17 頼み事は何ですか? その2


 明珠が連れていかれた先は、御神木だった。


「あ、張宇さん」

 御神木の木陰に、張宇が佇んでいる。


「その様子だと、説得できたようですね」

 手をつないで歩いてくる明珠と英翔を見て、張宇が穏やかに微笑む。


「ああ、「何でも」してくれるそうだ」


 人の悪い笑みを浮かべ、英翔が答える。


「あの、英翔様? 何でもすると言った気持ちに嘘偽うそいつわりはありませんけど……。でも、そろそろ、何をしたらいいか、教えてもらえませんか? あ、もしかして、昇龍の祭り関係で、蚕家特有の儀式でもあるんですか? 『昇龍の儀』みたいな?」


「違う」

 かぶりを振った英翔が、明珠を真っ直ぐに見つめて口を開く。


「お前が、ここへ来た日に、神木から落ちた時の様子を、再現したいんだ」


「ひいっ!? 正気ですか!? 絹の着物を汚すなんてこと、できませんっ!」


「落ち着け! 違う。板蟲ばんちゅうを召喚した上で、神木にふれてほしいんだ!」


 英翔が声を荒げる。


「え……? それって、強制的に板蟲が解呪されてしまいますけど……?」


「それでいい。それに、高く浮く必要はない。二、三寸、浮くだけでいいんだ。頼めるか?」


 真剣な英翔の眼差しに、反射的にこくりと頷く。


 正直、御神木にふれるのは、気の進まないことこの上ないが、英翔の頼みを断るなど、論外だ。


 英翔の願いの理由は何一つわからなくとも、英翔が望むなら、叶えてみせよう。板蟲を召喚するくらい、大した手間でもない。


「《大いなる眷属けんぞくよ。その姿を我が前に示したまえ。板蟲よ》」


 守り袋には触れず、蟲語を唱えて、板蟲を召喚する。

 一尺くらいの高さにふよふよと浮かぶ板蟲の上に立ち、英翔を振り向く。


 英翔は、息を詰めて真剣な眼差しで明珠を見つめている。

 鬼気ききすら感じさせる真摯しんしなさまに、明珠も思わずつばを飲みこんだ。


「いきますよ?」

 一声かけ、心のの中で「えいやっ」と呟いて御神木にふれる。


 途端。板蟲が足元からかき消える。


 地面に落ち、よろめいた身体を支えてくれたのは、飛びつくように抱きついた英翔だった。


「すみま――」


 自分の足で立ちたいのだが、身体に力が入らない。

 立っていられない。せめて、英翔は巻き添えにするまいと、その場に膝から崩れ落ちる。


「明珠!? 大丈夫か!?」

「だ……」


 英翔の慌てた声に、「大丈夫です」と返そうとするが、気持ち悪くて声が出ない。無理矢理だしたら、胃液も一緒に出てきそうだ。


 最初の日と同じだ。めまいがする。


 腹部から悪寒が全身に広がり、身体が冷えていく。

 身体の中で濁流が荒れ狂っている。自分の身体なのに、泥人形になったかのように、思うように動かせない。


「明珠! しっかりしろ!」

 明珠の身体を膝に抱えた英翔が、手を強く握ってくれる。


 握り返して、微笑み返そうとし――明珠はそのまま、気を失った。


 ◇ ◇ ◇


「明珠っ!? ――張宇‼」


 力を失った途端、重みが増した明珠の身体を、取り落とさないよう、かろうじて支える。


 気を失っただけだ。


 理性ではわかっているのに、冷や汗が止まらない。

 心臓が痛いほど鳴っている。


「失礼します」

 片膝をついて屈み込んだ張宇の声に、わずかに冷静さを取り戻す。


「すぐに離邸へ。気を失っているだけのようだが……」


 気を失った明珠の身体はぐにゃぐにゃしていて、支えにくいことこの上ない。

 だが、張宇はたやすく明珠を横抱きにして持ち上げると、苦も無く歩き出す。


 小走りに張宇を追いかけながら、己のふがいなさに、拳を握りしめる。


 ――子どものままの、小さな手を。


「なぜだ……っ、なぜ……!?」


 英翔は、握りしめた拳をどこかに叩きつけたい衝動を、必死に押さえつけた。


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