21 特別手当は要りません!? その2


 扉がぱたりと閉まった瞬間。


「さあ、これでいいだろう?」

「きゃ……っ」


 不意を突いた英翔に、床に押し倒される。


「英翔様っ!? 待っ――んんっ!」


 身を起こす間もなく、英翔の柔らかな唇が、再び明珠の唇をふさぐ。


 恥ずかしさに、身体中の血が沸騰ふっとうしそうだ。頭が真っ白になって、何も考えられない。


「く、ぅ」


 明らかに、さっきよりも長い間、くちづけていた英翔が、低くうめいて身を離す。

 少年らしい幼い曲線を描く頬が、うっすらと紅い。


「なんなんだ、お前のくちづけの甘さは……っ。わたしを酔わせる気か……!?」


「? 何をおっしゃって……? っていうか、戻ってませんよ。やっぱり、推測が間違いじゃ……」


 身を起こすと、そそくさと距離をとりながら、じとっ、と英翔をにらむ。

 二度もくちづけをされて、「やっぱり間違いでした」では、情けなさすぎる。


「……戻った時は、二度とも明珠の方からふれてきたからな……。もしかしたら、《気》の流れも条件の一つかもしれん。後は、術をかけながらが条件という可能性も……。しかし、術に関しては今朝、失敗したしな……」


 床にあぐらをかき、腕組みをして呟いていた英翔が、明珠を見る。


「よし。次は明珠からくちづけしてくれ」

「でっ、できませんよそんなことっ!」


 ぶんぶんぶんぶんっ!

 とんでもないと首を振る。


「……わたしがこんなに頼んでもか?」


「っ!? そこで上目遣いのおねだりは卑怯だと思いますっ!」


 どこまでも愛らしく、上目遣いで見上げてくる英翔に、ぐらりと大きく心が揺れるが……。

 駄目だ、ここで流されるわけにはいかない! 


 と、英翔が口元に不敵な笑みを浮かべる。


「明珠、お前は約束を守らない奴をどう思う?」


「どう思うって……。約束を守るのは、人間として最低限の礼儀の一つだと思いますけど……」


「うむ。明珠なら、そう答えると思っていた」

「あの……?」


 にこやかに――この上もなく楽しそうに、英翔がいたずらっ子の笑みを見せる。


「言っただろう? 「何でもする」と」


「っ!? 言いました! 確かに言いました、けど……っ」

「けど? なんだ?」


 にこにこと英翔が続きをうながす。


(駄目だ……。これ、絶対に英翔様に勝てない……)


 うかつなことを約束した自分を恨むしかないが、約束は約束だ。


 そもそも、良心の呵責かしゃくもなく約束を破れる性格だったら、自分が作ったわけでもない父親の借金のために、蚕家にまで奉公しに来たりなんて、しない。


 何より、「何でもする」と生半可な気持ちで英翔に約束したわけではない。英翔の役に立ちたい気持ちは本心だ。


「わかりました! 一度約束したことです、反故ほごになんてしません! で、でも……」


 だめだ。英翔の口元に視線を向けるだけで、恥ずかしさのあまり、失神しそうだ。それなのに。


(く、口になんて……。できるわけないじゃないの――っ!)


「ほ、頬にじゃ駄目でしょうか……?」


 おずおずと、代替案を申し出る。


「ふむ……」

 英翔が腕を組んで考え込む。


「確かに、一度目はくちづけしたわけではないからな。さまざまな可能性を探るのは悪いことではない」


 ん、と英翔が横を向き、白磁はくじのようにすべらかな頬が目の前にくる。


(がんばれ私! 約束はちゃんと守る大人なんだから……っ)


 ぎゅっ、と固く目をつむり、くちづけ……というより、唇を突き出して英翔の頬に突撃する。


 ちゅっ。


「ど、どうですかっ!?」

 目を開けた明珠の前にいたのは。


「戻ってないぞ」


「あああああ~~っ」

 少年のままの英翔の姿に、がくりと肩を落とす。


「では、次は口に、だな」


「英翔様!? なんでそんなに楽しそうなんですか!? もしかして、私のこと、からかって楽しんでませんか!?」


「からかう? わたしが元の姿に戻りたいと願っている気持ちは、本物だぞ」


 真っ直ぐに、真摯しんしな眼差しで見つめられ、明珠は疑った自分を恥じる。


「そうですよね。一刻も早く禁呪を解きたいですよね。すみません……」


「いや、そこまで落ち込むな」

 手を伸ばし、優しく髪を撫でてくれた英翔が、口元をゆるめる。


役得やくとくを楽しんでいるのは、否定せん」

「英翔様!?」


 ひどい。こんなに困っているのに、それを楽しんでいるなんてひどすぎる。


 目が潤む。半泣きになって目の前に座る英翔を睨みつけると、英翔は困ったように苦笑した。


「すまん。からかいすぎたな。だが、万に一つでも解呪の可能性があるなら、あらゆる方法を試してみたいんだ。頼む。ほんの一瞬でかまわん。だから……」


「わ、わかりました! わかりましたよ! だから、そんな、捨てられた子犬みたいな目でこっち見ないでください!」


「ありがとう、明珠」


(あーもうっ! そんな可愛い笑顔はずるいです~っ!)


「見られていては、やりにくいだろう?」


 明珠の目の前に、ちょこんと行儀よく正座して、英翔が目を閉じる。


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