだ。


「ありがたくいただきます。でも……。本当にいいんですか? この蜂蜜、張宇さんの秘蔵のものじゃ……?」


 おずおずと問うと、張宇は笑顔であっさり、


「大丈夫だ。それは予備の予備だから」


「そ、それでしたら遠慮なく……。本当にありがとうございます」

 深く頭を下げて礼を言うと、張宇が穏やかに笑ってかぶりを振る。


「気にしないでくれ。俺が、良心の呵責かしゃくを軽くしたかっただけだから」


(張宇さん、本当にいい方だ……)


 肩の荷が軽くなったと笑う張宇に、つられて笑顔を返す。


「張宇さん、一つ確認したいことがあるんですが……。今日って、夕食も本邸で用意してもらう予定でしたけど……。私が作っていいんですよね?」


 台所へ来た主目的を思い出し、確認すると、張宇の目が険しくなる。


「ああ。今後は本邸からは料理は、一切、受け取らない。本当は食材も自分達で買いに行きたいくらいだが……。蚕家から近くの村へ行くだけでも、四半刻(約半時間)近くかかってしまうからな。食材は本邸から取り寄せるとしても……。明珠、調理の際には十分、気をつけてくれ」


「はいっ。でも、食材の買い出しなら、私が近くの村まで行ってきましょうか? だいたいの場所ならわかりますし、一度、頼みに行って、後は毎日、届けてもらうようにお願いするのはどうでしょうか?」


 初日に荷車に乗せてもらった親子のことを思い出しながら提案すると、張宇が頷く。


「そうだな。野菜に毒を仕込んだりはしにくいだろうが、調味料などは気をつけた方がいいからな。本邸を通すより、直接買う方が、はるかに安全だ」


「今日の夕飯は、昨日、本邸からもらった食材で作りますけど、かいませんか?」


「ああ、量は足りそうか?」


「大丈夫ですよ。乾物もいっぱいありますし、夕食と明日の食事くらいは十分にまかなえます」


 張宇がいつもたっぷり食材を持ってきてくれるので、食糧庫にはまだ十分に食材がある。


 貧乏根性が染みついている明珠は、潤沢じゅんたくにある食材を見るだけで嬉しい。それに、ありあわせの材料で料理するのは、実家にいた頃からの得意技だ。


 そんなことより、気になるのは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る