19 今日のお昼はごちそうです! その3


「信じますから! だからお願いですっ、とにかく服を着てください~っ‼」


 叫んで、目を固くつむって顔を背ける。

 本当は押し返したいのだが、素肌にふれるなんて恥ずかしくて無理だ。


 楽しそうに喉を鳴らした英翔が、身を離す気配がする。


 英翔の重みが消えた瞬間、明珠はそそくさと起き上がって、体勢を整えた。もう一度つかまったら、危険な予感がひしひしとする。


「季白。お前の服でいい。着替えを持ってこい」


 英翔が呆然と立ち尽くしている季白に声をかける。

 弾かれたように季白が膝をついてこうべを垂れる。


「おめでとうございます! 元のお姿に戻られたのですね! まことに喜ばしい限りでございます‼」


 感極まった季白の声は震えている。


 明珠は、このまま季白が男泣きに泣くのではないかと、本気で疑った。そんな季白、想像の埒外らちがいすぎて、怖すぎる。


「お身体に不調はございませんか!? 毒を受けられたのです、一応、お身体を診せていただいた方が……っ」


 過保護っぷりを発揮する季白に、英翔が鬱陶うっとうしそうな声を上げる。


「急激に戻ったんだ。違和感があるのは当然だろう。もう少し落ち着いて、不調があれば診せる。まずは、明珠に説明してやるのが先だろう」


 名前を出されて、明珠は英翔を見ないようにしながら、ぶんぶんと首を横に振った。


「いえいえいえっ、英翔様のお身体が一番大事ですから! 私への説明なんて、後回しでけっこうです! 私だって、しなければいけないことがありますし」


 おずおずと、豪華な料理が乗ったままの卓を指さす。


「あの、片づけようと思うんですけど、残ってるお料理ってやっぱり……このまま、捨てちゃうんでしょうか……?」


「食べたいのか?」


「えっ、いえその、もったいないなあって思って……。もちろん、大丈夫そうなところをつまみ食いする気なんて、全然っ、ないですけど!」


 まるで明珠の心を読んだかのような英翔に問われ、あわてて言いつくろう。


「なんと意地汚い。きっとあなたの死因は、食べ物を喉に詰まらせての窒息死か、食中毒ですね。餓死だけはありえません」


「ひどっ! 季白さん、それはひどくないですか!? 季白さんにはわからないでしょうけど、貧乏人にとっては、食べ物を捨てるのは我が身が斬られるようにつらいんですよ!?」


 反論するうちに、犯人への怒りがこみあがり、拳を握りしめる。


「しかも、しかも……っ。こんなに豪華な料理を無駄にするなんてっ! 私、犯人を絶対許しませんっ!」


 憤然ふんぜんと言い切ると、英翔が苦笑する。


「明珠。言いたいことはわかるが、その物言いだと、わたしより料理の方が大事に聞こえるぞ?」


「あっ、すみません! 違うんです! 決してそんな意味では……っ」


 あわててかぶりを振り、英翔を振り向きかけて――今の姿を思い出し、明後日あさっての方向に視線をやる。


「わかっている。冗談だ」

「ひゃっ」


 横から伸ばされた英翔の長い指が頬にふれ、くすぐったさに声が出る。


「だが、悔しいな」


「そうですよねっ。英翔様もちゃんとごちそうを食べたかったですよね!」

 大真面目に言ったのに、なぜか苦笑が返ってくる。


「? 私、何か変なことを言いましたか?」

「いや……」


「いいんですよ、明珠。あなたはそれくらいでいいんです」

「!? 季白さんに認められた!? ど、どうしたんですか季白さん!? まさか、季白さんも毒を……!?」


「何ですか、その失礼極まりない反応は!? 一瞬でもあなたを誉めてやろうと思ったわたしが馬鹿でした! さあ、無駄口を叩いている暇があったら、さっさと料理を始末しなさい!」


 まあ落ち着け、と季白をなだめた英翔が、生真面目な声で告げる。


「しかし、実際のところ、何かあってからでは遅いからな。仕掛けられた毒蟲が一匹だけとも限らん。もったいなくとも、料理は捨てるしかないだろう」


「そうですよね……」


 わかっていたとはいえ、はっきり告げられると、思わず哀しい眼差まなざしで卓に並ぶ料理を見てしまう。と、英翔の大きな手に頭をなでられた。


「そんな哀しそうな顔をするな。お前が欲しがるのなら、張宇の蜂蜜だろうと、卓にりきらぬ馳走ちそうだろうと、後で何でも用意してやる」


「英翔様。人の物を勝手にあげる約束をなさらないでください。……明珠になら、別に壺の一つや二つ、あげてもかまいませんが」


 衣擦きぬずれの音に振り返ると、席を外していた張宇が、英翔に着物を羽織りかけたところだった。


 羽織っただけのだらしない格好だが、英翔だと、やけにいきに見えるから不思議だ。ともあれ、はだけていた胸元が隠れ、安心する。


「申し訳ありません。俺の着物ですが」


「かまわん。お前とも身長はさほど変わらんしな。丈の合わぬ服を着ているより、ずっと楽だ」


 張宇の着物を羽織って立ち上がった英翔に、張宇が固い表情で尋ねる。


「ところで英翔様。本邸には、どのように報告いたしましょうか?」

「ああ」


 薄く笑みを刻んだ英翔は、怜悧れいりな刃のようだ。明珠は思わず緊張に息を飲む。


「「たいへん美味な馳走であった」と。器を返すときに伝えてやれ。それだけでいい」


「は、かしこまりました」

 張宇が深々と一礼する。


 英翔が、ふと床の一点に視線を落とす。ちょうど、明珠が毒蟲を吐き出した場所だ。


 視線をさまよわせた英翔が、壁を飾る壁掛けに近寄る。壺に盛った何種類もの花々が刺繍ししゅうされたもので、殺風景な離邸に珍しく彩りを添えている装飾品の一つだ。


 壁掛けの下にいくつもつけられている鈴の一つを、英翔が引きちぎる。


 何をするのかと見守っていると、鈴を持った英翔が、毒蟲を吐き出したところに屈んで蟲語を唱える。


「《大いなる眷属に連なる者よ、感気蟲かんきちゅうよ。我に仇なす者が近づいた時は、その身をもって我に告げよ》」


 承諾したと言わんばかりに、鈴が一度、りぃんと澄んだ音を立てる。


 明珠も、母が使っていたのを見たことがある術だ。相手の術師の気を感気蟲に覚えさせ、術師本人や、術師が召喚した蟲の接近を知らせる術だ。

 特定の術師から身を守るのに有用な術だが、感気蟲はなかなか扱いが難しい。


(あれ? でも前に、英翔様は術が使えないって……?)


「ひとまず着替えてくる。張宇、お前は明珠の片づけを手伝ってやれ」


 季白を従えて食堂を出ようとした英翔が、戸口のところで「ああ、それと」と振り返る。


「明珠がつまみ食いをしないよう、ちゃんと見張れよ?」

「英翔様ったら! つまみ食いなんてしません!」


 言い返した明珠に、軽やかな笑い声を残して、英翔が去っていく。

 姿は変わっても、やはり中身は英翔だと、明珠は妙に納得し、深く安堵した。

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