20 降ってきた手がかりですか? その3


「すまん! 刺客と疑われて嫌な思いをさせたか? 正体を黙っていたことを怒っているのか?」


 ぽたぽたと、明珠の両手を包む青年英翔の大きな手にしずくが落ちる。

 それを見て初めて、自分が泣いているのだと気づく。


「ちが……違うんです。これは、別に怒ってるわけじゃ……」


「では、なぜ泣いている? 理由はわからぬが、わたしが何かお前を傷つけたのだろう?」


 英翔の黒曜石の瞳に真っ直ぐ見つめられ、激しくかぶりを振った。


 確かに、明珠が傷ついたのは、英翔の言動のせいだが、そもそもの原因は明珠が勝手な期待を抱いたせいだ。


 だから、決して英翔のせいではない。


「英翔様。駄目ですよ。床に膝をつかれては、張宇さんの着物が汚れてしまいます。本当に、英翔様のせいではないんです。うかがったお話が、今まで私が知っていた世界と違い過ぎて、それで、びっくりしてしまって……」


 そうだ。禁呪は解けたものの、英翔を殺そうとした刺客は捕まっていないし、食事に毒蟲が仕込まれていたとういうことは、英翔はまだ命を狙われているという証だ。哀しんでいる暇などない。


 弟でなかったとはいえ、英翔が明珠の腹違いの兄弟であることは変わらないのだから。

 英翔の役に立ちたい明珠の気持ちは、変わらない。


「英翔様――」

 これからもお側でお仕えさせてください、と告げようとした瞬間。


「う……っ」

 英翔が低く呻いてうつむく。


「英翔様!?」


 陽炎かげろうのように英翔の輪郭りんかくが揺らめいたかと思うと。


 明珠の目の前にいたのは、見知った少年姿の英翔だった。


「……もう、幼い姿に戻ってしまったのか……」

 英翔が残念そうに呟く。


「えっ!? 禁呪は解けたんじゃ……!?」


 わけがわからず、目を白黒させる明珠に、少年英翔が、苛立いらだちとあきらめの入り混じった息を吐く。


「命を奪おうとするほどの……。わたしの本来の姿を歪め、術を封じるほどの強力な禁呪だぞ。そうそう簡単に解ける代物しろものではないと、承知している。元の姿に戻れることや、元の姿の間なら、術を使えるとわかっただけで、大きな前進だ」


 英翔が明珠の手を握る両手に力を込める。青年の時とは対照的な小さな手。


 身体が縮んだせいで、張宇の服が肩からずれ落ちそうになっている。だが、それでも英翔のりんとした気品は少しもそこなわれていない。


「頼む、明珠。わたしはどうしても元に戻りたい。戻らなければならないんだ。そのために、お前の力が必要だ。望みがあるなら、元に戻れたあかつきには、わたしの力が及ぶ限り、何だって叶えよう。だから……。頼む。協力してくれないか?」


 ひざまずいたまま、英翔が頭を下げる。季白と張宇がどよめく。


 だが、明珠の耳にはろくに入っていなかった。


 英翔の手が、かすかに震えている。

 いつも自信にあふれていて、怖いものなど一つもなさそうな英翔の手が、不安と緊張に。


 元の姿に戻るためならば、明珠のような侍女に頭を下げることすらいとわないのだと、理解する。元の姿に戻ることが、英翔の一番の望みなのだ。


 誰が、偽りのままの無力な姿でいたいだろう。この先、禁呪がどんな悪影響を及ぼすかも、まったくわからないのだ。


 そっと英翔の手の中から右手を引き抜くと、英翔の顔が傷ついたように凍りつく。


 誤解させたのだと気づいて、あわてて椅子を後ろに押すと、床に膝をつき、英翔と視線を合わせる。


「もちろん、協力いたします! 私にできることでしたら、何でもさせてください! 前に言ったではないですか、私は英翔様のためでしたら、何でもいたします、と!」


「明珠!」

「わっ! ちょ……っ」


 突然、英翔に飛びつかれて、体勢を崩す。こらえようとしたが、駄目だった。

 英翔もろとも、床に倒れる。


「すまんっ。喜びのあまり、つい……。頭を打ったりしていないか?」


 目の前に、少年英翔の整った面輪おもわがある。


 嬉しくてたまらないという幼い笑顔に、明珠の心もはずみ出すのを感じる。

 やっぱり英翔は笑っているのが一番だ。見ているだけで嬉しくなる。

 

 青年英翔の時は、顔が近くに来るだけで心臓に悪いが、幼い英翔だと、むしろ嬉しくて、ほっこりした気持ちになるから不思議だ。

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