21 特別手当は要りません!? その1


「大丈夫です」

 身を起こしながら微笑みかける。


「でも……。いったい私は何をすればいいんですか? どうやったら英翔様の禁呪が解けるかなんて、私にはさっぱり……」


「大丈夫だ。それについては、一つ推測を立てている」

「すごいですね! それで、推測っていうのは――」


 不意に、英翔の顔がぐいと近づく。

 かと思うと。


「!?」


 突然、唇をふさがれる。


「なっ!? な――っ!?」


 思わず英翔を突き飛ばし、後ずさる。がつんと肩に椅子が当たり、大きな音を立てるが、他の衝撃が大きすぎて、痛みなど感じていられない。


「……解呪の《気》がわたしに流れ込むことで、一時的に禁呪が緩和かんわされるかと思ったんだが……。戻らんな」


 少年のままの英翔が、至極しごく、生真面目な表情で考え込む。


「だが、この推測で大きく誤っていないはずだ。なんせ、これほど……。時間が短すぎたのか?」


 呟いた英翔が、明珠へと身を乗り出す。


「きゃ―――っ‼」

 明珠は反射的に叫んで、肉づきの薄い胸を突き飛ばした。


「なななななっ、何なさるんですか急にっ!? く、くくく……」


 混乱のあまり、言葉がうまく出てこない。対する英翔は、冷静そのものだ。


「何とは……。元の姿に戻る方法を確定させるための実験だ」


「実験!? 実験で、く、くく……をする必要が、どこにあるんですか!?」


「考えれば、すぐ推測できるだろう?」

 まるで、出来の悪い生徒をさとすように、英翔が説明する。


「一度目も二度目も、禁呪が解けたきっかけは、お前との接触だった。おそらく、解呪の特性を持つお前と、一定の条件を満たしてふれた時に、解呪の《気》がわたしにかけられた禁呪を緩和するのだと考えられる。術師の《気》が一番出入りしやすい場所が口だということは、お前も知っているだろう?」


「知って、ます……」


 蟲を召喚する時、術師が蟲語を唱えるのも、口から吐く《気》に蟲語を合わせることで、現世と異界との境を越える力を蟲に与えるのだ。それゆえに、術師が持つ《気》の性質や量は、そのまま術師の力量に直結する。


「で、でも……」

「禁呪を解くためなのだ。頼む」


 真っ直ぐな眼差まなざしの英翔に真剣に頼まれ、思わず頷きそうになる。が。


「で、でも、張宇さん達の前でする必要はありませんよねっ!?」


 助けを求めて、張宇と季白を仰ぎ見る。

 二人とも、さっきから凍りついたように身動き一つしない。


 明珠と目が合った途端、張宇は気まずそうに咳払いして視線を明後日の方向へらせたが、季白は彫像のように固まったままだ。


「張宇さん! 助けてください! 英翔様を説得してくださいよ! こんなのっ、こんなの……っ」


 恥ずかしさのあまり、声が潤む。ぎょっと目を見開いて、張宇があわてたように腰を浮かせた。


「えーその英翔様……。あんまり性急すぎると、明珠に泣かれますよ?」


 こくこくこくこくこくっ。

 張宇の言葉に、「そうだそうだ!」と何度も頷く。


「む……。それは困るな」


 眉を寄せた英翔に、わずかに安堵あんどしたのもつかの間。


「えと、とりあえず俺は、席を外しますので……」


「ちょっ!? 張宇さんっ、張宇さーんっ! 私を見捨てていくんですか!?」


 すがりつく明珠の声に、張宇は心底困った様子で眉を寄せる。


「すまん明珠。助けられるものなら助けてやりたいが……。一度、こうと決められた英翔様は、誰が何と忠言しても無駄なんだ。悪いが、諦めれくれ」


「諦めてくれって……。諦められませんよっ! だって、だって私……」


 指先で、自分の唇を押さえる。燃えているように熱い唇。


 初めてだったのだ。くちづけなんて。

 それを、それを……っ!


「季白さん! いつも英翔様の無茶を止めてくださるのは季白さんでしょう!? もっと他の方法を考えるようにって、英翔様の暴走を止めてくださいっ‼」


 こうなったらもう、頼れるのは冷徹大魔神・季白しかいない。

 季白に借りを作るなんて、恐ろしすぎて震えが止まらないが、背に腹は代えられない。


「季白さん! 季白さん!? お願いだから現実に返ってきて――っ!」


「おい季白」

「はっ!」


 明珠の声は無視だったのに、英翔が声をかけた途端、季白の目に焦点しょうてんが戻る。


「お前達がいると邪魔だ。さっさと部屋から出ていけ」

「駄目です行かないでくださいっ!」


 張宇と季白に追いすがろうとした手を、はっしと英翔に掴まれる。


 楽しそうに笑って、英翔が一言。


「なんだ。明珠は見られたい性質たちなのか?」


「何わけのわかんないことおっしゃってるんですか!? いやーっ、行かないでください季白さーん‼」


「――明珠」

「はいっ!」


 ゆらり、と幽鬼のように立ち上がった季白に、地の底をうような声で名を呼ばれ、反射的に背筋を伸ばす。


「あなたのような小娘が、英翔様の御寵愛ごちょうあいをいただけるなど……。己がどれほど幸運な立場か、まったく理解していないようですね!? わたしが英翔様にくちづけを求められたら、感涙にむせび泣き、どうぞお願いいたしますと、こちらから地に伏して拝みたてまつりますよ!?」


「ぶはっ!」

「いや待て季白。わたしは天地がひっくり返ろうと、お前にくちづけなどせんぞ」


 拳を握りしめ、わなわなと震える季白は、敬愛する主のつっこみも耳に入ってないようだ。


「泣き言は認めません! 英翔様のお望みに応えるのが侍女たるあなたの仕事でしょう!? 特別手当だろうと何だろうと出してやりますから、とっとと英翔様のご要望に応えなさい!」


「とっ、特別手当なんていりませんっ! だから……っ」


 いつもなら心惹かれる『特別手当』という単語に、嫌悪感を覚えたのは初めてだ。


(だって、く、くくくちづけで『特別手当』って、何だかそれって……)


 明珠の倫理観が、それは駄目だと叫んでいる。


「季白、張宇、さっさと出ていけ。それとも、蹴り出されたいか?」


 英翔が幼い顔に苛立ちを隠さず、従者二人を睨みつける。


「はっ、申し訳ありません。すぐに」

「……すまん、明珠……」


「あああああ~~」

 願いもむなしく、季白と張宇が出て行く。

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