17 頼み事は何ですか? その1


「明珠、少しいいか?」


「あ、英翔様。足の具合はもうよろしいんですか?」


 台所で、朝食の洗い物と、昼食の仕込みをしていた明珠は、戸口から顔をのぞかせた英翔に声をかけられ、驚いた。


 濡れている手を拭き、英翔に駆け寄りかけ――昨日の季白の言葉を思い出し、途中で立ち止まる。


「ああ、お前のおかげで、今朝はもう痛くはない。……どうした?」

 途中で立ち止まった明珠に、英翔がいぶかしげな顔をする。


「その……。昨日、季白さんに、接触禁止令を出されたばかりなので……」


 昨日の今日で破ったと知れたら、どんな叱責しっせきを食らうか。考えるだけで恐ろしい。


 明珠の返事に、英翔は「はんっ」と、不機嫌に鼻を鳴らす。

 堂々とした足取りで歩いてくると、明珠の前に立ち、


「お前の主は誰だ?」

「英翔様です!」

「では、季白の主は?」

「英翔様です」


「そうだ。主人のわたしが許すと言っているのに、お前が遠慮する必要が、どこにある?」


「で、でも……」

 ためらうと、英翔の眉が不機嫌に上がる。


「お前は、わたしの言葉より、季白の命に従うと?」


「違いますよ! どうしてそうなるんですか!? その、私が怒られるのはかまいませんけど、英翔様まで怒られては申し訳ないと……」


 あわてて答えると、英翔がきょとんと目を見開いたあと、吹き出す。


「そんな心配は不要だ。季白の叱責など、気にも留めん」


(それはそれで、季白さんがものすごく怒るんじゃ……)

 思ったが、口にはしない。英翔は、明珠の忠告も聞く気はないだろう。


「ええと。それで、どうなさったんですか? 何か私に御用でも?」


 英翔がいいと言うのなら、明珠もふだん通りにふるまうことにする。接触禁止令が出て寂しかったのは、むしろ明珠のほうだ。

 昨日は、夕食も部屋で食べたので、結局、今朝まで一度も英翔の顔を見れなかった。


癒蟲ゆちゅうをもう一度、召喚したほうがいいですか?」


 傷を治す力があるとはいえ、癒蟲もすべての傷を治せるわけではない。大きな怪我は一気に治せないし、病気も無理だ。


 人の害となる蟲がつくことで起こる病気は、原因となる蟲を取り除けば治るのだが、それは癒蟲の能力でできる範囲ではない。


 明珠の問いかけに、英翔は「違う」とかぶりを振る。

 明珠の手を取り、真っ直ぐ見上げる眼差しには、恐ろしいほどの真剣さが宿っていた。


「明珠。頼みがある」


「いいですよ。何ですか?」

 あっさり頷くと、英翔が目を見開く。


「おい、まだ何を頼むかも言っていないぞ!」

「ええ、聞いてませんけど……。でも、いいですよ。何でも言ってください!」


 笑顔で見つめ返すと、英翔は頭痛を覚えたように、深く吐息する。


「……年頃の娘が、軽々しく「何でも」などと口にするのではない。無防備すぎるだろう。警戒心がないのか、お前は」


 年下のくせに、大人びた説教をする英翔に、笑みを深くする。


「大丈夫ですよ。誰にでも言うわけじゃありません。英翔様だからです」


 先ほどから固く握り締められている英翔の拳に手を伸ばし、握り込まれた指をほどく。


 いつもは子ども特有の体温を感じさせる温かい手が、緊張のためか、今は冷たくなっている。

 自分が願いを叶えることで、この手が温かさを取り戻すのなら。どんな願いだって叶えるよう、努力する。


「……本当に、なんでもいいのか?」


 英翔が、だまされてなるものかとばかりに、目をすがめて尋ねる。


「もちろんですよ! 前に言ったじゃないですか、お姉ちゃんみたいに甘えてくださってかまいませんって!」


 言った途端、胸の奥がつきんと痛む。


 本当は、半分、血のつながった姉弟なのに。それを明かすことはできない。

 胸の痛みを振り切って、しいて明るく笑う。


「英翔様に頼られるなんて、侍女冥利みょうりに尽きます! 何でも来いです! 何なりとおっしゃってください!」


 たすき掛けした腕で力こぶをつくり、英翔に笑いかける。


「それに私、知っていますから。「何でも」と言っても、英翔様は無体むたいなことなど、おっしゃらないでしょう?」


「……ここでそう言うか。信頼は嬉しいが……」


 英翔の手がするりと動き、掴んでいた指先を、逆に絡めとられる。


「「何でもする」と言質げんちは取ったからな? 後で悔やんでも、もう遅いぞ?」

 英翔の唇が指先に近づいてくる。


「え、英翔様!」

 明珠はあわてて手を引き抜いて逃げた。


「毛を逆立てた猫みたいだな」

 苦笑した英翔が手を伸ばして、明珠の手を再びつかむ。


「では、こちらへ来てくれ」

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