22 泣きたくなるほど嫌ですか? その2


「……わたしにくちづけされたのが、泣くほど嫌だったのだろう?」


「違います!」

 反射的に叫ぶと、英翔が驚いたように目を見開く。


 思考もまとまらぬまま、ただただ英翔の顔から不安を消したくて、必死に言い募る。


「違います! 嫌で泣いたんじゃありません! 泣いたのは、びっくりして恥ずかしくて混乱して……っ。だって、だって私……」


 説明するうちに、先ほどの羞恥心しゅうちしんがよみがえり、どんどん顔が熱くなる。恥ずかしくて失神しそうだ。


 けれど、英翔を誤解させたままにはしておけない。


「と、とにかく! 自分で自分の感情が抑えきれずに爆発したからで……。英翔様が嫌で泣いたわけじゃありませんっ!」


「……本当、か?」

 震える声で尋ねられ、こくんと頷く。


 不思議だ。あんなに恥ずかしいのに、心の中のどこを探しても、嫌だという気持ちは見つからない。


「ほんとう、です。英翔様が嫌で泣いたわけじゃ……」


「前言撤回は受けつけんぞ」


「え?」


 見返した視線が、英翔の強い瞳にぶつかる。

 心の奥まで見通すような、黒曜石の瞳。


「嫌でないのなら、遠慮はせん」


「わ――っ、待ってくださいっ。待って!」

 近づいてきた薄い胸板を、両手で必死に押し返す。


「嫌じゃないのとこれは別問題です!」

「そうなのか?」


「そうですよ! 英翔様が元のお姿に戻る方法を探しているんでしょう!? 一度、失敗している方法を試す必要はないじゃないですか!」


 近い。顔が近い!

 心臓が壊れそうだ。少年英翔になごんでいた頃の自分を返してほしい。


 精神的にすがるものを探して、胸に下げている守り袋をつかもうとし。


「――あ」


「どうした?」


「あの……。英翔様が元のお姿に戻った時、私、術をかけている最中でしたよね? 術をかける時は、たいてい、この守り袋を握っていて――んっ!」


 抵抗する間もなく、英翔に唇をふさがれる。


「大当たりだ」

 離れた唇から洩れる、深く響く声は。


「英翔様! 私、待ってくださいって言いましたよねっ!?」

 目の前の青年を睨みつける。


「先に、遠慮はせん、と言ったぞ?」

「それとこれとは話が別です!!」


 いたずらっぽく笑う青年に言い返すと、途端に広い肩がしゅんと落ちる。


「……やはり嫌ではないのか?」

 まるでしょげかえった大型犬のような姿に、


「ああもうっ、その顔はずるいです!」

 思わず言葉がついて出る。


「そんな顔されたら、駄目って言えないじゃないですか!! 嫌じゃないんです! でも……っ、恥ずかしいからやめてください! 私の心臓、壊す気ですか!?」


「それは困るな」

 真剣な顔で頷いた英翔に、「でしょう!?」とたたみかける。


「ですから――」

「心臓が壊れぬように、慣れてもらわねばな」


「ちょっ……!」

 再び降りてきた英翔の顔を、必死で押し留める。


「そういう解決案を求めていたわけじゃありませんっ!」


 いつの間にやら、英翔の腕の中に閉じ込められている。


 だめだ。この体勢は危険な予感がひしひしとする。


 顔が熱い。心臓が割れ鐘のように鳴っている。

 これは、本当に心臓が壊れるかもしれない。


「ほんと、お許しください。英翔様は慣れてらっしゃるかもしれませんけど、私は……っ」


 最後まで言えず、唇を噛みしめる。


 どうしてこんな恥ずかしい告白をしなければならないのか。


 唇を噛みしめ、こぼれそうになる涙をたえていると、英翔の大きな手が頬にふれる。

 まるで壊れ物を扱うような優しい手つき。


「……もしかして、初めてだったのか?」


 遠慮がちな問いかけに、こくんと頷くと。


 突然、息が止まるほど強く抱きしめられた。


「英翔様!?」

「……殴っていいぞ」

「へっ?」


 予想だにしないことを言われ、すっとんきょうな声が出る。


「殴りませんよ! どうして殴る必要があるんですか?」


 英翔へ首を巡らせた明珠は、そこにとろけるような笑みを見た。


「身勝手と知りつつも、お前の唇を初めて奪ったのがわたしであることに、喜びを抑えられない」


 英翔の手が優しく髪をすべり、頬にふれ、そっと顎を持ち上げる。


「やり直すぞ」

「や、やり直すって……? だめですちょっと待ってきゃ――っ!」


 あわててあごにかけられた英翔の手を振り払う。


「やり直しって何ですか!? そんなのりませんっ!」


「だが、わたしは納得がいかん」

 英翔は大真面目に答える。


 明珠は何のことだかわからない。が、本能がこのままここにいては危険だと、警鐘を鳴らしている。


「解呪の方法がわかったんですから、もうよろしいですよね!? 失礼します!」


 英翔の返事も待たず、明珠は脱兎のごとく逃げ出した。

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