17 頼み事は何ですか? その3
離邸に入ってすぐ、慌ただしく歩く英翔と張宇の足音に気づいたのか、季白が書庫から顔を出す。
「英翔様? 張宇と身体を動かすとおっしゃっていたのでは……? 今度は、何が起こったのです!?」
張宇の腕に抱かれた明珠を見て、季白が目を見開く。
季白の詰問が始まるより早く、告げる。
「明珠に頼んで、明珠がここへ来た日にことを再現してみた。――が、失敗した」
声に苛立ちが混じるのを抑えられない。
「明珠が気を失ったのは前回と同じだが……わたしは、変わらぬままだ」
張宇を追って歩きながら話しているうちに、二階の明珠の部屋に着く。
両手がふさがっている張宇の代わりに、走って前へ出て、扉を開ける。
初日を除くと、明珠の部屋に入るのは初めてだ。
年頃の女性の部屋に、男三人で踏み込むことに若干のためらいを感じるが、明珠の部屋は、驚くほど物が少なかった。
もともと明珠の荷物が少ないのは知っているし、蚕家へ来てから買い物に出たこともないのだから、物がないのは当然だろう。
いつでも明るく元気な性格の明珠の印象にはそぐわない殺風景な部屋に、なぜか寂しさを覚える。が、今は感傷にひたっている場合ではない。
寝台の掛け布団をめくると、張宇がそっと明珠を下ろそうとする。
「ああ、靴を脱がさないと、布団を汚してしまうな」
英翔は気にしないが、明珠はきっと気にするだろう。お仕着せも汚さないようにたすき掛けしているくらいだ。
着物の裾から無防備にのぞく足から、
あわてて裾の乱れを直して、足を隠す。
若い女性が素足を見せるのは、家族やごく親しい者にだけだ。不可抗力とはいえ、申し訳ない気持ちになる。
(……起きたら、また
怒られてもいい。こんな風に、苦しげに眉根を寄せて気を失っている姿を見るよりは、ずっといい。
寝台に横たえられた明珠に布団をかけてやり、乱れた髪を指先ですく。
そのまま、柔らかな頬へと指先をすべらせ、首筋にふれる。血の気の引いた肌はひやりと冷たいが、指先に確かな脈拍を感じ、ほっとする。
「英翔様。明珠でしたらわたくしが診ます。むやみにお手をふれてはいけません」
顔をしかめた季白に、肩を引かれて離される。
「無理に起こすな。前と同じなら、少ししたら目を覚ますだろう。起きた明珠が、まだ調子が悪いと言ったら診てやれ」
明珠に伸ばした季白の手を、掴んで押しとどめる。
「気を失っている間に診たら、後で破廉恥と
「そんな恩知らずなことを言ったら、
季白が青筋を立てる。口をはさんだのは張宇だ。
「目が覚めるまでついていたほうがいいのでしたら、俺がついていましょうか?」
ふだんより遠慮がちに発された申し出に頷く。
「そうだな。お前もつきあえ。わたし一人では、季白がうるさいだろうからな」
「も!? 英翔様がついている必要はございません! 張宇だけで十分です!」
「明珠をこんな目に遭わせたのはわたしだ。そのわたしが放っておくわけにはいくまい。もう決めた」
きっぱりと言い切り、卓の近くにある椅子を、自ら寝台のそばに引き、どかっと座る。
「英翔様!」
責める響きの季白の呼びかけは、もちろん無視だ。
「……季白、諦めろ。こうなった英翔様は、てこでも動かん」
諦め混じりに苦笑して、張宇も隣に椅子を運んでくる。
「そんなに気になるなら、お前もいるか?」
「冗談はおよしなさい! 小娘の顔を見ている暇があったら、資料を調べたり、もっと有意義に時間を使いますよ! 資料に当たる時間はいくらあっても足りないのですからね! 英翔様も、ここでいらっしゃるんでしたら、資料をお持ちいたしますから! 張宇! 英翔様をしっかり見張るのですよっ!」
季白が
「……あいつ、ついに「見張る」と言ったぞ」
「ぶっ、くくくくく……。最近の英翔様は、季白の忠言を無視すること、はなはだしいですからね。自覚は、おありでしょう?」
腹を抱えて笑う張宇が、視線に、わずかに非難を込める。
「自覚はある。が、聞き入れる気はない。季白がわたしの身を案じる気持ちはわかるが、今、守りに入って何になる? このまま、押し潰されてゆくだけではないか」
思わず握りしめた手のひらに、爪が食い込む。
「そんなに強く握られては、お手が……」
張宇が
「くそっ! 今度こそと期待していたものを……っ」
期待が大きかっただけに、失望も激しい。
「くそ……っ!」
どこにも向けられない怒りを込めて、英翔は小さな拳を己の膝に振り下ろした。
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