15 術を使えるのは秘密です! その3


「そうです! もちろん、英翔様を傷つける気なんて、これっぽちもありませんけど……。でも、昔、《癒蟲ゆちゅう》を呼び出す練習をしていて、母さんの怪我を治すどころが、もっと傷つけてしまって……っ。それ以来、《癒蟲》は苦手なんです! そんな未熟な私が英翔様のお怪我を治すなんて、無理です!」


 話しているうちに指先が冷たくなり、身体が震え出す。


 大好きな母親を、自分が未熟なせいで傷つけてしまった失敗は、深い傷となって心に刻み込まれている。


 あの時は、母が自ら《癒蟲》を召喚して直してくれたので事なきを得たが、頼りになる母は、今はもういないのだ。そんな状態で、英翔の治癒を行うなど、


(無理無理っ、絶対に無理~~っ!)


 と、手首を掴んでいた英翔の手が滑り、指先を握りしめる。

 小さな手の温かさに、わずかに落ち着きが戻ってくる。


「《癒蟲》に失敗したのは、いつなんだ?」

「九歳の時です……」


「ならば、もう八年も経っているではないか。子どもの頃より、ずっと成長しているはずだろう?」


「そ、そうかもしれませんけど……」


「痛い」

 英翔が、明珠の言葉をさえぎる。


「足が痛い。さっき寝台から落ちたせいだろうな。痛みが増してきた気がする」


「えぇ~~っ!? それって本当ですか!?」


「わたしを疑うのか? 心外だな」

「だ、だって……」


 傷ついたような英翔の表情に、反論を封じ込まれる。


「万が一、失敗したとしてもかまわん。もうすでに痛めているんだ。多少ひどくなったところで、そう変わらん。……まあ、わたしは明珠を信じているが」


「う……っ」


 指先を握る英翔の手に力がこもる。

 真っ直ぐに信頼の眼差しを向けられては、むげには断りにくい。


「……助けられる力があるのに、それを使わぬのは罪ではないのか?」


「っ!?」

 昔、母にも言われた覚えのある言葉を告げられ、息を飲む。


「自分だけが助けられるとわかっているなら……。助けたいと思うのは、自然な気持ちではないかしら?」


 母がそんなことを言っていたのは、何の話をしていた時だったか……。


「で、でも……」

 ふんぎりがつかず、助けを求めて季白を見る。


 季白は、先ほどから噛みつきそうな形相ぎょうそうで明珠を睨みつけている。正直、背筋が凍える。


 明珠の視線をどう受け取ったのか、季白が口を開くより先に、英翔が鷹揚おうように頷く。


「もちろん、季白には口出しも手出しもさせん。わたしが、決めたことだからな。万が一、何かあっても、お前には一切のとがを負わさぬと約束しよう」


「ぐぬ……っ」


 英翔にきっぱりと言い切られ、季白が怒りを飲み込んだ顔で口をつぐむ。口うるさい季白だが、英翔の決断には、最終的に逆らえぬらしい。


 英翔が、明珠の手を強く握り、上目遣いに下から見上げる。


 うるるんだか、きゅるるんだかの擬態語ぎたいごが聞こえてきそうな可愛らしさで。


「……これでも、だめか?」


「ああもうっ、おねだりはずるいからやめてくださいって、前に言ったじゃないですかーっ!」


 駄目だ。英翔に勝てる気がしない。

 覚悟を決める。


「わかりました、やってみます! うまくできたら、特別手当、出してくださいねっ」


「わかった好きな額を言え」

 笑って答えた英翔が、急に着物を脱ぎだす。


「わっ、英翔様、何を……」


「今、着ているのは護り絹だからな。脱いでおかないと、術がかかりにくいだろう?」


「そうですね……」

 急に脱ぎだすので、何事かと驚いた。


 まあ、英翔の肌着姿を見たところで、順雪で見慣れているので、何ともないのだが。

 張宇に手伝わせて肌着一枚になった英翔を見て、明珠は心配になる。


「……英翔様、少しせすぎじゃありませんか? もっとしっかり食べられたほうが……うちの順雪といい勝負ですよ」


「幼い頃は、痩せぎすで、ひ弱な子どもだったんだ。よく熱も出していたしな。これでも、かなりましになったんだぞ。大丈夫だ。ちゃんと成長する」


「はあ……」


 貧乏な食生活の順雪と違い、毎日、豪華な食事を食べていて痩せているのだから、体質なのだろう。


 明珠は頷くと、英翔の左足の包帯に手をかけた。痛い思いをさせないよう、慎重にそっと外す。


 湿布が張られた足首は腫れていて、痛々しい。すり潰した薬草の匂いが鼻をくすぐる。


「いきますね……っ」


 無意識に、いつも首から下げ、着物の中に入れている守り袋に手を伸ばしかけ、自制する。


 守り袋を握りしめて術をかけた方が、うまくいく可能性が高いが、逆に力が入りすぎて、呼び出した蟲が暴走してしまう可能性もある。

 それくらいなら、治りは悪くても、弱く術をかけたほうがいい。


「《大いなる眷属けんぞくよ。不可思議なるいやしの力を持つ者よ。《癒蟲》よ、その姿を我が前に現したまえ。この者の傷を癒したまえ》」


 英翔の足首にかざした手のひらが温かくなる。明珠の呪文に応えて、乳白色で筒形をした《癒蟲》が現れ、ぽとりと英翔の足首に落ちる。


 ぷよぷよとした《癒蟲》は羽も足もなく、柔らかな芋虫といった感じだ。


 明珠が見守る中、英翔の足の上でしばらくうごめいていた《癒蟲》は、やがて、溶けるように足の中へ消えていく。


「……どうですか?」


 おっかなびっくり尋ねると、英翔がゆっくりと足を動かし、満足そうに頷く。


「痛みがましになった気がする。助かった」


「本当ですか!?」

 かみつくように尋ねたのは季白だ。


 術師ではない季白と張宇には、《蟲》が見えない。

 強い力を持つ術師が召喚した《蟲》ならば、常人に見える場合もあるのだが、それはごくまれな場合だ。


 皇族のみが召喚できる《龍》ほどの力があれば、誰の目にも映るが、それは、《龍》の存在が別格だからだ。


 英翔には過保護すぎるきらいのある季白にしてみれば、本当に明珠の呪が発動したのかどうか、不安で仕方がないのだろう。


 常人には、術の成果を確かめる手立てがない。その不安は、術師であった母と依頼人のやり取りを見てきたので、理解できる。


「大丈夫だ。明珠の術は確かだ。わたしが言うのだから間違いはない」

 英翔が頷いて季白の不安を吹き飛ばす。


「よかったあ~」


 息を吐くと同時に緊張も抜け、腰がくだける。

 へなへなと床に膝をついた明珠をじっと見つめて、英翔が、「だが……」と呟いた。

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